第19話
「おばあちゃんは……去年の夏、亡くなりました」
優香から、家族のことはあまり聞いていなかった。
だから、僕はこの時、今まで知らなかった優香の中に秘められている気持ちについて、扉が開かれたのだと、直感的にわかった。
おばあちゃんの浴衣というモノの思い出なのか、あるいは花火の大きな光と音の強烈なインパクトがそうさせたのか。
理由はわからないが、今、優香は僕に、何かを見せようとしている。そう思ったのだ。
僕は彼氏として、慎重に、優香を傷つけないように、それについて知り、必要なら助けてあげないといけない。
強く、そう思った。
「こっち、来なよ」
ベランダ上の僕と優香はけっこう距離があったので、僕は優香に手招きした。
優香はぐず、ぐずと泣き始めるところだった。子供だったらうわーんと大声を上げるところだが、優香は必死で嗚咽を抑えている。
恋愛経験とか皆無の僕でも、今泣き出した女の子に無理やり何かを話させるなんて、してはいけないことだということはわかっている。
優香は、僕のすぐとなり、肩が触れ合うくらいの距離まで近づいた。僕は優香の肩にやさしく手を置いた。
「辛いよね。僕も、両親が家にいなくておばあちゃんに面倒見てもらってた時期とかあるから、いなくなったら寂しい気持ちはわかるよ」
「は、い……」
高校生なら、祖父母が亡くなっていてもおかしくはない。肉親が亡くなったら大小さまざまな悲しみは発生するだろう。しかし思い出したら泣くほど辛いということは、優香のおばあちゃんに対する思い入れは、相当強かったに違いない。
「急だったの?」
「はい……春のころは、まだ元気だったんです……優香、おばあちゃんが、体長悪いの、全然知らなくて」
「ピアノの練習、頑張ってたから?」
「そう、です……」
ここで、優香がいっそう激しく、ぐすっ、ぐすっと嗚咽を上げはじめた。
ピアノの練習に没頭していたために、おばあちゃんの死期に気づけなかった。
それは、後悔するだろう。
「おばあちゃんは……優香がピアノを頑張ってるの、いつも応援してくれていたので……優香もちゃんと、おばあちゃんの期待に答えるために、毎日頑張ってて……でも、そのせいで、おばあちゃんのこと、少し忘れてて」
「うん」
「それから優香はピアノが弾けなくなって……おばあちゃんと、ピアノ頑張るって約束してたのに……今は……先輩がいないと、ろくに勉強もできない、だめな子で……」
「だめな子なんかじゃないよ!」
僕は、優香の肩をぐっと握った。
少し痛かったか。あるいは大きな声に驚いたのか。優香は体をすくめた。
「ごめん」
僕は一度、肩から腕を離した。
乱暴なことをするつもりはなかった。ただ僕は、いつになっても自尊心が低い優香に対して、このままではいけないという気持ちが強かった。
「優香ちゃんはさ、今色々あってピアノは弾けなくなった。おばあちゃんと約束していたことと違っている。それは確かに辛いことだと思う。でも今の優香ちゃんは、全然できなかった勉強をちゃんと一から頑張って、いい成績になってるじゃないか」
「それは……航さんが、いてくれたからで……」
「僕なんか関係ないよ。何時間教えたって、僕なんかよりもっといい塾に通ったって、本人のやる気と努力がないと、成績は絶対上がらないんだから。それを持っていたのは、優香ちゃんだよ」
「……うっ」
「優香ちゃんがね、ピアノではないにしても、期待してくれたおばあちゃんに対して裏切ってはいけない、っていう気持ちを強く持っていたから、実行に移せたんだよ」
「……」
「優香ちゃんは、何も間違ってないよ」
珍しく僕が語気を荒げたからか、優香はきょとんとしていた。嗚咽も収まっている。
「……今日の航さん、優しいです」
「……えっ、そう? いつも優しくしてない?」
「いつも優しいですけど、今日はもっと優しいです。優香、ちょっと元気出ました」
「まあ、それならよかった。花火見ようよ、今見逃したら来年まで見れないんだから」
「はいっ……あの、一つお願いしてもいいですか」
「なに?」
「ここ……」
優香は、先程まで僕の手が置かれていた肩をぽんぽん、と自分で叩いた。
「ああ、うん、いいよ」
僕がその肩に手を置くと、優香はそっと、体ごとぼくに預けてきた。それは一人の人間にしてはとても軽い感触だったが、優香の気持ちが僕の体へ直接伝わってくるようで、その時の体の中が直接温まるような感じは、もっと優香を守らなければならない、という僕の気持ちをいっそう強くさせた。
* * *
夜九時前になって、クライマックスの一斉に打ち出される花火が上がった。
それまで、僕は本当に花火を初めて見るという優香と、花火たちの色や形について、他愛のない会話で盛り上がっていた。
泣き顔だった優香はすっかり回復し、上機嫌になっていた。
もう遅い時間で、毎日夜中までゲームしてる僕はともかく、優香にとっては眠気が回ってくる頃だったので、今日はもう、優香を玄関まで送って終わりにするつもりだった。
ベランダから戻った時、リビングに置いていた僕の携帯がずっと鳴っていることに気づいた。
「電話? こんな時間に何だろう」
画面を見ると、佐藤くんからだった。
この前、海水浴に行った時、お互いに連絡先を交換していたのだ。佐藤くんは部活で忙しいこともあり、その後やり取りをすることはなかったのだが。なぜこのタイミングで?
理由はわからなかったが、デキる後輩との縁を切りたくないので、僕は電話に出た。
『先輩……家、花火大会の会場の近くでしたよね』
「うん、そうだけど? どうかした?」
『今から行っていいすか』
「えっなんで?」
優香と家で一緒にいるところさえ見られなければ、別に僕は構わないけど。それよりこんな時間に来て何がしたいのだろう。終電まで時間はあるはずだ。
『実は……さっき、真里に振られたんす』
「え」
「えっ!?」
音漏れしていたらしく、隣で聞いていた優香の方が大声を上げた。
お隣のちいさな女の子に勉強を教えていたら、お礼にご飯を作ってくれるようになった。ただそれだけの話。 瀬々良木 清 @seseragipure
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