【1-32】 遠雷 上

【第1章 登場人物】

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【地図】ヴァナヘイム・ブレギア国境 第2部

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16817330668554055249

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 帝国軍総指揮官・ズフタフ=アトロン大将の起床時間は早い。毎日夜明け前には身支度を整えている。


 東部方面征討軍・総司令官の立場であろうと、迎撃部隊・総指揮官の立場であろうと、この老大将の実直質素な暮らしぶりは変わらない。


 この日も、軍服を襟元まできちんと締め、軍支給のパンだけという簡素な朝食をもそもそと食べ終えている。食後は、角砂糖を1つだけ沈めた珈琲を口に運びつつ、書物に目を通していた。


 

 11月14日、対岸の異変に帝国総指揮所で最初に気がついたのは、この早起きの老大将であった。


「……」

 はるか日の出の方角に生じたを耳にして、アトロンは静かに書物を置いた。


 帝国軍が指揮所を置いているのは、ヴァーガル河の西にある村落だ。自室としている石造りの家屋を抜けるや、彼は姿勢正しく馬を駆けさせていく。数名の副官を従えて。


 かすかに残る朝靄あさもやきわけるは、規律よく響くひづめの音だ。だが、それらをまとめて震わせるは、低く重い遠雷――否、砲声であった。



 しばらく進むと、彼等の行く手を遮るようにして、ヴァーガル河の堤防が横たわっていた。


 激しい攻防が繰り広げられた渡河戦が嘘だったかのように、堤の先では河原をおいて、水が滔々とうとうと流れている。


 再び砲声が響き渡った。戦場は河畔から2キロ東へ移って久しいが、この西岸の土手も野砲の射程圏に入るだろう。


 危険を訴え、村落に戻ることを推奨する副官たちをやり過ごし、アトロンは土手に腹いになる。彼は他の貴族将軍と異なり、軍服が泥土に汚れることなど意に介さない。


 そして、静かに双眼鏡を眼に当てた。




 戦況が圧倒的に有利になっても、アトロンはヴァーガル河の東側に総指揮所を移そうとしなかった。


 数え切れぬほど戦場に臨んできた彼は、常に最悪の事態を想定し、軍を動かしている。いつ何時も退路の確保を忘れないのだ。


 石橋を叩いて渡るような進軍は、先年のヴァナヘイム戦役の折、帝国軍の活力を阻喪そそうせしめることもあった。だが、彼は「出たとこ勝負」のような采配は決して振るわない。


第1部 序章

https://kakuyomu.jp/works/1177354054894256758/episodes/16816452221247529836



 戦場は博打場ではない。多くの将兵の命を賭けるなど許されないのだ。


 今会戦でもぶれないアトロンのそうした判断は、「慎重さをとおり越した臆病者」と新聞各紙にとどまらず、味方将兵にすら揶揄やゆされていた。


 しかし、そうした批判もこの日の夜明けまでであった。一時の勝利に酔い、全軍がヴァーガル河を渡河していたら、間違いなく帝国軍は瓦解がかいしていたことだろう。




【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


アトロン老将の朝の風景ルーティンが良いと思われた方、🔖や⭐️評価をお願いいたします

👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


アトロンたちが乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「遠雷 下」お楽しみに。


空から敵の騎兵が降って来た。


小覇王が――あのフォラ=カーヴァルが、生きていた。


ブレギアの馬匹たちは、赤い翼を羽ばたかせて飛んでいる――。



実際に起こりようはずもない事態・事象が次々と報告され、しかも、対処まで検討されていく。それらは、帝国側がいかに狼狽ろうばいしていたかを物語っていた。

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