21CLUB

東杜寺 鍄彁

第1話 前文

 起きる。満員電車に揺られる。重い足取りで講堂へ向かう。ふらつく足で、虚ろな目で、フィラデルフィアのゾンビのように歩く。

 教壇の方へ耳を傾ける。何を言っているかはわからない。

ノートを取る。何を書いているかはわからない。

それでも周りにいる、ウォール街のビジネスマンや、ニューヨーカーの真似をする。

 関数、曲線、学派、統計、系譜、思想、哲学、精神、絶望、病。

一限から二限、三限、四限。朝九時から夕方六時、十二号館二階で始まり、四号館二階で終わる一日。時間も空間も絶え間なく変化する。勿論、人も。

 変化しないものがあるとすれば、僕の憂鬱感と日々の吐き気、それに加えてどうしようもない停滞感だ。


「僕は朝に死に、夜に40錠のオピオイド、25%のアルコールで生き返る」


こんな言葉を、声に出さぬよう脳髄に唱える。


「今日のランチはメチルフェニデート36mgに、アルプラゾラム。追加で鎮痛剤もございます。ディナーは炭酸リチウム200mgにベルソムラ。ご希望でしたら、エスエスブロンもございます」


こんな自虐めいた言葉がぽっと、浮かぶ。

 

 毛玉だらけで、生地がところどころ薄っぺらくなった外套に身を縮みこませながら、晴天の、澄んだ空気漂う外を歩く。

 内ポケットから、字が擦れ始めた日程表を取り出した。破かないよう、慎重になりながら広げる。

『四号館二階O教室、哲学(水曜四限)』

 また学部棟の移動だ。歩かなきゃいけない。階段を上がらなきゃいけない。早く寝かせてくれ、死んだように眠らせてくれ。

 だるい体を引き摺りながら、遅刻しないよう上等なコート、セーターに身を包み、談笑する学生を横目にせっせと足を急がせる。

 ふらつく足を無理矢理進めながら、日々と過去、これから訪れる予定調和に憎悪と諦念を抱く。

 一年前、僕は突然、学問と未来を断たれた。あの、五月の快晴の日に。


 僕は文学を愛していた。

文学は僕を明りの見えない深淵から、一度救ってくれた。

 見通しのない将来への不安と、自らについてまわる呪いへの諦め、絶望、それらからの逃避行。

 オピオイドにDXM、ジフェンヒドラミン塩酸塩の過剰摂取。

医者から処方された睡眠薬と、秘密でありながら、公然たる未成年飲酒の掛け合わせ。

モラトリアムを死期へと変える思想、行動……

 それらから僕を救い出してくれたのが文学だった。

傘を忘れ、ただ立ち尽くすしかなかった僕と、共に晴れるまで濡れていたのが、手に持った傘を傾けず、道端にそっと放り投げ、僕と晴れるまで待ってくれたのが文学だった。

 いつしか僕は、文学の道を志すようになった。


 進路希望票に書いた「〇〇大学・文学部・創作科」

今では哀愁を覚えるその響き、表意文字としての形に、当時、僕は魅了されていた。

 空箱と瓶、缶で満たされていた部屋は、いつしか書籍と原稿用紙で埋まっていった。

積まれた書籍が、窓を覆い隠し、薄暗い中ペンを走らせることもあった、それでも僕には、夜明けを告げる明星が見えていた。金星の指し示す処へ向かっていた。

 積もる書き損じ、減っていくインク。自覚する才能の無さ。減ったインクと同じだけ増えていく語彙と表現、実力。これらを煮詰め、抽出し、数千字、数万字の作品が完成する。

 それを何度も繰り返す。何十、何百、何千と……

この永劫回帰は、僕にとって義務と努力であって、同時に安寧だった。書くことが受験勉強で、そして精神の安定だった。

僕にとって、受験勉強は苦ではなく、寧ろ、娯楽や楽しみの部類だった。

 学校の数学や、古文は嫌いでしかたなかったが、文芸は題材、字数、時間を制限されても、不思議なことに苦に感じなかった。


 それが突然、突然、錆びた銃剣が、

「貧困」という、表意文字二文字、四音の錆びた言葉が、僕を突き刺し、破傷風の痛みへと、絶望という地獄へと、蟹工船へと連れて行った。

 五月のある日、快晴の、柔らかい風の吹く日。僕は学問と未来を骨董品の銃剣で断ち切られた————

 ことは簡単で複雑で……

 まず、僕の家は、ほぼ破産していた。僕が文学部を目指した、ちょうどそのころ、沖縄や台湾の方で小規模な紛争が、名前も知らない小島を巡った争いが、日本と中国の戦争が起きた。その影響で僕の家の家業は回らなくなり、最終的に借金まみれになってしまっていたんだ。

 僕の家は外国人、特に華人を相手に仕事をしていて……もうここまで言えば、わかるだろう?

 そう、顧客を失ったんだ。華人は皆、戒厳下の祖国に強制送還されるか、北陸の、有刺鉄線に囲まれた、まるでアウシュビッツみたいな「人権保護区」に送られた。

 それ以外の外国人も、旅客機の欠航や、第七艦隊と中国の福建空母艦隊の海戦などで、日本に来られなくなった。国内にいた外国人も、国連軍や自国軍の軍用機に乗って、帰っていった。

 それで、僕の家は客の来ない店を維持するため、従業員への給与を払うため、そして————そして、生活を維持するため、半額の総菜や、腐りかけの野菜、肉、代替バターを買うために、蛇口から出る水のために借金をした。

 最初は、従業員一人の一か月分の給与程度だった借金が、二、三か月後には中古の国産車、それから半年後には、家を買えるほどにまで膨らんだ。

 結果、僕は希望先の大学を、文学部をあきらめることになった。

 僕はてっきり、奨学金を借りれば、窮状にある我が家を文部省や学生基金が見れば、給付金が下りれば、文学部の学費なんて、何とかなると思っていた。

 しかし、現実は、戦争の経済的波及とそれに伴う学費値上げ、文部省の助成金及び学生基金の減額で、文学部への進学は不可能になった。

 進学が不可能になったことを知らされたのが、去年の、ちょうど今と同時期の、五月のことだった。憎たらしいほどの晴れで、僕を嘲笑するかのようなあの日————。


 涙も声も出なかった。ただ、手が震え、鼓動が早まり、血液が冷え切るような、そんな感覚に襲われ、茫然とするしかなかった。

 苦い顔で、なんとか咽頭から捻りだしたであろう、先生の言葉も、徐々に耳鳴りに飲まれて、どこか遠い国の言語に聞こえた。

 脳髄に、錆びた銃剣が刺さる痛みに、じっと声も出せぬほど、ただ煩悶としていた。


 そのあと、先生がなんとか、僕でも入れる学校、つまり、ここを探してくれた。抜け殻のように、またジャンキーになってしまった僕のために、先生は、封筒が千切れそうになるほどの推薦書を書いてくれた。虚ろな僕に何度も志願理由を聞いて、途切れ途切れに、断片的にしか出てこない言葉を整然とまとめてくれた。


 そして、今、ODの反動で気だるげに足を動かし、虚しい回想に浸る現在に至る。

「回想は死の直前に活発になる」

こんな、根拠も怪しい話を、聞いたことがある。

 死期を毎日早め、本来、映像であるはずの人生をコマ送りにしている僕は、破傷風に悶える僕は、確かに死の直前の、もう何人も見送ってきた病床で、次の心停止を待つ病人かもしれない。

 いや、もしかしたら、もう死んでいる————肉体こそあるけど、精神的には息絶えた、クオリアを失った————つまり、哲学的ゾンビというヤツかもしれない。

 そんな、精神病質な問答をしながら、無意識に足を動かしていると、擦れた日程表に書かれた目的地、四限哲学の「四号館二階O教室」についた。


「ヘェ……死人が哲学をやるなんて、実存とか構造とか世界とか、人生とか、そんなもんを考えるなんて皮肉だな」


と、また一言。これも脳髄に、声にならぬよう話してから、教室へと入った。



一話終

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