第一話 イルス王国
人類が始めたはずの『戦争』は、村を町を、そして国をも呑み込んでいく──。それでも飽き足らないのか、その『戦争』という名の怪物は人類の制御下を脱して全てを喰らい尽すように大陸中へ戦禍を広げていった――。
戦火の嵐の中でリヴァイア帝国が産声を上げた。
そのかつての小国は『戦争』の運び手となることで、辺りの国々を呑み込み、気がつくと大陸の西側半分を支配する巨大な大国へと成長していた。
リヴァイア帝国の食指が伸びた地域は、黒煙がもうもうと湧き上がって陽の光が射さず、帝国の圧政に呻吟する人々の怨嗟で溢れていた。
かつて存在したある巨大な王国がリヴァイア帝国に斃されて飲み込まれた頃から、リヴァイア帝国は西の悪魔と呼ばれるようになり、西の悪魔の侵攻を止めるものはもういないという諦めが大陸中に蔓延し始めた。
濃い闇の中にこそ強い光は生まれる――。
『
東側の国々は『
そして、リヴァイア帝国と
リヴァイア帝国は他の国々とも戦争中で戦端が広がり、大きな戦力を割くことができずそれは非常に小規模の戦いだった。しかし、その小さな勝利の影響は大きかった。勝利の一方が東の国々に流布され、
大陸は、西のリヴァイア帝国と東の
* * *
イルス王国──。
イルス王国は三強国に囲まれながらも、長い歴史の中で独立を維持してきた。それは、イルス王国が峻厳な天然の要塞に守られていることに寄与するところが大きい。
イルス王国の国土は深い谷間と聳え立つ山脈にまたがり、人々は平地の多い深い谷間で生活していた。谷間は複雑な迷路のように山脈の間を縦横無尽に走っている。永い年月をかけて氷河が大地を削りとり、深い谷と峻厳な山脈が入り混じる固有の国土を造り上げた。標高の高い山脈は万年雪に覆われる極寒の世界だ。
イルス王国はかつていくつかの大軍に攻められたことがあったが、どれも王都イルスまでその牙が届いたことはない。細い谷間において、大軍は縦に細く伸び数的有利を活かせず、幾重もの関所に進軍を阻まれてきた。
サルネ村──。
イルス王国の中でも北西に位置する辺境の村である。
今、太陽は高くそびえ立つ山脈の稜線へと沈み込もうとしていた。山脈の向こうに太陽が沈むと暫くと薄ぼんやり明るい薄暮があたりを満たす。それを「影の時間」と呼ぶ。深い谷間にあるイルス王国では日没前に谷間全体が山脈の影の中に入り仄かな暗闇が満ちる影の時間が訪れる。影の時間から二時間ほどすると陽が地平線に完全に沈み本当の夜を迎えるようになる。
今サルネ村では東の空からうすら闇が広がって村を包み込もうとしていた。影の時間が到来したのだ。
「お母さん、いつも通りヤギたちを囲いの中に戻したよぉ!」
元気な少女の声が辺りに響き渡る。少女はスカートについた土をパンパンと払ってから、ヤギの囲いに鍵をかけた。少女はこの薄暮の中でもはっきりと分かる燃え立つような美しい赤毛を靡かせていた。年の頃はまだ七歳くらいであろうか。
「テラ〜、ありがとね!」
少女テラと同じように鮮やかな赤毛をもつ大人の女性が、薪木をせっせと家に運び入れながらそう答えた。腰まで伸びている赤毛のおさげが女の動きに合わせて揺れる。
「――じゃあ次は……、ヤギたちに草をあげておいて!」
少女テラの母親エルサは一旦手を止めると、五メトルほど向こうにいるテラの方へ拳を突き出して親指を立てた。エルサは満面の笑みを浮かべている。
「はーい!」
テラは少し不満そうな声で返事をし、刻々と暗くなっていく空を見上げながらふぅーっと一呼吸入れた。
山の向こうからヒヤリとした風が吹きこみ、テラの肩まで伸びた赤髪を揺らしていった。作業をして火照った身体には少しひんやりとした風が心地いい。
──さあ、もうひと仕事!
テラは腕まくりをし、溢れんばかりの干し草を両手に抱えながらヤギたちの元へと走る。
テラとエルサの住むここサルネ村は、北西の辺境に位置するイルス王国の中でも王都トレドから遠く離れた辺境の村だ。一番近くの村に行くのでも最低歩いて一日はかかる。サルネ村の人口は五十三人でとても少なく、みんな顔馴染みで全員で大きめの家族みたいなものだ。
イルス王国は大陸の北部に位置し、王国の居住区はすべて谷間にあって日照時間はとても短い。そのため農地には向いておらずヒエやアワ、ジャガイモ、カブなど寒さに強い植物しか育たない。中でもサルネ村のカブは寒さで糖分が凝縮されて甘く、イルス国内でもサルネ村のカブはおいしいと評判が高い。そのためどの家でもだいたいカブ畑を一つか二つは持っている。また、どの家でも寒さに強いヤギを飼っていて、織物を作ったり、ミルク粥を作ったりする。テラの家でもヤギは5頭飼っている。
「なんでこんなに寒いところに住むようになったんだろうね?」
テラはふとこんな疑問が浮かんで、かつて父アヴァンに聞いたことがある。
「そうは言ってもみんなこの村が好きなんだ。テラもそうだろ?」
テラは、うん、と深く頷いた。
そう、この寒さには苦労させられることが多いが、テラは心からこのサルネ村を愛していた。
村人を見守るようにして立ち続ける何百メトルもの切り立った山脈、一年中冷たい水を流し続けるタルヒ河、恵みをもたらしてくれる深い森林――。人懐っつこくかわいいヤギたち。野ウサギなどの野生動物たち――。そして、変わり者もいるが温かく心優しい村人たち。
サルネ村の好きなところなんていくらでもあげられる。
忙しく両親の手伝いをしている合間、ときどき手を止めて山々を見つめたり、澄んだ空気を深く吸い込んだり、ヤギたちの温かく柔らかい毛並みを撫でたりする。
そして、闇夜に広がる星々の輝きをゆたっりと眺めながら、今テラが立っているこの星はどんな気持ちで他の星々を眺めているのかと想像してしまう。
そんなひと時がテラの心を日々豊かにしてくれる。
母に頼まれたヤギのエサやりが終えた頃には、影の時間を超えて日没し辺りはすっかり暗闇に包まれていた。満点の星々がテラにやさしく光を投げかける。村の家々にはポツポツと橙色の灯りがともり始める。
――そろそろ家に戻らなきゃ。
夜になると狼や熊といった獰猛な動物が出たり、最近では、巨大な怪物の影が目撃されたこともあるという……。テラは家へ急いだ。
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