第3話 諸国行脚 頼朝の死

 空想時代小説

 

 九龍坊は、40才になっていた。建久9年12月27日(1198年)、相模の国、辻堂の八的ケ原(やつまとがはら)にいた。頼朝がこの地に来るとの情報を得たからである。世の乱れに、頼朝は見て見ぬふりをして、御家人どもの言いなりになっている。なんのために、身内を犠牲にして幕府をたてたのか。平家を倒すだけの決起ではなかったはず。そのことを一言、言いたかったのである。しかし、死んだ身としては正面きって行くわけにはいかない。そこで、考えたのが亡霊として出現することである。そのためには、舞台設定が必要だった。

 八的ケ原には、馬に乗った頼朝と近習10名ほどがやってきた。頼朝主従は、御家人の稲毛重成の奥方の供養の帰りであった。八的ケ原は、弓の演習場である。8つの的があり、流鏑馬の鍛錬もここで行われている。

 夕方近くになり、雲がかかっている冬場であり、あたりは薄暗くなっていた。

 何カ所かで火の手があがった。頼朝主従は、立ち止まり、不穏な雰囲気におそれを感じていた。そこに四方八方からビューンと鏑矢がとんできた。

「曲者!」

と頼朝の近習は四方に分かれ、矢がとんできたところに馬をとばした。頼朝の周りには二人の武士が残ったが、頼朝の馬の尻に鏑矢があたり、馬が暴走を始めた.頼朝はおさえようとするが、周りが火に囲まれており、馬は興奮して止まる気配はない。流鏑馬の直線路をまるで競走馬のように駆け抜けていく。近習たちはとんでくる鏑矢にさえぎられ、ついてこれなかった。

 しばらく走り、火の気が少なくなったところで、頼朝は不思議なものを見た。人が浮かんでいるのだ。頼朝が急に手綱をひいたので、馬が前足を高くあげてしまい、頼朝はその反動で落馬してしまった。

 空中に浮かんでいた人物は、ひょいと頼朝の前に降りてきた。

「兄上、だいじょうぶでござるか?」

「弟とな。そなたはだれじゃ」

「見忘れましたか、九郎にございまする」

「九郎とな。たしかにその反っ歯は九郎だが、平泉で死んだのでは?」

「あの世から帰ってまいりました。兄上に一言言上いたしたく」

「言上とな」

「兄上は征夷大将軍ではございませんか。ですが、民衆の苦しみは平家の治世の時よりも悪くなっております。それもこれも御家人どもの勝手極まる態度。それを見て見ぬふりをしている兄上の責任ではございませんか」

「将軍とは名ばかりなのじゃ。政子と北条氏には逆らえん」

「浮気ばかりしているから姉上に愛想をつかされるのです」

そこに、頼朝の近習がかけ足でやってきた。

「兄上、さらば。民衆の苦しみが続けば、また現れるかもしれませんぞ」

と言い残し、空中に跳び上がり、ススキの林へ消えていった。

「上様、ご無事でございましたか」

頼朝は、口から泡をとばしていた。

「九郎だ! 九郎が現れた!」

と叫び続けていた。近習が馬を見つけ、乱心している頼朝を乗せ、鎌倉へ向かったが、途中、木と木の間に2本の綱が張ってあるのを見つけた。近習の者は、不思議とは思ったが、それが何のために張ってあるのかまでは考えなかった。

 頼朝は落馬の際のけがと精神的な病で食事もままならず、しばらくして息をひきとった。あまりにもみじめな死に方だったので、死因は公にされなかった。


 九龍坊は近江にもどっていた。観音正寺近くの甲賀の里に居を構えていた。鎌倉の一件で手伝ってくれた修験者たちのすすめもあり、ここで修験の書を書いていた。そこに、修験者の身内の娘が甲斐甲斐しく働いていた。一日二食の世話はもちろんのこと、掃除、洗濯も進んでしてくれていた。娘の名前をお加代という。名前のとおり、世話好きのおなごであった。源氏の御曹司とは知らず、観音正寺の修験者の師ということだけを知っていた。時々、修験者の仲間がやってきて、九龍坊は出かけていった。2・3日で帰ってくることもあれば、一月ほど帰ってこないこともあった。その度に、なにがしかの金子を持ち帰ってきた。その金をお加代に生活費として渡していた。

 1年ほど、そういう生活が続いたが、いつものように修験者と出かけていった九龍坊は、左腕にけがをして戻ってきた。刀傷である。

「九龍坊様、どうされたのですか?」

「うむ、油断をして刀を受けてしまった。焼酎で洗ってくれ」

お加代は、消毒をして血止めの葉を巻いた。化膿していなければ、たいしたことはないが、その夜九龍坊は高熱をだし、うめき声をあげていた。お加代は、手ぬぐいを冷やし、体をふいた。と、その時お加代は抱きしめられた。あっという間に着物をはがされ、九龍坊の力のままに身をまかせた。いつの日か、こういう日がくると心で思っていたから抵抗はしなかった。しかし、お加代の名前をよぶわけではなかった。はっきりとは聞こえなかったが、「しずか」と言っているようであった。

 翌朝、九龍坊はすやすやと寝入っていた。お加代は、熱が下がった九龍坊を見て安心し、朝餉の支度を始めていた。そこに、目を覚ました九龍坊がやってきて、

「お加代殿、昨夜われは妙な夢を見た。何かうなっていなかったか」

「おんなの方の名をよんでおられました」

「おなごの名前をか? なんと?」

「はっっきりとはわかりませぬが、たしか、しずか、と」

「しずか、か。かつての思い人だ。ところで、われはお加代殿に何かせなんだか?」

「まぁ!」

と言って、お加代は顔を赤らめた。

「やはり、あの夢の相手はお加代殿であったか。すまん」

「どうして、あやまられるのですか?」

「こんな老いぼれた修験者の相手をさせられたとあっては、そちがかわいそうだし、そちの家の者にもうらまれる」

「そんなことはございませぬ。家の者からは、九龍坊様に心して尽くせと言われておりますし、わたしは九龍坊様といっしょになれてうれしゅうございました」

「なんと!」

と言って、九龍坊はお加代を抱きしめていた。あらためて夫婦の契りを交わす二人であった。


 10ケ月ほどして、男の子が生まれた。

「お加代、この機会に名を変えようと思う」

「して、何に?」

「皆から猿・猿と言われるし、木々渡りが得意なので、猿飛と名乗ろうと思う」

「九龍坊様らしい、いえ、その名ではなく、猿飛様ですね。あなたらしいいい名前だと思います」

「そして、その子の名だが・・・佐助と名付けようと思う」

 初代、猿飛佐助の誕生である。およそ400年後、この子孫が日の本の国を変える活躍をするのである。

 また猿飛が書いた修験の書は、その後の甲賀や伊賀の忍びの指南書となり、服部半蔵によって忍術伝にまとめられた。

 猿飛の最期は、お加代と佐助によって、静かに見送られたとのことである。


                        2023.5.15 完

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