第10話 信頼の前払い

「えっ……?」


 まさかの返却拒否に、祥平は間の抜けた声を上げてしまう。


「その……もっとお礼したいなって」


 中谷さんは、どこか縋りつくような目を向けてくる。


「いやいや、手料理まで振舞ってくれて、もう十分にお礼はしてもらったよ」

「そうなんだけど、そうじゃなくて……!」


 中谷さんはぶんぶんと首を横に振り、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。


「私の料理、これからも加賀美君に振舞いたいなって……」

「そんな、悪いよ。中谷さんにだって自分の予定があるだろうし」

「別に、放課後は私、特にこれといった用事もないから……」

「……」


 どこか自虐気味に言い放った中谷さんの言葉を聞いて、祥平は何も言えなくなってしまう。


「……ダメかな?」


 潤んだ瞳で問うてくる中谷さん。

 とはいえ、まだ中谷さんとこうしてちゃんと話すようになって日も浅い。

 彼女を本当に信頼していいのだろうかという疑念も、まだ心の中に少しは残っている。

 ここはひとつ、理由を尋ねてみることにした。


「中谷さんは、どうして俺なんかに料理を振りまいたいの?」

「それは、加賀美君が美味しそうに食べてくれるから」

「本当にそれだけ? 他に何か理由があるんじゃないの?」

「そ、それは……」


 中谷さんが明らかに動揺した様子で視線を彷徨わせる。

 やはり、料理を振舞いたいというのは建前で、本当の理由は別にあるようだ。


「家の鍵って、信頼関係が築けないと渡せないと思うんだよね。だから、中谷さんが俺に鍵を返したくない理由を知りたいな」


 出来るだけ怖がらせないよう、優しい口調で促すと、中谷さんは数秒の沈黙の後、すぅっと息を吐いた。


「……そうだよね。加賀美君の言う通りだよ……」


 中谷さんは俯きながら、握りしめていた鍵をテーブルに置いてくれた。


「ありがとう」


 感謝の言葉を述べ、祥平がカギを手に取ろうと手を伸ばして――


「私、今一人暮らしなの」


 唐突に中谷さんが語り始めた。

 中谷さんの声が耳に届き、カギを取ろうとしていた手が止まる。

 それを聞いてくれる姿勢だと捉えたのか、中谷さんは話を続けた。


「中学の時に両親が離婚して、高校進学と同時に一人暮らし。だから、こうして料理を振舞える人もいないの」


 顔を上げた中谷さんの目には、一筋の雫が滴りかけていた。


「だから、少しでも誰かの人の役に立ちたいなって……私の考えって間違ってるかな?」


 中谷さんの問いかけに対して、祥平は首を横に振る。


「何も間違ってないよ。その心がけは、素晴らしいことだと思う」


 祥平が助けた日に言っていた、『出迎えてくれる人がいない』という言葉。

 その悲痛な表情を思い出して、祥平の胸に同情心が沸き上がる。

 と同時に、同じクラスであり続けながら、中谷さんのことを全く知らなかった自身に呆れた。


「私だって、これからは自分で自立していかなきゃいけないのは分かってる。でもさ、部屋に戻った途端、物凄い虚無感と空虚な気持ちにさせられるの……」


 家に帰っても誰も出迎えてくれず、薄暗い部屋で独りぼっち。

 突如として失った家族という空間。

 彼女は今も、その幻影を追い続けているのかもしれない。


「分かるよ。その気持ち」

「えっ?」


 祥平が同調の言葉を口にすると、中谷さんは驚いた様子で見つめてくる。


「境遇は違えど、俺も一人暮らししてるからな。ふと家に帰って誰もいないんだって気づいて、物寂しさを感じることはあるよ」

「……そうなんだ。加賀美君でもそう言う気持ちになるんだ」

「もちろん、自立しなきゃいけないこともたくさんあると思う。けどさ、時には他人を頼ることも重要なんじゃないかって、俺は思ってるんだ」

「他人を頼る……?」

「人間ってのは元々群れで生きる生物だ。一人で生きていくなんてことは出来ない。だからこそ、心の拠り所を見つけることが必要なんだよ」


 祥平には、学校で交友関係もあり、両親には金銭面で工面してもらったりと、「色んな人に助けられながら生きている。

 対して中谷さんは、学校でも忌み嫌われ、自身の両親からも見放されしまう始末。

 二人の間にある違いと言えば、支えられている感覚があるかどうかだと感じた。


「まあ、ここまで語ってといて何か出来る訳でもないんだけどさ。中谷さん次第にはなるけど、俺はこれからも中谷さんとはいい関係を築いていきたいと思ってるんだ」


 この数日間、祥平が中谷さん抱いた印象は、純真で気配りの出来る、か弱い女の子だった。

 周りからどう思われていようと関係ない。

 祥平はにっと笑みを浮かべながら、テーブルに置いてある鍵を中谷さんの方へと差し出した。


「だからこれは、俺からの信頼の前払いってことで、持ってていいよ。中谷さんがどうしたいかは、中谷さん次第だから」


 祥平が自身の意志を示すと、中谷さんは顔を歪めて、鼻を啜りながら唇を引き結ぶ。

 そして、か細く震える声で……


「ありがとう」


 と、感謝の言葉を口にした。

 こうして始まった、祥平と中谷さんの不思議な関係。

 ずっと同じクラスだったのに、あまりお互いのことを知ろうとしてこなかった二人が、お互いを知ろうと歩み始めた一歩である。

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ウィッグの美少女を介抱したら、いつの間にか俺の家に入り浸るようになっていた件 さばりん @c_sabarin

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