第2話 観音正寺にて
空想時代小説
近江の観音正寺に着いた九龍坊は、小高い丘から安土の地をながめていた。この後、寺のとなりに観音寺城が造られるということで、ふもとはにぎわっていた。
住職の信長坊(しんちょうぼう)は齢70才を越えた老体であった。弟子の信忠坊(しんちゅうぼう)が実質の住職だったが、源平の争いに巻き込まれ、心労で倒れてしまったとのこと。元々、修験者の山なので、意気盛んな者が多く、仏事だけの指導者ではまとめきれないということで、今回羽黒山から招聘したというわけである。仏事は、住職の身内が行っており、九龍坊は若い修験者の指導にあたることになった。修験者の集まる場所へ行くと、そこには冷たい視線があった。さえない中年の小柄な修験者の下につくのは不甲斐ないという雰囲気であった。
「九龍坊である。今後、ぬしたちと修行することとなった。羽黒での修行とは違うと思うが、力をつけられるようにしたいと存ずる」
「九龍坊殿、修行をしている我々のめざすところは、どこだと思われますか?」
「のっけから深刻な質問じゃの。修行は己の鍛錬のため。それ以上でも以下でもない」
「世のためではないのですか」
「鍛錬の上で、得たものを世に還元することはある。しかし、それも修行」
「世を変える力を養うためではないのですか」
「世を変えようとしても、変わらぬ場合もある。また、変えてもそれが良いとは限らぬ。また変えようとする力がはたらくだけじゃ。我らのすべきことは、欲をもたず、己の力を高め、いざという時に活かすのみ」
「さすが、羽黒の猿と言われる方じゃ。ですが、ここに近江源氏の佐々木氏が城を構えるという話があります。そのことを我々はどう考えるべきなのですか?」
「源氏・平氏というのは浮き世のこと。浮き世の騒ぎに、あらかじめ構えるなど、仏門にあってはならぬこと。戦で亡くなった者の霊を弔うことと、生きている者の救いとなることが我らのつとめ、戦に荷担するなどもってのほか」
比叡山の僧兵たちが御輿をかついで、京都にくりだすことを暗に批判した言葉であった。
その日から修行が始まった。のっけから九龍坊の身の軽さに修験者はたじたじであった。石段を下りる速度も登る速度も段違い。誰一人ついていけない。そして呼吸のもどりも全く違うのだ。指導者は最初の一手で納得させる。九龍坊は、羽黒で自分が受けた最初の修行を思い出していた。観音寺の山を下りれば、近江平野が広がり、そこには琵琶湖があった。速足の修行も水練も場には困らなかった。羽黒での最上川の急流相手に水練をしていた九龍坊には波の静かな湖は物足りなかった。
もっとも困ったのが滝行である。雨あがりの時にできる滝はあるのだが、日照りの時には枯渇してしまい、日々の鍛錬にはふさわしくなかった。もっとも冬の滝行に悩まされていた九龍坊にとっては、ひとつの救いだったかもしれない。
修験者たちは、当初は懐疑的に九龍坊を見ていたが、修行レベルの高さを見て、誰も文句を言わなくなった。己の鍛錬のためという大義であったが、修験者たちにとって、九龍坊への見方が変わったのは、町衆への対応だった。修行の場に移動するために、月に何度か町を通ることがあるのだが、その時にけが人を見つけると、九龍坊が率先して手当を行うのである。けが人が多い場合には修験者たちも手伝うことがあった。骨折などは、修験者にとってはつきものなので、手当は朝飯前である。町にも医者はいるが、漢方医が多く、外科的な対応は捨ておかれる状況だった。修験者たちの手当は町衆にとっての救いになっていた。
「九龍坊殿、水練の時間に遅れますが・・・」
「ぬしは、けが人を捨てて水練ができるのか。鍛錬は世のため、人のため、これも修行」
こういう姿勢が、修験者たちの心をつかんでいた。
観音正寺にきて1年ほどたち、修行は順調に進んでいた。ところが、町衆や農民たちの領主佐々木氏に対する反感が大きくなってきていた。城づくりの普請が本格的になり、農作業に支障がでるくらいの動員がでたり、町衆には物品の供出が法外な量になることもあった。九龍坊たちは町へ下りるたびに、民心が荒れていることを感じていた。
ある日、若い修験者のリーダー格である信行坊(しんぎょうぼう)が、九龍坊に訴えてきた。
「九龍坊殿、我々は佐々木氏の圧政に黙っているのですか」
「修行に政はご法度」
「ですが、民衆が苦しんでいるんですぞ」
「民衆を救うことは大事じゃ。じゃが領主に逆らうのは修行ではない」
「それでは、見て見ぬふりをしておれ。ということですか」
「ぬしは何をしたいのじゃ」
「民衆とともに立ち上がるのです」
「一揆を起こすということか」
「そういうことでござる」
「多くのものを失う。たとえ、佐々木氏を倒しても、源氏全てを相手にすることはできぬ。負けるとわかっている戦はするものではない」
「まるで、武士みたいなお言葉。九龍坊殿は武士の出であるか」
「そんなことはどうでもいい。今は耐える時期じゃ。いずれ機会がやってくる。それまでに蓄えておくのじゃ」
「それはわかりますが・・民衆は納得いたしませぬ。我々の力ではおさえつけられませぬ」
「そこまで民心は荒れているか・・・。それでは、ちと様子を見てみるか、2・3日待っておれ」
と言って、九龍坊は夜に出かけていった。
翌日、佐々木の殿が乱心したとの噂がたった。それで、しばらく城造りの作業は中断になったとのこと。人々は、元の平穏な日々を過ごせるようになった。
「九龍坊殿、何かされたのですか」
「いや別に、ただ佐々木氏の館の様子を見に行っただけで、何もせなんだ。民心が落ち着いたのは何より」
「実は、民衆の噂なのですが、佐々木の殿の乱心は義経殿のたたりだということです。義経殿の亡霊が枕元に現れ、圧政を批判したとのこと。佐々木氏は、義経殿とともに戦ったこともあり、その強さは身にしみているはず。さぞかし怖かったのでしょうな」
「おもしろい話じゃの」
九龍坊はニヤリと笑って答えた。
その後、近江の民心はおさまったものの、全国各地で争いの火種が大きくなってきた。多くは、新しく赴任してきた地頭と民衆のいさかいである。鎌倉にもどりたい地頭が法外な税をかけ、民衆を苦しめているのである。これは頼朝の治世というか、その配下である御家人衆、特に北条氏の一派が無理難題を言っているようである。そういうことが、観音正寺に立ち寄る全国各地の修験者から聞こえてくることが多くなった。そこで、九龍坊は配下の修験者に全国各地の事情を見てくるように指示した。その者たちの報告を受けると、まさしく民衆が疲弊しているのがわかった。中には、平氏の世を懐かしむ人々も多くいるとの報告もあった。九龍坊は、源氏の治世が荒れていることに危惧を感じていた。このままでは、また戦乱の世がやってくる。そうすれば涙するのは敗れた者の家族と多くの民衆、戦乱は避けねばならぬ。そういう思いが強くなっていた。
九龍坊は、住職の信長坊に山を下ることを願い出た。
「住職殿、われがここに来て3年がたちました。若い修験者も育ってきましたゆえ、そろそろお暇をいただきとうございます」
「なにゆえ、おたちになる?」
「全国各地の民心が乱れてきております。一修験者にもどり、その心を少しでもおさめたいと考えております」
「目的地は鎌倉かな?」
「・・・鎌倉もひとつかと」
「まあよい。ぬしは羽黒からあずかった大事な御身。この寺に一生いる器ではないと思っておった。好きになされ」
「ありがたき言葉。明日にでも発ちまする」
「うむ、お達者でな」
その夜、若い修験者たちが九龍坊のもとに集まってきた。
「九龍坊殿、山を下りると聞きましたが、まことでござるか」
「うむ、諸国をめぐる旅にでようと思う」
「われも連れていってくだされ」「われも・・」「われも・・」
と声が続いた。
「それはならぬ。ぬしたちは修行中の身。余計なことは考えるでない」
「ですが、九龍坊殿について諸国をめぐるのも修行ではないですか」
「ならぬ。われの修行は孤独に耐える修行ぞ。そのことは、いずれぬしたちにもしてもらわねばならぬ」
「九龍坊殿、別れがつろうございます。旅の途中で何かありましたら、いつでも呼んでくだされ。われら、いつでもはせ参じる所存」
「わかった。そういうことがあれば、呼ぼうぞ」
そう言い残して、九龍坊は旅だっていった。
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