第46話 果たし合い

 次の日、果たし状にあった通り道場へ向かうと、既に数名の人影が見えた。まさか複数人で僕を倒そうなんて魂胆じゃないだろうな。そうなったら、隣の承芳さんを置いて逃げよう。流石に当主へ手は出せまい。

 一緒に歩く承芳さんは、軽やかな足取りで妙に楽しそうにしている。自分は見てるだけだからって気楽なもんだ。承芳さんだってもう少し剣の腕を上げたほうがいいのに。まぁ一緒に居てくれるだけで心強いし、忙しい時間をわざわざ割いて来てくれているのだ。承芳さんなりに僕を心配してくれているんだろう。その気持ちは素直に嬉しい。

 足を踏み入れた僕を待ち受けていたのは、意外にも全員見知った顔ぶれだった。既にグズグズ泣きながら頭を押さえる長教くんと、その後ろで腕を組み仏頂面の親綱さん。二人の様子から何があったのか直ぐに分かった。まあいつもの事だ。というか承芳さんも行動が早い。昨日見つけた果たし状、もう親綱さんに報告したのか。僕は承芳さんの目をじっと見て、よくやったと心の中で親指を立てる。承芳さんは不思議そうに首を傾げた。

 

 「関介殿、うちの阿呆がとんだ迷惑をお掛け致しましたな。優しい関介殿ならば、悪戯と分かっていても、此処に来るものと思っていましたよ。ですが次からかような文を見つけても、安易に足を踏み入れてはいけません。敵国の間者やもしれませんので」


 そう言う親綱さんは、ようやく口角を上げ柔らかな顔を見せてくれた。道場に入った瞬間から、ピリピリした空気で息苦しかった。やっと落ち着いて息が出来そうだ。場が和んだところで、ようやく僕の姿を捉えた長教くんは、舌を見せ分かりやすい挑発をしてきた。べえっと声を出した瞬間、親綱さんの拳が長教くんの頭頂部へ落ち、悲鳴を上げながらその場へしゃがみ込んだ。相変わらず何度殴られても懲りないな長教くんは。親綱さんへ愛想笑いを向けると、親綱さんもぎこちなさそうに笑った。

 

 「はぁ、かような面倒ごと、本当は関介殿に関わらせたくないのですが……」


 そう言い終えると、深いため息とともに申し訳ないと小さく呟いた。ふと親綱さんは、道場の端へ視線を向ける。僕も同じ方向を見ると、柱に背を持たれる雪斎さんが、僕の方を見ていやらしい笑みを浮かべていた。右手をひらひらとさせ、挨拶のつもりなのだろうか。不気味過ぎてあまり声を掛けたくはない。雪斎さんの笑みが、たまに出るブラック雪斎さんのそれだったから。


 「関介殿、お待ちしてましたぞ」


 うわぁ、なんて悪そうな笑みなんだろう。現代でこんな顔の人が玄関に現れたら、一発で詐欺師ってわかりそうだ。一見優しそうにも感じられる笑顔だが、瞳の奥には鋭く光る好奇心のような灯りが宿っている。今雪斎さんを突き動かしているのがあの光で、その対象が僕なのだろう。舐めるように僕の全身を観察する。思わず背中に気持ちの悪い汗が伝う。


 「早速で申し訳ないのですが、本題に入りましょう。関介殿を此処へ呼んだのは、間違いなく長教です。分かっている通り、まぁただの子どもの戯れですよ」


 長教くんにとってはいたって真剣な事だったのだろう。悪戯とか戯れだとか言われ、膨れっ面で大人たちの顔を見上げる。ただ子供の反抗に興味を示そうとしない雪斎さんは、ところでと話を続けた。


 「私は関介殿の能力を高く買っているのですよ。貴方ほどの剣豪など、駿府いや日ノ本を探しても中々見つからないでしょう。貴方の剣の腕は、前線にて武士団を引っ張って行くに相応しい能力です」


 顔の前でおもむろに人差し指を立て、雪斎さんは僕に向かって語り掛けた。ごくりと生唾を飲み込む。雪斎さんの表情から先ほどまでの軽薄さが消えていた。

 初めに浮かんだ感情は喜びだった。自分の能力を認められたのが、とにかく嬉しかった。それも自分なんかよりずっと能力のある人から。指がふるふると痙攣する。止めようとしても、だらしなく弛緩した表情筋は言う事を聞いてくれなかった。

 思いあがるのもいい加減にしろ。絆されそうな心にそう言い聞かす。いけない、また雪斎さんの口車に乗せられるところだった。僕は続けて喋ろうとする雪斎さんに割り込むように、少し上ずった声で反論する。


 「それほどでも……ないです。普通ですよ、僕なんて」


 「またまた関介殿、ご謙遜がすぎますよ。関介殿の剣の腕前は、貴方が一番理解しているのでしょう? それに、この場の全員が貴方ほどの剣豪を知らないと言うはずですよ」


 雪斎さんはどうやら、僕を買いかぶりすぎな節がある。確かに現代では、少なくとも同年代には負けなしだった。けど戦国の世では年齢なんて関係ないし、守るべきルールも存在しない。僕が身に着けてきたルール上で相手を制圧する術は、戦国の殺し合いの前では何の力も持たない。実際命の危機を前にして、僕は何も出来なかった。家督争いで寝込みを襲われた時も、尾張で悪党に監禁された時も。ガタガタと震えて粗相を……いや、もうこれ以上思い出すのはやめよう。とにかく、戦国の世において、僕の剣の腕なんて役に立たなくて、家臣さんたちを引っ張っていくなんて以ての外だ。

 すると、さっきまで僕と雪斎さんの話を黙って聞いていた長教くんが、床が割れてしまいそうな勢いで立ち上がり、突如僕の目の前に飛び込んできた。あまりの勢いに押され、思わず二三歩後ずさる。何故か雪斎さんは、してやったりと不敵な笑みを浮かべた。


 「何を言いますか雪斎様! 先ほどから黙って聞いていましたが、この長教も我慢できません! このような女子の容姿の者に、長教が剣の腕で劣るはずがありません!」


 鼻息荒く雪斎さんに詰め寄る長教くん。勢いが行き過ぎたのか、苦しそうに肩で息をする。手のひらがうっ血するほど固く握り、彼の思いの強さを改めて感じる。内容は酷いけど。どんだけ僕の事が嫌いなんだろう。


 「関介殿は長教の敵う相手ではないぞ。長教はそれでも手合わせをしたいのかい?」


 「当たり前です! その為にこいつの部屋に忍び込んで文を残したんですから」


 おいこらっ。当たり前のように不法侵入をするんじゃない。あとこいつ呼びは失礼だから止めなさい。


 「ではもし長教が負けた場合、関介殿の言う事を聞くというのはどうだ?」


 露骨に嫌そうな顔をする長教くん。なるほど、それは面白いな。長教くんに勝てたら、僕の事をこいつとかお前じゃなくて、ちゃんと関介と名前で呼んでもらおう。


 「むぅ、こいつの言う事を……いや、勝てばいいんだ、勝てば」


 自分に言い聞かせるように呟く長教くん。まさか自分が負けた時の事なんて考えもしなかったようで、さっきまでの威勢から一転、背中に不安の色が見え隠れし始めた。よしっと小さく自分を鼓舞すると、僕の方へくるりと顔を向け、ビシッと指を差し高らかに言った。人に指を差すんじゃありません。


 「今からお前を倒して、その憎たらしい顔を情けない泣き顔にしてやるからな! お前なんて、この長教にかかれば赤子の首を捻るようなもんだからな!」


 手を捻るだよ長教くん。いやまぁ、手を捻るでも十分怖いんだけど。まぁ長教くんがそうまで手合わせをしたいのなら仕方ない、僕も本気を出さないといけないな。


 「長教くんだけ罰があるのは不平等だからね、そうだなぁ……長教くんに負けたら、僕は承芳さんのお供をやめるよ」


 ガタンっと僕の背中で大きな音が聞こえた。振り返る事はしないけど、承芳さんが驚いている様子なのは分かった。慌てて何か喋ろうとしたのか、自分の唾が絡み盛大に咳き込んでいる。あまりに長い咳に、流石に心配になって承芳さんの方を振り向く。その瞬間、心臓が止まるんじゃないかと思うほどの勢いで承芳さんは僕の胸倉を掴んだ。


 「何を言っているんだ関介! お前は阿呆か、阿呆なのか!? いや、聞くまでもなくお前は阿呆だ! 何がお供を止めるだ、私がそんなこと認める訳無いだろう!」


 「ちょっ、落ち着いてくださいよ承芳さん! そんな掴まないで下さいって、んぐっ、ぐるじい……」

 

 苦しい、本当に死んでしまう。こんな取り乱す承芳さんも珍しい。それほど僕が隣からいなくなるのが嫌なんだ。それに関しては素直に嬉しいし、何だか照れてしまうな。いや今はそんなこと考えている場合ではない。承芳さんを何とか落ち着かせる言葉を見つけなければ。酸素の供給が足りないのか、目の前が段々霞んできた。この人、無駄に力だけ強いんだから。それか僕の力が弱いのか。いかん、頭がぼやぼやしてきた。

 すると突然、胸倉を掴む力が弱まった。その隙に承芳さんの手から逃れ、ようやく十分に息が吸えた。肺へと空気が次々と送られ、体中に酸素が行き渡る。やっとクリアになった視界で前方を見ると、暴れる承芳さん羽交い絞めにする雪斎さんの姿が映った。雪斎さん、見た目によらずかなり動けるんだよな。この人には何故か勝てる気がしない。まるで祖父みたいだ。


 「だからお前は関介殿に過保護すぎるのだ。己の慧眼でもう一度しかと見ろ」


 「けほっ、大丈夫です承芳さん、僕は負けませんから。だから僕が貴方の隣から離れる事はありません」


 僕と雪斎さんの言葉に、ようやく冷静さを取り戻した承芳さんは、取り乱してすまんと、赤面した顔を俯かせて道場の隅っこへいそいそと歩いて行った。

 それと入れ替わるように、どたばたとうるさい足音が聞こえてきた。

 

 「おいお前、今長教に勝てるって言ったよな。なんでそんな自信を持って言えるんだ。長教の剣の腕を知らないだろ?」


 早く手合わせをしたいのか、ソワソワした様子だ。そんな急かさなくても、君と決闘しに来たんだから。


 「いいよ、やろう。僕が負けたら約束通り、承芳さんの共をやめる。長教くんの下にでもついてあげるよ。その代わり、君が負けたら僕の稽古に付き合ってもらおうかな」


 「その余裕な感じが腹立つって言ってるんだ! 義元様に気に入られているだけのくせに。どうせ負けそうになったら、義元様に助けを求めるんだろ」


 そういえば、改めて考えると、長教くんと手合わせするのも初めてだ。それに稽古でも一緒になった事がない。というか、一方的にだけど嫌われてるから、僕のあれこれを話したことが無かった。折角の機会だし、改めて知ってもらおうかな。

 道場の奥の部屋から、二本の竹刀を持ってくる。一本は長教くんの前へ、そしてもう一本は僕の目の前の床に置いた。


 「ふふっ、承芳さんに助けを求めてもどうにもならないですよ。あの人、剣の腕はからっきだから」


 後ろから文句の声が聞こえたが、今は無視しよう。袴の帯をキュッと結び、肩まで垂れる髪を後ろで括る。長教くんには、一度でもいいから知ってもらいたい。いつか戦争になった時の為に。親綱さんの息子さんだ、武士としての教養も心構えも、礼儀作法だって僕よりよっぽど備わっている。僕から彼に教えられる事なんて、実のところほとんどない。教えられるのは、道場というフィールド上で行われる、スポーツとしての剣道だけ。相手を殺す為じゃない。ルールに乗っ取って、相手から一本を取るための術だ。僕にはこれしかない。だけど十数年、鬼よりも非情な師範から、それだけを僕は叩き込まれてきた。


 「長教くんは、竹刀を五時間振り続けた事はあるかい? 焼けるように熱い床の上で、三時間正座したことは? 泣いても吐いても許されず、家族と友人と過ごす時間すらなく、身体中痣だらけ傷だらけになりながら、それでも毎日欠かさず鍛錬を重ねてきた経験が、長教くんにはあるかい?」


 「そ、それは……まさか、全部お前の事なのか?」


 「さあどうかな? でも、長教くんさえよければ相手してあげるよ? 君が声を出すことも、助けを求める事も出来ない体になるまで、ね?」


 僕はとびきりの笑顔を向けた。だけど長教くんの表情に映るのは恐怖だった。僕が一歩踏み出すと、一歩後ずさる。竹刀を少し上げるだけで、彼の肩が面白いほど反応する。それ以上下がれないでしょ、長教くん。目で合図を送ると、ふるふると首を横に振り、力なく握っていた竹刀が床に落ちた。長教くんの背中がとうとう壁についた。骨が抜けてしまったように、そのままずるずるとしゃがみ込み尻もちをついた。


 「ううぅ、ひぐっ、長教の負けでいいからぁ」

 

 無抵抗な長教くんの頭へ、僕は優しく竹刀を振り下ろす。ぺしっと軽い音だけが道場に響いた。流石の僕も、泣いている年下の少年を痛めつけるほど鬼じゃない。ただここまで怖がらせるつもりも無かったんだけどね。まさか、僕の脅しがここまで効くとは。

 とうとう顔を覆い本格的に泣き始めてしまった長教くん。彼の肩を優しく叩き、出来る限り安心させるような声で言う。


 「僕の勝ちだね、長教くん。これからよろしくね」


 悔しさや恥ずかしさ、そして僕への恐怖からか、立ち上がった長教くんは、真っ先に父親である親綱さんのもとへ走っていった。泣くぐらいなら初めから挑まなければと、呆れながらも頭を撫でる親綱さん。何だかんだ優しいお父さんだ。僕の方へ一礼すると、大泣きする長教くんを連れ道場を出ていった。

 ふぅっと大きく息を吐くと、道場の隅で見届けていた承芳さんが嬉しそうに走ってきた。


 「やったな関介。これでずっと私から離れなくて済むな」


 「心配させてすみませんって、承芳さん、そんな抱き着くほどの事ですか?」


 当たり前だと、頭を叩かれてしまった。心配かけやがってと、膨れっ面の承芳さん。だが直ぐに破顔した表情から、どれだけ安心したのか分かった。これから心配をかけるような事はしないでおこう。そう反省し、僕は心配かけましたと謝った。

 

 「関介殿、方法はどうあれ、見事な勝利でした。これに懲りて、長教も関介殿へ大きな態度を取る事も無くなるでしょうし、今後真面目に稽古へ取り組んでくれることでしょう。関介殿という、素晴らしい師も出来た事ですしね」


 パチパチと手を叩きながら、雪斎さんは僕らの下へ歩いてきた。雪斎さんの言葉、素直な賞賛なはずなのに、何処か引っかかるというか、少し胡散臭さを感じる。それは言葉の意味というより、彼の普段の行いにあった。長教くんに勝利して、すごいですねと称賛するためだけに、あの腹黒い雪斎さんがこの道場へ足を運ぶ訳が無い。


 「雪斎さん、貴方何か僕に隠してることありません? 僕が此処へ来た理由が、長教くんとの手合わせ以外に何かあるんじゃないんですか?」


 「流石関介殿、鋭いですね。勿論、長教に稽古を付けさせたかったのが、一番の理由ですよ。私たちの前で、関介殿に完膚なきまでに敗北すれば、頑固な長教も認めざるを得ないですし。その狙いが的中した上で、私は関介殿に、とある提案をするために此処へ来たのです」


 雪斎さんの提案か。どうせろくなものでは無いだろう。


 「最初に申し上げた通り、私は関介殿の能力を高く買っているのです。そこで関介殿、貴方には兵を持っていただきたい。つまり、戦場で指揮をとる兵隊長になって欲しいのです」


 一瞬耳を疑った。それは僕だけじゃなくて、隣で呆然と雪斎さんを見つめる承芳さんも一緒だ。僕が、兵を指揮する? 同じ疑問が頭の中をぐるぐると巡り、結局僕は首を傾げる事しか出来なかった。

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