過去と図書室
流石にこれは予想外だったな……まあ、現実は思っていたよりも厳しいということだろう。
僕の大学の近くにある、とある飲食店の中で出されたお冷を飲みながら僕はそんなことを思った。
視線の先には白石と……顔をやや赤くしながら白石と話している女の子3人。
チラリと視線を白石の奥にやれば、生気をなくしてこの世の中に絶望したような顔をしたオダナガと困ったように微笑んでいる藤崎君が見えた。
そして視線を正面へと戻せば……
「どうしたんですか? そんなに私のことを見つめて……ちょっと恥ずかしいです」
性別は違うが、顔の整い具合で言えば白石に勝るとも劣らないレベルの美少女がこちらに微笑みかけてくる。特に目に止まるのは、まるで輝いているかのような艶をたたえた黒髪。
高校の時に金色に染まっていた髪は、色が変わってもなお変わらず彼女の美貌を際立たせていた。
「いや……まだ僕のこと覚えてたなんて、ちょっと驚いたんだよ」
確かに、彼女とは僕としてはそれなりに長い付き合いだったが、彼女からしたら既に忘れ去られていた過去のことだと思っていた。
「当たり前です。私が貴方のことを忘れるなんて、ありえないじゃないですか」
……まただ。氷星さんに初めて会った時に感じた、いや、それよりも遥かに強い違和感。目の前の彼女が、中学の時の彼女とも高校の時の彼女ともどうしても重ならない。
彼女──
そしてそんな付き合いも高校生となってからしばらくすると無くなってしまった。
理由は……彼女が変わったから。いや、僕が変わらなかったから、とも言うかもしれない。
きっかけは天気予報を裏切る突然の大雨に、僕がたまらず近くの建物の下へと避難した時、たまたま夜見と鉢合わせたことだ。
中学までの夜身の容姿というか服装は、黒縁の丸眼鏡に目までかかるほどに伸び切った前髪、ついでに大抵の時はマスクをつけているといった感じだった。
だから、ある意味で僕はその時夜見の素顔を初めて目にしたのだ。そして、伸びた髪で隠れていた彼女の美貌も。濡れて水が滴っている髪をかき上げて顕になった彼女の顔は言わば、『造られた美』といった感じで、のちに天使なんていう異名がつけられるほど整っていた。
一見地味で暗い女の子が、実は……なんて展開は物語の中だけだと思っていた。現実は小説より奇なりというが、まさかそんな人物があんな身近にいるとは想像もしていなかった。
確かそれが夏休みの半ばごろのこと。そして、夏休みが明けた最初の登校日、僕が目にしたのは老若男女……というよりは学校の生徒の視線を釘付けにしている夜見の姿だった。
一体何を思って彼女は自分の美貌をさらけ出すことを決めたのだろうか。それは未だに謎のままだ。
……正直に言おう。ぶっちゃけ少し夜見は僕に気があるんじゃないのか、なんて思っていた。あの雨の日に僕が夜見の容姿を褒めたから……なんていう物が根拠の、今思えば荒唐無稽な妄想である。
まあそれも、あっという間にクラスの中心人物となった夜見の周りには常に人だかりが出来るようになり、いつのまにか図書委員は別の人に変わっていて夜見とは疎遠になってしまった。
容姿だけでなく性格も陽キャっぽくなった夜見にとって、僕みたいなやつの相手は退屈だったのだろう。仮に僕が陽キャを気取ったところで、ただ痛々しいだけだからどうしようもなかったけれど。
少しだけ未練はあった。湯川との騒がしい会話と対照的な、短いけれど好きな本のことについてゆったりと話す時間は僕にとって心地いいものだった。
しかし、もともと僕と彼女は住む世界が違ったのだ。そう割り切って僕は湯川も夜見もいなくなった図書室で一人本を読んで残りの高校生活を過ごした……のだが。まさかこんな形で再開するとは夢にも思わなかった。
「奏多君は、何で今日ここに来たんですか? あんまりこういうところ来るタイプじゃないと思ってました」
「……気まぐれ、だよ。友達に誘われて、ちょっと知り合いに相談したら行ってみることを薦められたってだけだ」
「はぁ、そうなんですね。私びっくりしちゃいましたよ」
夜見は手を合わせながら、大げさに思えるほどの驚きの感情を露わにする。その様子を見て、何故だか僕の背筋に悪寒が走った。
何故だろうか。今の夜見は透き通るような雰囲気におどけた仕草が合わさって、綺麗さと可愛いさを併せ持っている完璧な美を体現していた。
なのに、それが自分に向けられているという実感のなさも相まってなんだか居心地が悪い。
まるで────
突然、後ろから肩を叩かれた。後ろを向くと、何故か無表情になったオダナガが立っていて。
「お前、ちょっと話があるから来てくれないか?」
「えっ、あっちょい待、すまん夜見、ちょっと席離す」
「はい、わかりました」
肩を掴まれて半ば引き摺られるように、僕はオダナガによって男子トイレの中まで連れ込まれてしまった。
「急にどうしたんだよオダナガ、いま話の──」
「どうしたもうこうしたもねえよ! 何だあの状況はぁ!」
僕が事情を聞こうとすると、オダナガは悲痛な叫び声を上げて顔を覆ってしまう。まぁ、あれもはや合コンと言えるか微妙なレベルだし、気持ちはわからなくもない。
「おっかしいだろ! 何で白石に対して3人集中して俺らに見向きもしないんだ! いやそれはまだしも何であいつも完全に3人を捌ききってんだよ! あの女子3人の顔見たか? 既にもう完全にあいつにほの字だぞ、まだ始まって1時間も経ってないっつうのに!」
「まあ、流石にアレは予想外だったな……」
でも白石誘ったのお前だし。自業自得なのでは? そう思っても口には出さない。
「そういうてめーは! 何で一番な美少女と親しげに喋ってんだよ、おかしいだろ! もうてめーには湯川さんがいるだろ……どうして俺は……」
「そんなこと言われてもな……別にお前も会話に入ってくりゃあいいだろ」
「無理だろ。だってなんかこえーもんあの人。何度か俺も話しかけようとしたけどさ……」
オダナガは首を振って、がっかりと肩を落とした。
……怖い、か。何だか気持ちはわからなくもない気がするな。
「まあ、取り敢えず戻ろうか。あんまり待たせちゃ悪いだろ?」
「分かったよ……」
オダナガは頭をかきながら、不貞腐れたようにトイレの出口へと歩き出した。僕も同じように席へ戻ろうとトイレの出口へと足を向けた瞬間、ポケットに入れていたスマホが振動して太ももを揺らした。
「ん?」
「どうした?」
オダナガが僕の声で振り返って不思議そうに尋ねてくる。
「誰かから電話が……げ」
ポッケから出せばスマホには湯川の2文字が。……何の用だアイツ。
仕方なくスマホの画面をスライドして耳へ当てる。すぐに湯川の声が飛び込んできた。
「もしもーし? 聞こえてるー?」
「聞こえてるけど……どうした?」
「いやさ、今日奏多暇かなって」
湯川が告げた言葉は電話に出る前から薄々察していたことだった。これは事前に連絡をするようにはなったという進歩を喜ぶべきなのだろうか?
「悪いが暇じゃない。だから家に来ても誰もいないぞ」
「えー? じゃあ今何してるの?」
「合コンに来てる」
事実をありのまま伝えると、ピタリとスマホの向こうの湯川の声が止まる。向こうの環境音は未だ聞こえてくるから、通話が切れたわけではないようだ。
10秒ほど待ったが、未だに反応が返ってこない。少し疑問に感じたが、こんなくだらない電話をしている暇もないのでさっさと切ることにした。
「それじゃ、今日は諦めてくれ。じゃあな」
「え、待って、おねが──」
何か言いかけていた湯川を遮るように切断のボタンをタップした。そのままトイレを出ようとしたのだが……
「ええ……?」
すぐさまもう一度スマホが振動し始めた。何だこいつ、メンヘラか? 正直これ以上夜見を待たせるのも申し訳なかったので、電話を無視してスマホの電源を切る。スマホの振動は収まり、当たり前だがまた震え出す気配はなかった。
スマホから目を離して視線を上げると、オダナガがまるで度肝を抜かれたような驚いた表情をしていた。
「……どうした?」
「いや、お前、なんか……勇気あるというか、恐れ知らずというか」
僕が恐れ知らず……? どちからというと恐れ知らずなのは湯川の方ではないだろうか。長い付き合いの僕でも、湯川が怖がったところを見たことがないどころか、怖がるような物事すら思いつかない。
オダナガの不可解な言葉に僕は首を傾げるのだった。
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