第五十二話 イルス祭7
「す、すごい……」
あまりの驚愕はテラの意識を覆っていた恐怖の感情を吹き飛ばしてしまった。
あんな巨大な槍を普通の剣で弾き飛ばしちゃうなんて……。
「ああ~、テラ、エルサ。無事でよかった!」
アヴァンは事の顛末を見届けると、二人を力強く抱きしめる。
「お父さん……」
安堵からか、テラの瞳からは大粒の涙が次々と零れ落ち視界は歪む。気が付くと、三人は嗚咽を漏らしながら固く抱き締め合っていた。
「――遅くなりました、ノイシュヴァン先生」
そんな声が耳に入り、テラは思わず顔を上げた。一人の美しい女の人が老人剣士に近づいて来ていた。女性は栗色のつややかな長髪を後ろで一つにくくって、目鼻立ちはくっきりとしておりどこか気品を感じさせる。そして老人剣士と同じ様に白色のローブを纏っていた。おじいさんの仲間だろうか?
――あっ、あの人は……!たしか、中央市でおばさんが売っていた服の生地が偽物だって見抜いた人だ!
中央市初日に宿の窓から、露店のおばさんとやり合っていた凛とした姿を、テラは思い出していた。
女性の声に老剣士ノイシュヴァンはこちらを振りかえった。
真っ先にテラの眼に入ったのは、老剣士の穏やかな光をたたえる青い眼だった。
あの人はお店にカブを買いに来てくれたおじいさん!?
「おお、先にテメレアが駆け付けたか……」
ノイシュヴァンはそう応えると女性の下に近づき耳元で何かを呟いた。テラの距離では何を言ったのか聞き取れなかった。
ノイシュヴァンが耳打ちを終えると、テメレアは目を大きく見開いてテラの方を一瞬凝視したように感じた。しかし次の瞬間には、テメレアの視線はテラには注がれていなかった。
気のせいだったのかな?
「しかし、こんな惨状になるとは……」
テメレアが沈痛な声でそう言った。
「ああ、これ以上の被害は看過できん!」
ノイシュヴァンは穏やかだが強い口調でそう言うと、鞘に収まっている剣をゆっくりと引き抜いた。
「何……?」
ノイシュヴァンの背後で一瞬何かが紅く光るのをテラは見た。
テラはノイシュヴァンの背後に目を凝らす。
再び赤い光が見えた。
人ごみの中で紅々とした火が燃えている。しかも、その火は男の口の中で燃え立っているではないか。
「あの人は、アルテマ旅団の”炎の”フレイム……!」
フレイムは再び口を閉じ、ゆっくりと口を開く。口の中の火は先ほどより大きくなり、黒煙が立ち昇る。フレイムが口の開閉を繰り返す度に、火はどんどん勢いを増していき、早く何物かを焼き尽くしたいと言わんばかりに時々口の隙間から触手をチラチラとのぞかせる。
フレイムの口角が少し上がる。
おじいさんに向けて炎を吐き出すつもりだ!
テラは「危ない!」と伝えようと口を開いたしたが、突如、突風が巻き起こりうまく言葉にすることができなかった。アヴァンのしっかりとした腕がテラを支えてくれた。
いったい何?
突然発生した突風にテラは混乱した。
突風と共に目の前にいたはずのノイシュヴァンの姿は消え失せている。代わりにノイシュヴァンがいた場所からフレイムのもとへと白色の光線が一直線に伸びている。
誰にも理解できなかったであろう。ノイシュヴァンの移動が高速であるあまり、強力な負圧が発生し、周囲の空気を巻き込んで突風が発生したとは。
光の先にいるはずのフレイムの姿も消えていた。代わりにノイシュヴァンが立っている。鋒を下げ地面を見下ろして立っていた。刀身は眩しいくらいの白光が放たれている。
白い光の残像はこの剣によるものだった。
フレイムの身体はノイシュヴァンが見つめる先にあった。すでに力なく地に伏しており、自らの炎によってその身が焼かれていた。
フレイムは断末魔を上げる暇も与えられず、ノイシュヴァンによって斬り伏せられていたのだった。ついにはフレイムの全身は自らの炎に包まれて黒煙を上げ始める。あたりの民衆から悲鳴が上がる。肉の焼ける不快な匂いがこちらまで漂ってきた。
ノイシュヴァンはゆっくりと人ごみの中をこちらへ近づいて来る。ノイシュヴァンの顔には先ほどよりもいっそう深い皺が刻まれている。
「うわぁあああ!」という鬼気迫る悲鳴が複数上がる。
各々、斧や剣、槍といった武器を持った民衆がノイシュヴァンに左右から襲い掛かろううとする。おそらく民衆の中に紛れ込んでいた間者だ。
ノイシュヴァンはそれらを見ることなく剣を一閃すると、赤い血煙が沸き上がる。襲い掛かろうとしていた間者は皆地に伏していた。
「テメレアよ、民人たちを頼む……」
戻って来たノイシュヴァンはそう言うとテメレアの肩を叩いた。テメレアは頷く。
「みなさん、落ち着いて私について来てください。安心してください!私はルミナス騎士団の者です!」
テメレアは右手に大きな布地を高く掲げると、声高に叫んだ。
テメレアが手にしているのは、剣と星が重なった金色の徽章が描かれた旗だった。
「おお、ルミナス騎士団が来て下さったんだ!」「もう安心だ……」「助かった……」といった安堵の声がそこら中から湧き上がる。周囲の人々の顔に張り付いていた絶望に喜色の色が加わった。
アヴァンとエルサも安堵の声を上げ、三人で抱きしめあった。
「ルミナス騎士団……」
テラは二人の腕の中で、グランドウルフに襲われたときのことを思い出す。あの時もルミナス騎士団のヴァイオレットさんが窮地からみんなを救ってくれた。
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