第2話 わたしの二日目

 産まれたところから始まって、最初のうちは薄ぼんやりとした世界のなかで、音だけを聞いている感じだった。

 わたしに話しかける母の声が、ひどく懐かしく、病院に毎日通ってくる父の声も、とても胸に響いて涙がでた。

 頬を拭おうとして、いつの間にか手にハンカチを握っていることに気づく。


 ふと、ソファーの脇をみると、いつの間にか小さな白い棚があり、そこにティッシュや飲みものが用意されている。

 死んでも涙や鼻水はでるものなんだなぁ。

 まだ喉が渇いた気はしないけれど、飲みものがあるというのはありがたい。


 映像はどんどん先へと進んでいく。

 わたしは良く泣き、食べ、眠る子だったようだ。

 だんだんと人の顔や周囲の景色もハッキリと見えてきた。


「二人ともこんな顔だったかな……」


 母が亡くなったのは、私が四歳のころだった。

 病気だとは聞いているけれど、なんの病気なのかはわからない。

 当時、子どもだったわたしには、その説明まではされなかったからだ。

 だから、映像をみても結局、病名までわからなかった。


 父はその後、祖父母の家……父の実家に移り住み、わたしは日中は祖父母と過ごした。

 このころも父や祖父母に大事にされて育っていた。


 やがて小学生になると、友だちもたくさんできて、わたしは毎日を楽しく過ごしていた。

 二年生のときに祖父が、五年生のときには祖母が亡くなり、わたしは父と二人暮らしになった。


「ただいま」


「お父さん、お帰りなさい! 洗濯もの、たたんでおいたよ!」


「そうか……隆久、いつも本当にありがとうな」


 仕事に出ている父に代わって、家の手伝いをするのは苦ではなかった。

 友だちと遊ぶ時間が減り、だんだんみんなと遠ざかっていくのが、少し寂しかったのを覚えている。


 ただ、それまで仲良かった友だちとは別に、同じようにシングル家庭のクラスメイトや、違う学年の子たちと親しくなった。

 話す内容は、もっぱら家事や炊事のことだ。


「知ってる? シャツの早いたたみ方があってさ」


「みそ汁のさ、味噌はあのメーカーのほうが安くてうまいの、しってた?」


 ――こんな話しをしていたっけ?


 確かに学校帰りに、よく一緒に帰ったのは覚えているけれど、こんなことを話していたのはすっかり忘れていた。

 このとき聞いた、シャツのたたみ方を、今でもしている。


「ホントにいろいろと、忘れているものだな……」


 このときに中の良かった数人とは、中学になってからも親しくしていたっけ。

 ほかの何人かは、親が再婚したり、わたしのように祖父母と一緒に暮らすことになり、引っ越していった。


 中学に入ってすぐだった。

 仕事中の事故で、父までも亡くなってしまった。


 このときは、わたしはもう、それなりに大きくなっていたけれど、記憶は曖昧だ。

 それほどに、父の死は衝撃だった。


 一人ぼっちになってしまった。

 家はどうしたらいい?

 学校は?


 今ならば、どうすればいいかわかることも、当時はまったくわからなかった。

 相談しようにも、両親も祖父母もいなければ、誰に何を言えばいいのかさえ分からない。

 父は一人っ子だったこともあり、付き合いのある親戚も記憶になかったけれど、祖父の兄弟に当たる人の息子や娘が、色々と取り仕切ってくれた。


 集まった親族は、わたしにとっては親族と呼べる相手ではなかったけれど、まだ子どもだったこともあり、すべてを任せることになってしまった。

 残った祖父の家は売られることになり、わたしは祖父の弟の息子という、山形家やまがたけに引き取られた。


 その家……おじの山形秀樹やまがたひできの家には、わたしより年下の男の子が二人いて、二人とも懐いてくれたおかげで、わたしは少しだけ寂しさを紛らわせることができた。

 

 ただ、引っ越しをして転校した先の中学では、なかなか友だちと呼べる相手はできなかった。


 だんだんと、気分が重くなってくる。

 わたしは親戚の子どもたちと楽しく遊んだシーンだけをみて、ほかのシーンは飛ばした。


 中学二年生になると、進路の問題が出てきた。

 高校は、行ってみたい学校があったから、希望はそこにしたけれど、秀樹おじさんは進学にいい顔をみせなった。


「高校なんて、いく必要があるのか? それよりも、早く社会に出て一人立ちしたほうが、おまえのためになるんじゃあないか?」


 ほとんど毎日のようにそう言われ、わたしは進路希望の用紙に、仕方なく『就職希望』と書いた。

 そのときの先生が、それを見てわたしを呼び出した。


「今どき、高校ぐらいは行くもんだ。仕事の募集だってほとんどないぞ?」


 うまく答えられないわたしの気持ちを、きっと先生は察してくれたんだろう。

 家の事情も、薄っすらとわかっていたようで、三者面談の折に、秀樹おじさんの奥さんである千佐子ちさこおばさんを説得してくれた。

 そのおかげで、高校へは行けるようになったけれど、この家は出されることになってしまった。


 次にお世話になるのは、このおじさんの妹である人だった。

 このおばさん、加賀江梨子かがえりこの家には、わたしより四歳年上の男の子と、二歳年上の女の子がいた。

 男の子のほうは大学生で、女の子のほうは高校生だった。


 この二人は、このころのわたしにとって、強い心の支えとなる人たちだった。

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