毎日小説No.34 700面相
五月雨前線
1話完結
私には好きな人がいた。
背が高くて、イケメンで、誰よりも優しかった彼。彼と出会ってから程なくして、私は恋に落ちた。彼の顔が頭から離れなくなり、彼と接するたびに切ない気持ちで胸がいっぱいになった。
彼に好かれたくて、彼と付き合いたくて、私は自身を磨き抜いた。化粧の仕方や髪型のセットの仕方を一生懸命勉強して、ダイエットで3キロ体重を落とした。
それほど努力出来たのは、彼と付き合いたいという強い意思があったからに他ならない。私の変わり様は周囲に影響を及ぼし、遂に彼からも「最近印象変わったね。可愛くなったね」という言葉をかけられるまでに至った。
嬉しかった。自分の努力が認められたような気がして、有頂天になった。この勢いで彼をデートに誘って、そして告白しよう。
『アンタ、本当に悠真に告白するつもり?』
私のその決意は、浴びせられた冷たい声によってあっけなく砕け散ってしまった。
『自分のスペック把握してる? アンタみたいな芋女が、悠真と付き合えると思ってるの? 悠真に迷惑かかるだけだから、告白なんてしない方がいいと思うよ』
彼、もとい
私の自信は完全に消失し、心に深い傷が刻まれた。私を罵倒した同級生への怒りの感情は勿論あったが、それよりも「ああ、やっぱり私は駄目なんだ」という諦念が私の心に暗い影を落とした。
分かってた。私は選ばれざる人間だってことを。どれだけ努力しても、元から顔が可愛い女性には勝てないんだってことを。以前から抱いていたコンプレックスが爆発し、心を覆う影はどんどん広がって行った。
ずっとそうだ。自分に自信が持てず、何も掴めずにただ時間だけが過ぎ去っていくことの繰り返し。こんな人生はもう嫌だ。生まれ変わって人生をやり直そう。次はきっと美少女として生まれ落ちることが出来るだろう……。
絶望に打ちひしがれた私は大学をサボりがちになり、ある日なけなしの貯金をはたいて地方の自然豊かな場所へと足を運んだ。人目につかない場所に行き、誰にも迷惑がかからないように自殺するつもりだった。
海が見える景色が綺麗な場所を見つけ、そこに腰を下ろした。スマホを海に投げ捨て、草が生い茂る地面に大の字になって寝そべる。餓死は比較的楽に自殺出来る、という根拠なきネットの情報を信じよう。1週間飲まず食わずでいれば流石に餓死出来るだろう……。
海が凪ぐ音が鼓膜をくすぐり、茜色に染まる夕焼け空が私の視覚を優しく刺激する。今までの人生、そして家族の顔が頭に浮かび、頬を一筋の涙が伝った。
……ごめんね、皆。こんな親不孝な娘で本当にごめん……。
「まだ死ぬには早い」
「ふえっっ!?」
いつの間にか私のすぐ横に、和服を身に纏った老婆が佇んでいた。え、何? 誰? てか、いつからそこにいたの!? なんか体が光ってるんですけど……!?
「まあ落ち着け、私は味方だ。
「ど、どうして私の名前を……」
「私は恋愛を司る神。神の力を使えば、名前なんて見ただけで分かる」
自身は神である、という衝撃のカミングアウトは、何故か私の頭にすんなりと入ってきた。死を決意した身なので、色々と思考を巡らせるのがめんどくさくなったのかもしれない。
「……えっと、それで私に何の用ですか」
「お主の自殺を止めにきた。お主、このままここに居座って餓死するつもりだったろう? 自殺なんて絶対にしてはいかん」
「……」
「自殺なんてしちゃいけないことは分かってる、という顔をしているな。うむ、確かにお主の気持ちは分からんでもない。そこで、お主が本当に大事なことに気付けるように、ある能力を授けてやろう」
「能力?」
「好きなように顔を変えられる能力、通称『700面相』じゃ」
「す、す、好きなような顔を変えられる!? え、ってことは、手軽に整形出来るってことですか!?」
「整形よりももっと簡単に、一瞬にして顔を変えることが出来る。ほれ、試しに理想の顔を思い浮かべてみい」
「理想の顔……」
よくCMで見かける大人気女優の顔を思い浮かべ、自分がその顔立ちになることを想像してみる。ふっ、と冷たい空気が顔を覆ったかと思うと、顔全体に微かな違和感が走った。
「え……あれ……」
「ほれ」
老婆が取り出した手鏡で自身の容姿を観察し、そこで私は驚きに満ちた歓声をあげた。私が思い浮かべた女優とほぼ同じ顔立ちの私が、そこに佇んでいたのである。
「これが700面相!? すごいすごい!! これで私が美少女になって彼氏を作って、幸せになれるってことですよね!! ありがとうございます神様仏様〜!!」
有頂天になってその場で飛び跳ねる私を牽制するかのように、老婆が大きく咳払いをした。
「幸せになれる、なんて誰が言った? 私は、『本当に大事なことに気付ける』と言ったはずだが」
「え、だって、こんな美人になれればすぐに幸せになれますよね? それに、大事なことって……?」
「いずれ分かる」
そう言い残し、老婆は光の粒子となって消えていった。
最後の老婆の言葉が少しだけ気になったが、そんなことはすぐに思考の隅に追いやられ、私は明日から始まるハーレム人生へ想いを巡らせた。今までの非モテ人生とは今日でおさらばだ。すぐに優男イケメンの彼氏を作って、青春を謳歌してやる! 老婆からもらった手鏡で美しくなった自分の顔を何度もチェックしながら、私は帰路についたのだった。
***
おかしい。
こんなはずじゃなかったのに。
雨が降りしきる日の午後2時過ぎ、私は傘も刺さずに自宅から遠く離れた地域の公園のベンチに腰掛けていた。天から降り注ぐ雨水と、頬から流れる涙の雫が混ざり合い、一体となって地面の水たまりに落下していく。
水たまりを直視したくない。自分の顔を見たくない。私は足元の水たまりを思い切り踏みつけ、両手で顔を覆って泣いた。泣き続けた。
老婆から能力を授かり、薔薇色の人生がスタートすると思っていたのに、現実は違った。優男の彼氏を作るどころか、女の顔と体しか見ていない男に次々と絡まれ、付け回される様になってしまったのである。
一度、大学で背の高い日焼けした男に絡まれたことがあった。その男に無理やり体を触られ、挙句の果てにホテルに連れ込まれそうになった。その時は何とか逃げ出せたが、その一件は私の心に深い傷を残した。
そんなことが立て続けに起こり、恐怖に駆られる度に私は能力を使って顔を変えて逃げた。そして別の場所に行ってそこで彼氏を作ろうと思ったが、状況は変わらなかった。男から向けられる値踏みする様ないやらしい視線、そして女から向けられる妬みや嫉妬に満ちた視線。どこに行ってもその両方が浴びせられる。私は大いに悲しみ、そして混乱した。
何で? 折角可愛くなれる能力を手に入れたのに、どうして私は未だに苦しんでいるの? どうして私は幸せになれないの? こんな惨めな状態、能力をもらう前の私と変わらないじゃないか。
顔を変える、逃げる、また顔を変えるというムーブを繰り返していた内に、顔の筋肉が言うことを効かなくなった。焦った私は一旦元の自分の顔に戻そうとしたが、顔を変えすぎた結果、純粋な自分の顔が分からなくなってしまっていることに気付いた。能力を使いすぎたんだ、と気付いた時には時既に遅しだった。何百回も顔を変化させたことで様々な種類の顔のパーツが混ざり合い、さながらキュビズム手法によって描かれたピカソの絵の人物の様に、私の顔は色々なものが汚く混ざり合った肉の塊になってしまったのである。
「こんなことなら……能力なんてもらうんじゃなかった……」
慟哭に満ちた独り言は、地面に打ち付けられる雨の音で瞬時にかき消された。
「……い」
もう駄目だ。こんな顔じゃ表を歩けない。今度こそ、死ぬしかない。
「……―い!! ……こ〜!」
この雨が止んだら、駅のホームにでも飛び込んで死のう。そうすれば、今度こそ楽になれる。やっぱり私は最初から幸せになれない運命だったんだ……。
「おーい!!! 千佳子〜!!!」
「!?」
雨音を切り裂く様に、ばしゃばしゃと足音が近づいてくる。そして、今の声。
嘘。そんな。まさか。
ずぶ濡れの私の前に現れたのは、橋本悠真先輩だった。
「っせ、せんぱ……い……?」
「やっと見つけた!! 探したよ全く……」
傘を差しながらも、服の至るところがびしょ濡れになっている先輩。水も滴るいい男、とはまさに言い得て妙で、豪雨の中私の前に現れた先輩は、最高にかっこよかった。
「!!!!!」
そこで私は、自分がピカソもびっくりの奇怪な顔立ちになっていることを思い出し、先輩から顔を背けた。
「先輩! わ、私の顔、見ないでください!!」
「え? 千佳子、何言ってるんだ?」
「私の顔、今すごく変なんです! だから、その、一旦離れ」
「別に、いつもの可愛い千佳子じゃないか。変なところなんてどこにもないぞ。強いて言うなら、雨でメイクが崩れてるくらいか」
至近距離で近づく先輩の顔。
私の顎にそっと添えられた先輩の右手。
こ、ここここ、これって……。
あ、顎クイ!? え、あの二次元でしか見たことがない幻の胸キュン行為を、憧れの先輩にされてるってこと!?
こんな顔じゃ生きていけない、死にたい、という負の感情から、クイされて嬉しくて昇天しそう、という正の感情に切り替わる。まるでジェットコースターのように変化する自身の感情に、私が一番振り回されていた。
「何で急に大学に来なくなったんだ」
「え、あ……ごめんなさい。その、色々あっ」
天から雨が降りしきる音が止まり、雫が地面に打ち付けられる音が止まった。
「て……」
今や、私の胸の鼓動だけが聞こえてくる。
何が起きているのかを理解するのに数秒を要した。数秒を要した後、私は先輩に抱き締められているという事実に気付いた。
「せ、せんぱい……!?」
「俺が……俺がどれだけ心配したと思ってるんだ……!!」
傘も刺さずに抱き合う私達の体温はどんどん低下しているはずなのに、狂ったように脈打つ心臓のせいで全身が火を吹いたかのように熱い。
「先輩、恥ずかしいです……」
「こんなに雨が降ってるんだ、誰にも見られやしないさ」
「わ、私、頭が混乱しちゃってよく分からないです……! 何で、何で私にこんなことしてるんですか!」
「千佳子のことが好きだからに決まってるだろ」
「っ!!!」
全身を流れる血液が沸騰し、体温が急上昇して体が熱を帯びる。理解が追いつかない。
あの先輩が、私のことを好き? 何故? 私は、悠真先輩と不釣り合いな芋女じゃなかったの? 顔を変えることでしか輝けない700面相じゃなかったの?
その疑問と、以前金髪の同級生に言われた暴言の内容を、途切れ途切れながらも言葉にしてみた。
「真美のやつ、何でそんなことを言ったんだ? 俺は、真面目で、頑張り屋で、気配りが出来る千佳子のことが大好きなんだ。そもそも、いわれのない他人の言葉なんて気にする必要なんてないだろ?」
先輩の言葉の一音一音が、私の心の奥底に深く浸透していく。
ああ、そうか。そうだったんだ。
私はただ、一人で傷ついて、落ち込んで、自分に蓋をしていただけだったんだ。
顔を変えるとか変えないとか、そういう次元の話じゃなかった。私の内面を見てくれる人こそが、何よりも尊い大切な存在だってことに、やっと気付けた。
『本当に大事なことに気付ける』
あの老婆の言葉の意味がようやく理解出来た。
700面相の能力なんて、いらない。ありのままの私を愛してくれる人が一人でもいてくれれば、それだけで充分だから。
大事なことに気付けた喜び、自分の顔を取り戻せた喜び、そして先輩に愛されることの幸福を噛み締め、私は声を上げて笑った。つられて先輩も朗らかに笑い、私達は再び抱き合った。いつの間にか雨は止み、灰色の空の隙間から差し込んだ光が私達を淡く照らしていた。
***
「やっとくっついたか。全く……恋愛は見た目より中身という常識を信じきれない人間が多すぎる。まあ、情報過多で幾らでも比較対象が見つかる現代では、仕方のないことかもしれんが」
一部始終を見届けた老婆はほっと息を吐き、ぱちんと指を鳴らした。免田千佳子の700面相の能力を消去したのである。気付きを得た彼女に、もうこの能力は必要ない。
ストレートに大事なことを伝えて諭すのではなく、敢えて一度苦しさを経験させたところで、自ら大事なことに気付く様に誘導する。それが神様、もとい慈愛明全乃命のやり方だった。
命を散らしかけた若者を救えた喜びに浸る間もなく、慈愛明全乃命は足早に次の場所へと向かう。免田千佳子同様に悩み苦しむ人が大勢いるのだ。ぐずぐずしてはいられない。
神様は今日も奔走する。情報過多の世界で怯え、苦しみ、それでも幸せを願う人々を一人でも多く導くために……。
完
毎日小説No.34 700面相 五月雨前線 @am3160
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