恐怖と夕日

 オダナガと共に白石達がいる机へと戻ると、夜見が藤崎と話しているのが目に入った。藤崎は初対面、しかも相手が夜見ということもあって少し気恥ずかしそうにしている。


「へえ、そうなんですね。他の人達も同じように大学の授業で?」


「は、はい。皆、僕なんかと仲良くしてくれて……あ、奏多くん」


「悪かったな、突然席を外して」


「いえ、全然大丈夫ですよ」


 席に着くと夜見はこちらに視線を向けてにこりと微笑む。それだけの所作なのに、僕からみてもそれが自分の美貌が最大限発揮されるように洗練されていることがありありと分かった。

 中学の時はそんな様子のかけらもなかったし、高校の時もここまでじゃなかった気がするが……大学に入ってから何かあったのだろうか。

 

「……どうかしましたか?」


 思考に耽っている僕を不思議に思ったのか、夜見はなんだか不安そうな目つきで尋ねてくる。


「いや、なんというか。夜見、変わったなって思って」


「…‥変わった、ですか? 具体的には、どう……」


 夜見の声が尻すぼみになる。その声は、どこか期待しているようで、どこか怖がっているような相反した感情を含んだ物だった。

 

「そうだな、なんていうか──」


 別に、変わったというのは中学の時と比べて、という意味ではない。ましてや身長や顔、髪などの身体的特徴というわけでもない。変わったと思ったのは、彼女がまとう雰囲気。

 触れたらすぐに壊れてしまいそうな、脆くて透き通った水晶みたいな。儚くなったというか、繊細になったというか、不安定というか。流石に脆くなったね、なんて言うわけにもいかないので色々と頭の中をこねくり回してみても、いまいち良い言葉が見つからない。

 なんとか搾り出された言葉は──


「綺麗に、なったよね」


「っ……!」


 言葉が口から出た瞬間、少し言葉選びを間違えたなと後悔する。あたり触りの無い言葉と言えばそうだし、別に嘘では無いのだがこれじゃ口説いてるみたいだな……

 勿論夜見はそんな月並みな言葉聞き慣れているだろうけど、中学の時僕がそんなこと言うタイプじゃなかったからか、目を丸くして驚いた表情を浮かべている。

 

「ほ、本当ですかね……?」


「まあ、あくまで僕個人の感想だけど……本当だよ」


「ありがとうございます。嬉しいです」


 そんなやり取り、夜見は幾度なく繰り返してきたはずなのに、お礼まで言ってくる夜見の顔に浮かぶ魅惑的な笑顔には、ありありと喜びの感情が表れていた。

 危うく、本当に夜見が自分に褒められて心の底から喜んでいるのだと錯覚してしまうところだ。

 しかし、ここで一つの疑問が頭に浮かんだ。なんで夜見はこんな場所に来たのだろうか、夜見がわざわざこんな合コンに来るメリットがあるとは思えない。もしかして白石目当て……なら当の本人をほったらかして僕と話しているわけがない。

 頭に浮かんだ疑問は言葉となってそのまま口から離れていった。


「夜見はさ、なんで合コンに来たんだ? 正直夜見だったら、いや夜見こそわざわざこんな所に来る必要ないだろ」


「ダメですよ奏多君。こんな所、なんて言ったら」


 人差し指を立てて、顔を可愛らしくムッとさせながら『めっ』なんて言葉を幻視させる仕草で注意をしてくる夜見。今でも根が真面目なのは変わっていないんだな、と何故だか安堵した。

 そして夜見は少し考え込むような素振りを見せた後、でも、と言葉を続ける。


「確かに私はこう言う場所に好き好んで参加するタイプでは無いですね」


「なら、なんで……」


「──気まぐれ、ですよ」


「気まぐれ?」


「そう、奏多君と一緒ですね?」


 夜見は軽く首を傾けながら僕に同意を求めてくる。

 一緒‥‥一緒か? 夜見の気まぐれは僕と違って、富豪の嗜みというか、上流階級の人間が庶民の暮らしを観察に……みたいな感じがするけど。

 

「夜見のそれと僕のは色々世界が違う気がするけどな……」


 軽く呆れて、ため息を一つつく。そう、今は奇跡的に僕と夜見の世界が交わっているけれども、恐らく今日が終わったらもう二度交わることはないだろう。


「え……?」


 頬杖をつきながら、視線を何となくついに二人で話し始めた藤崎とオダナガの方に向けていたが、夜見の今までとは打って変わった弱々しい声が耳に入って、咄嗟に視線を正面に戻す。そして、目を見開いた。

 視界に映った夜見の顔は、恐怖で染まっていた。


「い……、いやそんなことないですよ! だって……」


 焦ったような甲高い声が反響する。何となく周囲の視線が自分達に集まるのが分かった。

 なんの危険もない都会の飲食店の中だというのに、夜見は何かに怯えていた。ここまで一瞬たりとも崩れることのなかった彼女が纏っていた神聖とまでも言える雰囲気は見る陰もない。どこが懐かしい彼女の素顔が見え隠れしていた。

 

「お、おい夜見?」


「……嫌、嫌です。そんなの……」


 何と言ってるのか聞き取れないほど小さな声が夜見から発せられる。瞬間、夜見の瞳が涙で滲んだ。これはまずい。本能で危機を察知した僕は頭を回らせてこの状況を切り抜ける方法を模索し出した。


「よ、夜見! ちょっと外に出て風にでもあたりにいかないか?」


女の子を泣かせてしまうなんて状況に直面しなかった僕が捻り出した案は破れかぶれとしか言いようがなかったが、何もしないよりはマシなので実行しようと席を立つ。


「え、は、はい……?」


 夜見の手をつかんで、そのまま半ば無理やり夜見とこの場から連れ出そうとする。夜見は特に抵抗もせず大人しく引っ張られて着いてきてくれたため、何の障害もなく店の外に出ることができた。

 既に外はもう薄暗くなっており、空お見上げるとビルの隙間に悠然と佇む夕日が僕の目に入る。昼間の太陽とはまた違う燃え盛るような赤は僕には不釣り合いに思えた。

 振り返ると、さっきまで浮かべていた恐怖の感情の代わりに戸惑いと申し訳なさを露わにしている夜見が店の入り口の前に立っていた。


「あー、悪かったな」


「……はい?」


 何に対しての言葉か分からない、という風に夜見は首を傾げた。


「いや、急に連れ出してさ。……後、僕の発言何か気に障ったみたいだし」


 正直何が悪かったのかは皆目見当がつかないが、泣かせた時点でこっちが悪い。大人しく謝ったほうがいいだろう。

 夜見は一瞬ピタリと動きを止め、その後すぐ再起動して矢継ぎ早に喋り始めた。


「えっ、いやそんな事、というより私の方こそ取り乱しちゃって……。急にあんな反応しちゃって迷惑でしたよね……ほ、本当に、申し訳ないです……!」


 ワタワタと焦って、視線をやや下に向けてどもりながら喋っている夜見はさっきまでとはまるで別人に見えた。

 

「ははっ」


 思わず、笑みが溢れる。目の前の必死に謝っている夜見に対して失礼だと分かっていながら、口が弧を描くのを止められなかった。


「え、えっと……私、何か変なこといいましたか?」


 店から出てきた時よりも、さらに戸惑った……というより困った表情を浮かべている夜見に対して、慌てて弁明の言葉を紡ぐ。


「いや、何でもないよ。ただ、なんか懐かしいというか……」


 今の夜見の姿は中学の時の、図書室に僕と二人きりで時間を過ごしていたあの頃の彼女とどうしようもなく重なった。

 勝手に変わっていたと思っていた。もう僕とは全く別のところにいる人間なんだと。

 でも、僕がそう思っていただけで、実際はそんなことないのかもしれない。

 そして、実際は違うのに周りからそんなふうに見られるってことは、僕には想像も及びつかないが辛いことなのだろう。


「氷星さんの言う通り、とりあえずやってみるもんだな……」


「氷星さん?」


「あっ、ごめん。口に出てた?」


 夜見の少し驚いたような声が耳たぶを打って、自分がいつの間にか頭の中の思考を口に出していることに気がついた。


「氷星さんって、もしかして大学生の女の人ですか?」


「えっ? そ、そうだけど……なんで? あっ、もしかして知り合い?」


 夜見の予想外の言葉に声が漏れるが、夜見の交友関係なら知り合いでもおかしくないだろうと納得する。


「いえ、そういうわけではないんですが……その人、ここら辺じゃちょっとした有名人なんですよ」


「有名人?」


 まあ確かに氷星さんは美人だけれども……それだけじゃ有名になんてならないだろう。

 もしかして──


「昔から彼氏を作っては別れ、作っては別れを繰り返しているそうで、何でもその数が尋常じゃないらしいんですよね」


 想像したことがそっくりそのまま夜見の口から発せられて、思わずため息をこぼす。まあそれしかないよな……


「それにですね。あくまで噂なんですが、氷星さん子供の頃親から虐待を受けていたらしくて」


「え?」


「それで、何でもそのせいで愛に飢えてるから、彼氏を取っ替え引っ替えしてるなんていう憶測があるんですよ」


 夜見が明かした衝撃の事実に動揺を隠さず僕は固まってしまう。氷星さんにそんな過去があったなんて……人の秘密を勝手に暴いたようで少し申し訳なさを感じる。

 けれど、同時に僕は夜見の言葉に少しの違和感を覚えていた。氷星さんが愛に飢えている、でも少なくとも僕は彼女と関わってみてもそんな印象は全く受けなかった。というより、むしろ──


「だから、あんまり氷星さんと関わるのはやめた方がいいかもしれないです。聞くところによると、またつい最近彼氏と別れて今はフリーらしいです。奏多さんは優しいですし、もしかしたら狙われ──」


「いや、それは無理かな」


「なっ、何でですか……?」


「僕、噂とか基本信じないタイプなんだよな。ましてやそれで行動を変えるとかは絶対にしたくないし、しない。それに……」


 改めて、目の前にいるただ本が好きなだけの一人の女の子を見つめる。


「決めつけたり、思い込むのは良くないってさっき学んだばかりだしな」


 見上げた空に浮かんでいる夕日は、僕の心を照らしてくれているような気がした。

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何故か陰キャの僕が美少女達に激重感情を向けられてるんですが? @himjin

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