罪咎
紅透かし
第1話
私には双子の兄がいる。母曰く、彼は妊娠初期に亡くなってしまったらしい。普通ならこういった話は頭の片隅に留めておくようなことだが、私はこの話について未だに考え続けてしまっている。何故なら、その兄が今もなお私の耳元で怨嗟を吐き続けているからだ。
彼の存在に気がついたのは、私が母の部屋にある姿見で初めて全身を見たときだ。初めて見た自分の後ろには私と瓜二つの人間がいて、鏡越しに私を覗いていた。
「あなたはだれ?」
と、呼びかけてみても反応する素振りすら見せず、じっと私を見つめていた。得体の知れない存在に気が動転していた私は、彼を振り払おうとしたが、彼の頬に当たる寸前のところで私の腕はピクリとも動かなくなってしまった。怖くなった私は脱兎の如く部屋を飛び出し母に泣きついたが、
「そんなわけないじゃない。つづみはお馬鹿さんね」
と一蹴し、夕飯の支度をしに行ってしまった。母に見放され、誰にも縋れなくなり、私はただ泣くことしかできなかった。
私が成長するにつれ、兄もまた成長し、
「お前じゃなくて僕が生まれるべきだった」
「お前が僕を殺したんだ」
などと、どこから覚えてきたのかわからない憎悪と憤懣に満ちた言葉を私に投げかけてくるようになった。最初の方は気味が悪いだけだったが、食事中も入浴中もついには夢の中までずっとそのような言葉が投げかけられてきたので私の心は次第に荒んでいき、いつしか兄に言われた言葉が似合ってしまうほどに卑屈で無気力な人間になってしまった。
そのような性格だったので、小学生の頃は誰にも相手にされず、ただ兄の言葉をかき消すために体育館の裏で鼓膜が破れんばかりの音量の電子音楽をずっと聞いていた。
しかし中学校に入ったときに転機が訪れた。中学校での生活にも慣れ、小学校の頃のように体育館の裏で音楽を聞いていると、不意に誰かに肩を叩かれた。ついに兄が私に触れてきたのかと思い、恐る恐る振り返ると、兄ではなくただの少女だった。
見覚えがなかったので先輩だと思い、
「すみません。すぐに立ち去ります」
とだけ言い、その場を立ち去ろうとしたが、
「待って」
そう聞こえるよりも前に腕を掴まれたので、私は渋々彼女の話を聞くことにした。
晴子と名乗るその少女は、どうやら両親の都合でわざわざ学区外から通学しているらしく、同学年の私が知らないのも無理のない話だった。
「しかしなぜ私なんかに話しかけたのですか。こんなところに一人でいるやつなんてろくな人間じゃないでしょうよ」
「自分で言っちゃうんだ。まあ、ただの好奇心だよ」
「あなたが好奇心だけで動くような人間には見えませんが」
初対面の相手に私はなんて失礼なことを言っているのだろう。しかし彼女は起こる素振りも見せず、
「よくわかったじゃん。本当は妹に似ていたからだよ」
「私に似ているなんて、随分と妹さんに失礼なこと言いますね」
「いやいや本当にそっくりだったんだって。最初見たときなんて『あれ?なんでここにいるの?』って思っちゃったよ」
彼女がそう言うと、防災無線から〈七つの子〉が私達の帰りを促すかのように流れてきた。それを聞いた彼女は
「じゃあね」
とだけ言い、私の返事も聞かずそそくさと帰ってしまった。
次の日も、その次の日も彼女は体育館の裏で私を待っていた。
「あなたもよく飽きずに来れますね。暇なんですか?」
「大当たり。そうよ暇だからこんな暗くて湿ったところに毎日通っているのよ」
彼女はそう言うとカバンの中から二枚の紙を取り出し、
「だから休みの日くらい最低限の文化的な生活をしようと思うのだけど、あなたもどう?」
と言い、私にその内の一枚を差し出してきた。見ると最近上映されたホラー映画のようだった。
「あなたホラー映画とか見るんですね。かなり意外です」
「やあねえ、誰が好き好んで種と仕掛けまみれの映画なんて見に行くものですか。あなたの怯えている姿を肴にペプシを飲むために決まっているじゃない」
しばらく彼女と過ごしてみてわかったことだが、どうやら彼女は私と同じ、あるいは私以上に性格が悪いらしい。しかし、家族以外の人間と出かけるなど私には一生に一度あるかないかの貴重な体験なので、甘んじて彼女の思惑に乗ることにした。待ち合わせ場所と時間を決め、明日は早いからとお互い早めに帰ることにした。
家に帰り、ベッドに寝転がると頭の中は明日のことについてで一杯になっていた。しかし、その期待を打ち消すかのように、
「人殺しのくせに、何故人並みの幸せを願っている?」
と兄の声が頭に何重にも響いた。
最悪の目覚めだ。しかしせっかくの誘いを無下にはしたくないので、痛む頭を動かさないようにしながら支度をし、待ち合わせ場所へと向かった。
待ち合わせ場所に着くと、晴子はマネキンの服を丸一式掻っ攫ったような格好で待っていた。
「待たせたな。待ち合わせポイントに到着……」
「遅刻した人が最初に言う言葉ではないと思うんだけど。でもそろそろ上映時間だし行こっか」
と、頭痛を隠すために少しふざけてみたが、軽くあしらわれてしまった。
映画館に着くと売店には長蛇の列ができており、もう時間がないので私達は一直線にシアターへと向かった。
結論から言うと、頭痛と兄のせいでまともに映画は見れなかった。しかし兄の声が聞こえないように耳を塞いでいる姿が幽霊を怖がっているように見えたのか、晴子は満足げだった。
その後昼食を取り、二人で映画館の周辺をぶらぶらと散歩していると一軒のアクセサリーショップが目に入った。中に入ると数百円から数万円のものまで様々なものがあった。私にも似合うものはないかと店内を散策していると、ダリアの花がモチーフになっているネックレスを見つけた。
「なにか良い物はあった?」
と、晴子が声をかけてきたのでそのネックレスを見せると、意外にも反応は良かった。せっかく二人で出かけたんだからと、お揃いで買うことになった。
かくして最悪なスタートを切ったお出かけも無事に終わり私達は家に帰った。今日のお出かけで、彼女と話しているうちは兄の声が頭の中に入ってこなくなることに気づき、以降私は兄から自分を守るために、彼女といる時間が段々と多くなっていった。
しかし、二年の春に事件は起こった。
「しかし時が経つのは早いね。つづみと出会ってもう一年経ったなんて、とても信じられないよ」
「いきなり老人みたいなこと言わないでください。でもまあ、私も同感ですよ」
と、私は言い返した。
「色々あったけど、つづみと会えて毎日楽しかったし、本当に感謝しているよ」
晴子はそう言うと、照れくさそうに笑った。それを聞き、私も晴子と出会えて幸せです。と言おうとしたが、突如兄の叫び声が頭の中に響いた。
「打算で関わっているくせに何故相手の顔色をうかがうようなことを言う?自分のことしか考えていないくせに」
兄の声は頭の中で何重にも反復し、私の心を抉っていく。違う。私はそんなこと思っていない。
「何も違わない。お前は僕の声を免罪符に未だに人と関わろうとしている。グズで卑屈な人殺しのくせにそれすらも免罪符に人並みの幸せを掴もうとしている。何故人未満のことしかできないお前が幸せになれると思っているんだ?」
兄の声はだんだん大きくなっていき、晴子の声すらもかき消しながら私の中に入ってきた。
私は耐えきれなくなり、晴子を残して逃げるようにその場を去ってしまった。
走っている最中も兄はずっと怨嗟の声が頭の中を駆け巡っている。私は一刻も早くその声を止めようと、そのへんにあった木の枝を手に取り、脳まで届かんばかりの勢いで何度も耳に刺した。
結局、兄の声が収まった頃には、日はもう沈んでおり、耳から流れる血も赤黒く変色していた。
親に連絡をしようと携帯を手に取ると、晴子からの通知が大量に来ていることに気がついた。
「大丈夫」
と返したら、一瞬で既読がついた。
「そんなわけないじゃん。なあ、何か悩みがあるなら話してほしい」
と、急に私が帰ってしまったので心配してか、そのようなことが返ってきた。はたして兄のことを話すべきだろうか。ふと、母に話したときに適当にあしらわれたことを思い出してしまった。しかし、いずれ話さなければならないことだと思い、覚悟を決めて返信することにした。
「ふざけているの?」
彼女からの返信はとても冷たかった。
誰にだって逆鱗はある。それは些細なことかもしれないし、死ぬまで誰にも触れられないことだってある。しかし触れてしまえば最後、どんなに堅牢な絆だって一瞬で崩れ去ってしまう。
「理解できない。死んだ兄貴にずっと嫌な言葉を言われて困っています?人をおちょくるのも大概にしてよ」
私が読み終わるよりも早く大量の言葉が流れ込んでくる。
「私の妹の事を知ったうえでこんなこと言ってるの?私の妹も二年前に死んだ!いじめに耐えかねて首を吊って死んだ!もう二度と話せない!死者と会話なんてできない!それなのにお前は死んだ兄貴に悪口を言われているって?そういう病気かもしれんがお前が故人を自虐するための道具にするようなやつだと知ってほとほと愛想が尽きたわ。じゃあね」
そう言って、ぷつりと返信は途絶えてしまった。私は彼女の言葉をゆっくりと噛み砕きながら一晩中泣いていた。
ほとぼりが冷め、学校へ行くと周囲から軽蔑と嫌悪の混じった視線を向けられた。どうやら晴子の人脈は私の想像していたよりもずっと広いようだ。その日から私は彼女の味方をする者たちに虐められるようになった。
妹が虐められていたくせに、自分がその立場に回ってしまうことを私はとても愚かなことだと思ったが、すぐに間違いだと気づいた。何故なら、彼女にとって妹が虐められていたことは受け入れがたい事実であるが、私を虐めるのは異常者を排斥するための正しい行いであって根本的に違うからだ。しかし、そう頭ではわかっていても心身に与えられる苦痛は想像を絶するものだった。
吐いた息がうまく吸えない。
兄とそれ以外の人間の区別がつかない。
次第に私は生きる気力を失い、死ぬことばかり考えるようになった。
そうして、私は彼女と初めて会ったところで死ぬことにした。麻の首の輪を作り、首にかけて身を委ねる。それはどんなネックレスよりもよく首に馴染み、まるで私が生きていたことが間違いだと言わんばかりに優しく意識を奪った。
罪咎 紅透かし @hihiru_benisukasi
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