第16話 風信子
「てーんちょう店長店長店長っ!!」
「おわあああっ、あっ桜さんじゃないですか! なんですかなんですか!? あとその風信子の花束なんですか!?」
私がいきなり勢いよく扉を開けたので、店長が椅子から転げ落ちてしまった。申し訳ない。
「これは阿部さんの家から貰った花たちです! ものすごく時間がかかったけど頑張って取ってきました! 風子さんを呼んでください! さぁ! 早く!」
店長はなにがなんだか分からないような表情のまま、彼岸に繋がる左の扉から飛び出ていった。
今の時刻は16時過ぎ。風信子を取ってたらこんな時間になってしまった。しょうがないけど庭荒れすぎ…。そして私不器用過ぎ…。
カウンターに置いてあった茶色のエプロンを装着する。割と好きかもしれない、このエプロン。
すると店長が割と早めに駆け戻ってきた。
「ちょっとしたらすぐ来るそうです。それにしても本当に仕事ができますねあなたは。プロポーズの言葉も聞けて来たんですか?」
「聞けましたけど、ほぼほぼ真司さんのおかげですよ。私が何者かを察して『何か聞きたいことや、言いたいことはありますか?』って。なんにしてもすごくいいご夫婦ですよね」
私が持っているのは、白、紫、桃、黄、そして青色の風信子の花束。
忙しい中これだけは、と青斗さんが意地で管理しているらしい。彼は風信子夫妻の子供だから、やはり思い入れがあるんだろうな。そういえば、青い風信子の花言葉は『変わらぬ愛』だった。
カランッと鈴の音が来訪者を迎える。美しい貴婦人が、お店に一歩足を踏み入れた。
「あら、昨日のお嬢さんじゃないの。その茶色のエプロン素敵ねぇ。……その花束は……?」
風子さんは、私が持つ風信子達を見て立ち止まる。
私は少しずつ、少しずつ風子さんの元へ歩く。
そして、黙って深く礼をしながら、色とろどりの可憐な風信子たちを風子さんに差し出して押し付けた。
真司さんのプロポーズと同じように。
「あぁ……そうね、そうだった。あの人はそうだったわ。どうして忘れていたんでしょう。あの人は、声を出せなかったんだわ。あたしに、突然レストランで、この色とりどりの風信子の花束を渡したのよ。しどろもどろで、言葉なんてなくて、ただ顔を真っ赤にして涙目で……。とっても情けなかった。でも一緒に生きたいって思えたのよ……」
風子さんはきっとプロポーズを受けた時と同じ反応をしている。
受け取って、笑って、花束を抱きしめている。やっぱり素敵な夫婦だ。
「これ、あたしのお家の風信子ね? 見てすぐわかったの。あぁ、綺麗な青色。ありがとう、お嬢さん。本当にありがとう」
風子さんは花束を片手に抱えて私を抱きしめてくれた。ふわりと春の香りがする。
「あの、真司さんからの伝言です。『桃花にランドセルを買うまではそっちに行くつもりはありません』だそうです」
まぁ、と言いながら風子さんは口に手を当てる。
そしてすぐいたずら好きの少女のような笑顔に戻った。
「しばらく来ないで欲しいわ。なんならそのランドセルが使い古されるまで桃花と一緒にいなさいって機会があったらでいいから、遠回しに伝えてくれる?」
「わかりました。必ずお伝えします」
風子さんはくるりと店長の方向に向き直った。
「店長、ありがとうね。わがままを言っている自覚はあったのよ。これで夫に自信満々に逢えるわ」
「いーえいえ、僕実はなーんもしてません。桜さんがいてこそです。これからは忘れ事屋さんも開業しようと思ってましてね。ね? 桜さん」
店長はバチーンとウィンクをしてくる。待って待って待って短期のはずだよね?
──でもこんな風に感謝されるなら、やってもいいかもしれない。そして忘れ物をよくする私にとってこの店は手放せない。
「はい……そうですね……」
店長がそんな顔できたの? ってくらい笑顔になってる。なんかちょっと悔しい。
「では、あたしは帰るわね。職場から抜け出して来ちゃったから。この風信子は私に供えられた物だから、持って帰っていいのよね。みんなに自慢するわ。お嬢さん! 本当にありがとう!」
風子さんは花束を大切に大切に抱えて店を出た。
カランッと音が聞こえたと同時に、後ろから魔王のような低く恐ろしい笑い声が聞こえる。
「ふっふっふ、じゃあ、そのエプロンは返してもらわなくて良さそうですね!」
私は精一杯顔を歪めるが、店長のにこやかな笑みはそれを無視する。
「……これからよろしくお願いします……」
「はいよろしくお願いします。これからは用事がないときはシフトということで、ぜひ馬車馬の如く働いてください」
渋々頭を下げると、店長も深々と頭を下げた。
「さーくーらー! 起きろー! 今日から応援指導が始まるんだよー!! 歌詞は暗記できただろうけど寝ぼけてると間違うよー!!」
正アルバイトになってから一日。本日から応援指導だと椿がうるさい。いや分かるけども。
昨日の風子さんの笑みを思い出してはなんだか嬉しくなって笑わずにはいられない。
「ん? 桜どうしたの? ニヤニヤしちゃって」
「いやー、人の人生って物語そのものだよね」
思わず呟いた。椿はきょとんとしている。
「何さ急に。どうしたの桜。最近なんかちょっとおかしいよ? 新生活に浮かれてるの?」
「なんでもないよ。ほら走ろう!」
「えー! 待ってー!!」
私たちは走る。走って起こしたこの風が、きっとどこかの風信子を踊らせたと信じたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます