第38話 プレゼント作戦

 その日の夜、僕の部屋に何故か居座り続ける承芳さんは、さっきからずっと頭を悩ませていた。何か悩み事があるなら、相談に乗ってあげることくらいは出来るけど、何も僕の部屋じゃなくてもいいだろう。ご自身の立派な部屋があるだろうに、奥さんの待つスイートルームが。そう茶化すように言うと、真剣に悩んでいるんだと頭を叩かれた。僕の部屋に居座っておいてこの男は。

 承芳さんを悩ます種は、手の中に優しく包まれている一つのビードロだ。ユラユラ揺れる蝋燭の明かりに反射するビードロは、薄暗い部屋の壁に鮮やかなツツジ畑を映し出した。多恵さんにと買ったビードロは、武田の館の名前に冠する、ツツジの花と同じ紫色があしらわれていた。少しでも彼女に関係するものがいいと、僕が念を押して選ばせたのだ。

 

 「こんなもので本当に喜んでもらえるのだろうか。やはり今からでもやめようか」


 柄にもなく緊張した様子で呟く。かれこれ一時間はこうしてぶつぶつ呟きながら、悩みに悩んでいるのだ。買った時は、喜ぶ多恵さんの顔を思い浮かべてデレデレしてたくせに、今になって怖気づいたのか。まっこと情けない男だ。僕がしきりに相談に乗ろうとしても、いや大丈夫とはぐらかすのだ。だったら自分の部屋に行けってもんだ。

 これ以上は我慢の限界だった。このままだと僕の睡眠時間が減る一方だ。承芳さんの両肩を掴み、正面へ無理やり振り向かせると、うじうじ悩む承芳さんの両頬をおもっきり挟む。この人頭はいいんだけど、肝心なとこで決断力に欠ける。僕がこうして勇気とかその他いろいろな力を注入しないとダメなんだから。


 「いいですか承芳さん。どうせ渡すつもりで買ったんですから、今更悩んでもしょうがないですって!」


 「いや、それは関介が買えって言うから」


 「口答えしないっ!」


 「むぐぅ!」


 頬を挟んでいる手に力を込めると、承芳さんは奇妙な悲鳴を上げる。自分が言い負かされるとグチグチ文句を言うんだから。そんな人はこうしてくれる。ぐりぐり手のひらを動かして、柔らかい頬っぺたを満足のいくまで揉みほぐす。

 二人結婚して一月経つけど、一向に仲良くなる気配が見えない。以前覗いてしまった事のある愛の営みは継続しているそうだが、それ以外の時間二人は別の部屋で寝食を取っている。必要最低限の事だけ共にして、それ以外はノータッチ。それが多恵さんの最大限の譲歩だった。

 この夫婦、承芳さんも悪いかもだけど、多恵さんの歩み寄りもきっと必要なはずだ。ただ彼女、承芳さんの事嫌いそうだし、そもそも今川に来る原因となった武田信虎さんの事はもっと嫌いだし。二人の間を取り持ってあげたいけど、彼女僕の事も嫌いそうだし。だったらどうすればいいんだって話だ。僕としては、出来れば二人には仲良くして欲しい。でも僕にできる事なんて限られている。

 そこで考え付いたのが、プレゼント大作戦だ。女性は異性からの贈り物に弱いと、何処かの雑誌で見た気がする。いや思い違いかもしれない。そもそも、嫌いな人間から貰うプレゼントなんかキモいだけな気がする。でも大丈夫だ。この作戦を決行して、キモがられるのは承芳さんだけで、僕は決して傷つかない。我ながら完璧な作戦だ。


 「ぐずぐずしてたらもっと渡せなくなりますよ。思い立ったが吉日と言いますし、さっさと行きましょう!」


 抵抗する承芳さんを引きずって、僕は多恵さんの待つ部屋へ向かった。幸い今日は雲一つなく、まん丸な月が地上を照らしてくれている。まだ多恵さんも起きて、縁側で読書でもしているだろう。中々の読書の虫で、彼女の姿を見る時は大抵本を読んでるか、承芳さんと喧嘩している。

 渋々歩く承芳さんのお尻を蹴りながら廊下を歩いていると、承芳さんのお部屋の前、縁側で足を伸ばす多恵さんを見つけた。まだこちらに気がついてないのか、読書に夢中だ。よほど興味深い本なのか、頬は紅潮し僅かに口元を綻ばせ、手元の本に熱中している。僕らの視線に気づく様子はなく、無防備に足をばたつかせている。初めて見る多恵さんの一面に、僕と承芳さんは少しの間見惚れてしまっていた。

 その時、多恵さんをうっとりと見つめる承芳さんの手元から、ビードロがするっと滑り落ちる。視界の端でその瞬間を捉えた僕は、身体を捻ってすんでのところでキャッチすることに成功した。危くビードロを渡す張本人の目前で、盛大に割るところだった。その代わりにだけど、一歩踏み出した際、外れかかった床板の一部が大きくずれ、耳を塞ぎたくなるような鈍い音を立てた。僕と承芳さんは互いに顔を見合わせ、諦めたように笑った。


 「お前ら、いつからそこにいた?」


 地底の底から這いずるような声が、僕らの目の前から聞こえた。縁側で座っていたはずの多恵さんは、いつの間にか仁王立ちで僕らの事を睨みつけている。俯きがちの表情から見える瞳は吹雪のように冷たく、妙な寒気を覚え思わず身震いを起こす。やっぱり見られていたのが恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤にして、肩を小刻みに震わしている。


 「い、今来たところだ。それに今夜は其方に用があって」


 「私はお前に会う用なんてない。気持ち悪いし……」


 承芳さんが喋り終える前にピシャリと言い切られてしまった。ついでにボソッと、何とも酷い言葉を呟く。ちらりと承芳さんの横顔を覗くと、目をぱちぱちさせ今にも泣きだしてしまいそうで、僕は咄嗟に二人の間に入った。


 「多恵さん。用というのはですね」


 「うるさい、お前は関係ない」


 まさに取り付く島もない。彼女、僕に対して特に辛辣すぎないか? 無関心とかならまだわかるけど、言動の節々にあからさまな拒絶が見えるのだ。僕何かしたかなぁ。

 言いたいことは済んだと言わんばかりに、長い髪をわざとらしく靡かせ身体を翻す。もう僕らと話す気は無さそうだ。承芳さんを見ると、虚空を見つめ放心状態で立ち尽くしている。もう、この役立たず!


 「多恵さん待って下さい! 貴方に渡したい物があるんです。それさえ受け取ってくれれば、僕ら直ぐに帰りますので。ほら承芳さん、いつまで泣いてるんです、渡したい物があるんでしょ!」


 「ぐすっ、別に泣いてない。多恵がそんな酷い事を言うなら、もう渡さない! 知るか、私はもう寝る!」


 「なら私も寝る。これ以上私に構わないでよ」


 半泣きで駄々をこねる承芳さんを、鬱陶しそうにあしらう多恵さん。その冷たい態度に、承芳さんは更に悔しそうに地団駄を踏んだ。母親と子供じゃないんだから。彼女もびっくりするぐらい引いてるし、もうこの夫婦の仲の修復なんて無理だろう。なんで僕がこの二人の為に苦心しなければならないんだ。何だかもう色々面倒になってきた。


 「ああもう! これ以上この状況を面倒臭くしないで下さいよ!」


 僕が乱暴に言うと、二人は同時に動きを止めた。ぼさっとする承芳さんからビートロを奪い、多恵さんの目の前まで歩いてゆく。僕の余りの剣幕に少し驚いている多恵さんを無視して、彼女の手を取る。呆気にとられる彼女は、なんの抵抗も見せない。しめたと思い、その勢いのままビードロを手の中に握らせた。


 「多恵さん、手の中の物見てください。それが承芳さんの、貴方への贈り物です」


 「これは……ガラス?」


 手を広げまじまじと見つめ、不思議そうに首を傾げる。初めて見るものに興味津々で、さっきまでの険悪な雰囲気は無くなっている。物珍しそうに色んな角度から眺めている多恵さんの表情は、いつもの大人びた彼女と違い、年相応の女の子みたいだ。手のひらの中で輝くビードロを、キラキラとした瞳で暫く眺め、きれいと呟いた。


 「綺麗ですよね多恵さん。この間尾張に行ったとき、承芳さんが多恵さんにって買ってきたんですよ。貴方に似合う色の入った、このビードロを」


 僕の言葉を静かに聞く多恵さんは、おもむろに承芳さんの方へ視線を向ける。そこにはもう冷たさはなく、僕には恋人同士の生暖かさを感じた。視線の先の承芳さんは、恥ずかしそうに首の後ろをポリポリと掻き、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 「こういった土産、多恵は好きかなと思ってな。別に、いらなかったら捨てても構わんからな。そっ、それでは私は寝るからな! おやすみ!」


 そう言って、足早に廊下の暗闇へ消えていった。なんだよ弱虫。まぁ頑張った方だとは思う。ポカンとする多恵さんに、僕は優しく笑いかけてみる。いつものぎこちない笑みじゃなくて、友達に見せる無邪気な笑顔で。


 「僕も選ぶの手伝ったんですよっ。多恵さんに喜んでほしくて」


 「……そう、その……ありがと」


 初雪のように呟いて、多恵さんは部屋の中へ入っていった。襖を閉める前に、もう一度僕の目を見てふっと微笑んだ。襖が閉まり僕は縁側に腰掛ける。ぼっと熱くなる頬に手を当てると、ひんやり冷たくて気持ちよかった。あーあ、承芳さん勿体ないな。多恵さんのあの顔を見逃すなんて。

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