第15話 風信子
お見舞いにちょうどいい時間はお昼時が終わった十四時かららしい。今の時間は十四時ちょっと過ぎだ。
お見舞いの品にちょっとしたお菓子を買っていったから時間がかかっちゃった。真司さんの部屋には小さいチョコレートがあったから、食事制限はあれど、まぁささやかなクッキー程度なら大丈夫だろう。
不慣れながらも面会者記録に名前を書いて、昨日の病室に向かった。
「おや、今日も来てくださったのですね」
真司さんが昨日のようにベッドに座っている。私は小さく礼をした。
「まぁまぁ、お座りください。昨日あげようと思っていたけれど出せなかったお菓子がありますから、どうぞ食べて食べて」
「いいんですか? ではいただきます。これ、お見舞いの品です」
クッキー缶を渡す。真司さんは点滴に繋がれた手でゆっくりと受け取ってくれた。
「これはご親切に。可愛らしいクッキーだこと。孫と一緒にいただきますね」
昨日の保育園で熱を出した子のことかな……?
「お孫さんって、昨日の桃花ちゃんって子ですか?」
「よく覚えていますね。そうです。今は保育園に行ってましてね、来年小学校に入学なんですよ」
真司さんは優しい祖父の目をしている。うちのおじいちゃんも、私の口にまんじゅうを突っ込む時こんな目してたな。
「それは楽しみですね」
どうしよう。店長に意気揚々と行ってきますとは言ったものの、どうやって聞き出そう。よくよく考えたら、初対面にも等しい人に「あなたが使ったプロポーズの言葉はなんですか?」なんて新婚さんを迎える番組じゃあるまいし、聞けるわけなくない?
すると真司さんは急に真面目な顔になって言った。
「何か聞きたいことや、言いたいことはありますか?」
おお……? なんでか知らないけど急にチャンスが来たんだけど……?
とにかくこの好機を逃したらきっと次は無いだろう。お言葉に甘えて訊いてしまえ。
「では、単刀直入にお伺いします。昨日少し触れていましたが、真司さんが風子さんに使ったプロポーズの言葉を、教えてください」
真っ直ぐ言った。なんの誤魔化しも混ぜずに言った。だって私こういうの苦手だし。真司さんは唖然としている。そりゃそうだ。私が悪い。
すると真司さんは少し笑って、気が緩んだらしく天井を見上げた。
「なるほどぉ……。そうですね、とても恥ずかしい話ではあるのですが、まぁお話ししてみましょうか」
真司さんは元々白かった頬を少しだけ赤色に染めながら、好きな人の内緒話をする小学生のように、私に耳打ちしてこっそり教えてくれた。
面会時間は三十分が限界である。今は面会が始まって二十五分が経過していた。もう一つのお願いを言ってさっさと帰ろう。
「あの、もしよろしければ阿部さんの家の風信子を何輪かいただけませんか?」
すると真司さんはにっこり笑ってどうぞのジェスチャーをする。
「家に帰れていないので荒れ放題かと思いますが、そうですね、色ごとに一輪ずつ持って行ってください。不法侵入として訴えません。うちの綺麗な花達を持って行ってやってください」
ほっと胸を撫で下ろす。任務完了だぁ〜! やったぁ! さぁ帰ろう。一刻も早く忘れ物屋さんに行って店長に会わないと風子さんに会わないと。
「妻に、よろしくお願いいたします」
「はい! わかりまし……た?」
あれ……? 真司さんなんて言った?
「実は僕はね、妻の生徒さんの顔は全員覚えているつもりなんですよ。ピアノ教室の場所は我が家でしたからね。でもあなたはいなかった。風信子の話も、生徒さんなら知っているはずなのです。怪しい人だなと思ったら妻の話をしだすから、もしかしたら僕にお迎えが来たのかと思いましてね」
何も言えない。真司さんがあまりにも賢すぎる。
「さっき言いたいことはないのかと聞いたら『プロポーズの言葉は何か』なんて言うからびっくりしましたよ。お迎えに来ました、なんて言うと思いましたから。なぜプロポーズの言葉を知りたかったのかは皆目検討もつきませんが、いずれ分かることを楽しみにします」
そうか、天からの使いだと思われていたのか。実際少しだけあってるけど! 使いといってもアルバイトだけど!
「妻に伝えていただけませんか? 桃花にランドセルを買うまではそっちに行くつもりはありません、と」
真司さんはクシャッと笑った。私はこの笑顔を知っている。泣くのを堪えてる顔だ。きっと、本当は風子さんに逢いたくて逢いたくて仕方がないんだ。
なんて素敵な夫婦なんだろう。
「わかりました。必ずお伝えします。できるのなら、明日の結婚記念日、真司さんからの風信子の花を用意して、最愛の奥様に届きますように、と祈ってください」
真司さんは面食らっている。結婚記念日を当てられてびっくりしているのだろうな。ちょっといたずらが成功した気分になった。真司さんはゆっくりと朗らかに笑い、礼をする。
「了解しました。よろしくお願いいたします」
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