第43話 時渡り

 1537年 3月


 僕の目前には、今にも朽ち果ててしまいそうなお寺が建っている。いや建っているというより、辛うじて形を残していると言った方が適切かもしれない。所々穴になっている石畳を進み、半分かけた狛犬の隣を通り抜ける。不意に土と草の混ざったような匂いが鼻の先を通る。この名も無きお寺は、ほぼ無法地帯と化した墓場の奥、深い林を抜けた先にひっそりと佇んでいた。

 この廃寺の唯一の住人は、縁側に溜まった落ち葉をせっせと掃いていた。体を反転させ僕と目が合った瞬間、彼はわざとらしく大きな溜息を吐き、ミシミシと音を立てながら近づいてきた。


 「また用もなく来たのか、関介」


 全くお前はと言いながら、面倒くさそうに首の後ろを掻く。そんなことぼやいてるくせに、帰れとは言わないんだ。たった一人で廃寺に住んできた彼は、もしかしたら、気の許せる同世代の友人を心の何処かで欲しがっていたのかもしれない。

 ここ最近、暇があったらこの廃寺に訪れていた。特に用事がない僕は、外で稽古したり怒る関四郎さんを揶揄ったりと、やりたいだけやって直ぐに帰る。だからか、僕が此処にやって来ると、関四郎さんはいっつも苦い顔をする。


 「用ならありますよ、関四郎さん。大事な用が」


 僕の真剣な目に何か気がついたようだ。だらけた表情をきゅっと引き締め、じっと僕の目を見つめる。森も僕らに気を遣ってか、一瞬だけ静かになった気がする。二人の間に、僕らだけの静寂の時間がゆったりと流れた。

 勿体ぶる僕にしびれを切らした関四郎さんは、重たい口をおもむろに開いた。

 

 「おい、その用ってのは何だよ。もしかして……」


 「関介さんの顔を見に来たんですよ」


 「用が無いなら初めからそう言え馬鹿」


 僕がにかっと笑うと、あからさまに肩の力が抜けていく関四郎さん。お前というやつはと、顔を押さえ手すりにもたれる。するとミシっと軋む音が聞こえたと同時に、腐りかかっていた手すり部分がぼろっと崩れた。体を任せていた関四郎さんは態勢を崩し、階段を踏み外して滑るように落ちてきた。


 「危ないっ!」


 僕の声と、関四郎さんの情けない悲鳴が重なった。関四郎さんを受け止めようと手を広げるも、思いのほか勢いのついた関四郎さんを受け止めることは出来なかった。一緒に後ろへ倒れ、僕の顔の目前まで関四郎さんの顔が近付いて来て。

 その瞬間、硬いもの同士のぶつかる高い音が、静まり返った森の中に響く。そして少し遅れて、二人の悶絶するうめき声がこだました。

 

 「お前が来ると、本当にいいことが無い……ううぅ、痛い」


 関四郎さんの恨みのこもった声が隣から聞こえる。ただ力が入っておらず、いつも見たいな勢いは感じられない。二人とも顔を上げられないまま、暫くの間おでこを押さえ地面に伏していた。


 本堂に移動してからも、関四郎さんの機嫌は戻らなかった。


 「ごめんなさいってば関四郎さん。もう、こっち見てくださいよぅ」


 「お前の憎たらしい顔なんか見たくない!」


 完全に拗ねてしまった関四郎さんは、本堂の一番端っこで背中を丸くしている。すぐ拗ねるとことか本当に承芳さんそっくりだ。顔だけなら僕そっくりなのに。

 承芳さんで経験済みだが、こうなってしまっては中々僕の方を向いてくれない。あの無防備な背中、こちょこちょでもしてやりたいけど、そしたら流石に追い出されてしまうだろうな。

 仕方ない。僕は何も言わない背中に向かってぽつぽつと喋り始めた。


 「この間夢を見たんですよ。お母さんやお父さん、そしておじいちゃんとの思い出の夢を」


 それがどうした、関四郎さんの背中はそう言ってる気がする。何も言わないけど、少し興味を持ってくれたかな。無反応の関四郎さんを気にせず、僕は言葉を続けた。


 「そこで僕、思い出したんですよ。おじいちゃんが死ぬ前日に話したこと。僕の貰ったお守りの意味を」


 「俺と何の関係があるんだ?」


 やっと口を開いてくれたけど、少しだけ刺々しく感じる。回りくどい僕の言い方に苛立っているのか、はたまた。


 「関四郎さんの持ってるお守り、もう一度見せてもらえますか? それが僕の確信になります」


 関四郎さんはまだ口を開こうとしない。天井で何か小動物の這うような音だけが聞こえる。背中に嫌な汗が伝った。どうしてだろう、妙な緊張感を覚える。

 急に関四郎さんが振り返った。その力強い視線に圧倒され、一瞬だけたじろいでしまった。


 「関介は”時渡り”を聞いたことがあるか?」


 「……へっ? ときわたりですか? 知らない言葉ですけど、ってそれより僕の質問に答えてくださいよ」


 「まぁいいではないか。どうだ関介、気になるだろ?」


 強引に話を変えられてしまった。ただ、時渡りと言う言葉が妙に自分の中で引っかかった。言葉そのままの意味なら時を渡るで時渡りだ。まさに僕の身の上に起きた事だけど。


 「気にはなりますけど、僕の質問を遮ってまで話したい事なんですか?」


 「いや、今ふと思い出しただけだ。ふんっ、関介が強引に押しかけてきたんだ、先ずは俺の話を聞くのが筋ってもんじゃないのか?」


 そう言われては返す言葉もない。暴論な気もするけど。

 これ以上何か言っても無駄だと思った僕は、こくんと素直に頷く。それを見て関四郎さんは、満足そうに鼻を鳴らした。

 

 「俺が十歳の時、この場所である人物と出会ったんだ。いつもの様に縁側を掃いていたある日、袴を身に纏い、腰には竹刀を携えた男がこの廃屋を訪れた。男と言っても、年のいった老人だったな。来訪者など初めてで、面食らったおれは、何者だとその老人へ訪ねた。だが老人は俺の問いに返事を寄こすことなく、じっと俺の顔を見つめたんだ。そして老人は呟いた」


 まるで心臓を掴まされているような気持ちになる。胸打つ鼓動がどんどん早くなっていき、思わず自分の胸倉を握りしめていた。息が苦しい、唇が渇く。関四郎さんの言葉が耳を通っても、脳は未だにそれを現実と受け止めようとはしなかった。

 関四郎さんが会ったというその老人は、こう呟いたという。


 「あれは儂の孫じゃないな。もしや、時渡りか。とな」


 時渡り。簡単な言葉に直すと、タイムトラベル。小説の中だけの設定のはずだが、事実僕の身にも起きている。だから簡単に現実のものと受け止められた。その老人は、僕と同じタイムトラベラー。そしてどうやら孫を探しているらしい。孫ってもしかして僕の事で、その老人がおじいちゃんで。いやいや、それは考えすぎだ。

 嘘だ。もう頭の中では理解できているんだ。気持ちだけがまだ追いつけていないだけ。冷静になれば、答えなんて簡単にたどり着ける。おじいちゃんは、僕と同じように戦国時代へタイムスリップをしたんだ。そして関四郎さんと接触している。ただおじいちゃんは現代で死んでいるから、何処かで戻ってはいるのだろう。

 そんな話おじいちゃんから一度も聞いたことが無い。こんな経験をしていたら僕に話してくれても、いやあのおじいちゃんが進んで話してくれるとは思えない。おじいちゃんが死ぬ前日の会話を思い出す。あの日、ちゃんと最後まで聞いておけばよかった。


 「その老人の人はその後どうしたんです?」


 「ああそれがな、俺の方に近寄って来て、俺の顔にそっくりの子どもを知っていると、急に頭を撫でてきたんだ。もっ、勿論直ぐにその手を払ってやったさ。だが鍛え抜かれているのか、その手のひらは硬く逞しく、それでいて温かかった」


 聞けば聞くほど、その老人の顔がはっきりとしていく。顔中皺だらけで白い顎ひげを蓄えた老人の顔が。


 「その老人は、色々話してくれたよ。孫のこと、その稽古でのこと。老人の話は真に楽しかった。そして、本当の武士とは彼のような男の事を言うのだと思った。まぁ俗世を離れた俺には関係のない話だけどな」


 「時渡りの事、その老人に聞いたんですか?」


 「老人は”へいせい”と言う時代から来たと言っていた。ふふっ、実に面白い話だった。幻の様で妙な現実味がその話にはあった。そこで俺は、時渡りの存在を信じてみようと思ったのだ。もしや、関介も時渡りでどこか異邦よりやって来たのかもしれないな」


 にこやかに指を刺す関四郎さんを前に、僕は笑えているだろうか。まさに貴方の目の前にいる人物こそ、時渡りで戦国時代へ来た人間ですよ。幸いな事に、孫が僕である事には気が付いていない。もし知っていれば、出会った時に何か違うアクションを起こしてただろうし。

 僕が口を開こうとしたその時、外から聞き覚えのある声が聞こえた。


 「関介~、何処にいる~! 近くにいるのは分かっているんだぞ~!」


 思わず互いの顔を見合わせてしまった。今この場を見られるのはまず過ぎる。関四郎さんがこの廃寺に住み続ける理由は分からないけど、承芳さんに会えないわけがあるのだろう。

 外に聞こえないようこっそり耳打ちし、関四郎さんには何処か隠れてもらう。僕は急いで本堂の中から飛び出し、石畳をける。ちょうどその時、林の中からひょこっと承芳さんが顔を出した。鉢合わせた僕らは、ほぼ同時にあっと声を上げた。

 承芳さんは頬を膨らませ、上目遣いで見つめてくる。少し怒ってるようだ。


 「何処にいると思えば、こんな林の奥に。それも一人で。お前の身に何かあった時、直ぐに駈けつけられないじゃないか」


 「心配しすぎですよ、承芳さん。近くにある墓地へ墓参りした帰りに、たまたま立ち寄っただけですよ」


 笑って誤魔化そうとするも、あまり納得していない様子だ。むぅと、また頬を膨らませ、何か言いたげにもじもじと指を弄っている。そんな仕草が愛らしくて、さっきまでの考え事なんて何処かへ飛んで行ってしまった。

 何だか無性に甘えたい気分が湧いて来た。僕は思い切り承芳さんに飛びつく。突然の事に全く準備していなかった承芳さんは、僕を抱いたまま後ろへ倒れこんだ。丁度落ち葉のクッションがあり、ぼふっと全身を受け止めてくれた。流石にお怒るかと思ったけど、承芳さんは僕を掴んだまま離さなかった。上気した顔を近づけ、囁くように呟いた。


 「関介が私の手の届かない処へ行ってしまうと、その、凄く寂しいんだ。だから、ずっと私の傍に居てくれ」


 何か最近調子が悪いなと思っていたのは、多分過去を思い出したからだろう。過去の自分に引っ張られて、先を進む足が鈍くなっていたんだ。でも僕はこの時代で生きていくと決めたんだ。その決意はもう揺るがない。

 僕は立ち上がると、承芳さんの手を取り思い切り引っ張った。


 「承芳さん戻りましょう。どうせ仕事を放り投げてきたんでしょう。僕も手伝いますから、さぁ早く!」


 歴史の濁流はうねりを上げ、大きく動き出す。彼らの行く先を阻むように。それでも彼らは歩みを止めることはない。たとえその先に広く暗い大海が待ち受けようとも。彼らが見据える、眩い光を目指して。

 

 時は流れる。

 1540年 1月 関介22歳


 「承芳さん、頼んでおいた書類、片付けました?」


 「うっ、また後で目を通しておく」


 「はぁ、当主としてしっかりして下さいよ。周りは北条さんに、織田さんと敵だらけなんですから」


 「わ、分かってるって! 丁度今やるところだったんだよ」


 僕らを取り巻く状況は、ゆっくりと確実に変わっていた。侵略の脅威は日に日に増していき、国内に萬栄する緊張感も高まっている。それでも、僕らの関係が変わることはない。

 髪は後ろで結べるくらいまで伸ばすようになった。承芳さんからは不評だったが、この方が武士っぽいかなっと思ったから。身長は一切伸びていない。成長期はとうに過ぎてしまったのかもしれない。だけど毎日の鍛錬で、自分なりにかなり男らしくなった気がする。


 「いや、関介は変わらず女子のような姿をしているぞ」


 「僕の心の声を読まないで下さい」


 今でも初対面の人には、まず男と気づかれない。成長しているのか不安になってきた。十代の頃は、二十歳がかなり大人に見えたけど、実際になってみると、昔から何も変わっていないように感じる。未だに夜一人でトイレへ行けないし。

 少しずつでいい。小さな一歩を着実に踏んでいこう。目を凝らしても、まだまだゴールは見えてこないけど、確実に近づいているはずだ。もしかしたら回り道かもしれないけど、それでもいいと思える。承芳さんの隣で歩けるなら、その道こそが正しい道なんだから。

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