第34話 離ればなれ
「んん~おいひ~、ほっぺたが落っこちちゃいそうです~」
右手で持つ竹串に仲良く三つ刺さった団子は、程よい弾力と芳ばしい香りで楽しませてくれる。よもぎが練りこまれており、口いっぱいに頬張ると仄かな苦みと餡子の甘さがかみ合い、口の中に絶妙な味が広がる。もにゅもにゅと咀嚼し喉を通すころには、もう一つの左手に握るみたらし団子を口に放り込んでいた。食欲を誘う砂糖醤油の焦げた香りが広がりこれまた絶品だった。
串をお皿に置き、サービスでつけてくれたお茶に手を伸ばす。湯呑に注がれたお茶は深い新緑をし、鼻の奥を抹茶本来の香りが突き抜けていく。むせ返るような深い苦みは、口の中に残る甘ったるい餡を洗い流してくれる。実は無理やりだけど、お茶の作法は一通り知っているのだ。本来はお菓子を食べながらお茶を飲むのはマナー違反なのだが、どうせ咎める人がいないんだ、僕の食べたいように食べるのがいいはずだ。
湯呑から唇を離し、ほっと息を吐く。暦上では春とはいえ、流石に軒先ではまだまだ肌寒い。温かいお茶は、心も身体も落ち着かせてくれる。今川館でもお茶会は行われており、以前参加したことがあるのだが、戦やらなんやらのせいで最近は実施できていない。また皆で美味しいお茶を飲めたらいいなと思う。
「関介、美味しいか?」
「はいっ! とっても美味しいです!」
甘い食べ物は人を幸せにしてくれる。満面の笑みで承芳さんの方を向いて答えると、承芳さんもニコニコしている。ただ引きつるような笑顔だ。まぁ気にしないことにしよう。僕がもう一度団子を口に含んだ時、承芳さんからまた同じ質問が飛んできた。
「関介、美味しいか?」
「……?」
団子を咥えたまま首をゆっくりと右に傾ける。承芳さんは、何故か同じ質問をぶつけて来た。意図はよく分からない。ただ僕がゆっくり咀嚼を続けている間も、承芳さんは僕の方をじっと見つめてくる。口いっぱいに頬張る顔とか恥ずかしいからあんまり見ないで欲しいな。
行儀が悪いけど、指についたみたらし団子のたれを綺麗に舐める。さっきまで団子の刺さっていた串はその役割を終え、竹を裂いただけのゴミと化す。ゴミは片付けるのがマナーだ。名残惜しさもありながらも、僕は食べ終えた串を、何重にも重ねられたゴミの上に置く。
「それで満足か関介」
「けぷっ。そうですね……もう十本いいですか?」
「ははっ、まだ食べ足りないか。関介は食いしん坊だからなぁ。仕方がない、十本くらい……」
乾いた笑い声を上げ、店主を呼ぶためか右腕を挙げた。声を掛ければいいのにと思っていると、承芳さんは体を反転させこちらを向く。顔は笑っているのに、一切目が笑っていない。ゆらゆらとこちらに近づいてきて、右腕を振り上げたまま何やら呟く。
「……ないだろ」
「えへへ…………今なんか言いました?」
聞こえてない振りをして、にへらと笑いながらお道化てみせる。両頬に人差し指を押し当てて、ちらりと舌を出した。ただ全力で可愛い子ぶってみても、承芳さんの僕に向ける視線は変わらない。俯きがちの顔から覗く瞳には、刺さるような冷たい光が映っている。
次の瞬間承芳さんは、振り上げた拳を机に向かって思い切り叩きつけた。重ねられた竹串がお皿の上から落ち、湯呑のお茶が大きく波打つ。あまりの事に、弁明しようと喉の先まで出かけた言葉を飲み込んだ。承芳さんの拳のドシャッと重たい音に、お店の中にいた主人が慌てた表情で駆け付けた。店先で喧嘩されては、売り上げに影響しかねないだろう。だけど、店の前の道路を歩く人々は、まるで風景を見るかのように直ぐに興味を無くして通り過ぎて行く。
「いい訳ないだろぉぉぉ!」
承芳さんの怒声は、賑わう市場の喧騒の中に溶けていった。その後店主が場を収めてくれるまでの間、お前はだらしないだの遠慮がどうだのと、長々説教を聞かされ続けた。そんな事承芳さんに言われたくないし。団子の二十本くらい買ってくれてもいいのに。承芳さんのけち。
「お代は結構ですので、もうこれ以上は……」
疲弊しきった店主さんを見て、僕らは顔を見合わせ逃げるように店を後にした。何だか、申し訳ない事をしてしまったな。
店を出た後暫く気まずい沈黙が続き、どうやって息を吸えばいいのか分からなくなる。何となく承芳さんの歩幅に合わせて歩くけど、いつもより早足で、ついて行くのに精一杯で足元がおぼつかない。まだ怒ってるのか。それでも無理して隣を歩いていたが、とうとう人の波に足を取られ、承芳さんの背中がどんどんと遠くなっていった。
待ってよ! 声を上げても、腕を伸ばしても届かない。掴みかかった指先は、無情にも虚空をつかまされた。人の流れはまるで鉄砲水のように、僕の体を押し流していく。不意に視線を落とすと、無邪気に笑う子供が母親の手を宝物のように、大事そうに掴んでいる。その瞬間心の中に、ぞわりと恐怖心が浮き出した。僕はまた一人なのか。
「待って! 行かないで、いっ!」
追いつこうと駆け出したその時、こちらに向かって歩いて来た男性の肩とぶつかり、僕はその場に尻もちをついてしまった。その間にも、僕に気が付かない承芳さんは先へ進んでゆく。直ぐにでも追いかけたい僕は、ぶつかった人には申し訳ないが、立ち上がり際に軽く謝罪だけ済まし地面を蹴った。
だが僕は承芳さんの背中を追いかける事は出来なかった。ぶつかった男性が、走り出そうとする僕の腕をがっちりと掴んでいたのだ。ミシミシと骨の軋む鈍い音はその直後に聞こえ、僕は情けない悲鳴を上げた。
「俺にぶつかっておいて、何処に行こうと言うんだいお嬢ちゃん?」
男性の低く濁った声が耳元で聞こえた。本能的な恐怖心が支配し、その場を直ぐにでも立ち去ろうとしたが遅かった。掴んだ腕を強引に引っ張られ、男の胸元に吸い寄せられる。恐る恐る顔を上げるとそこには、僕を抱く屈強な男と他三人の男たちが、囲うようにして立ち塞がっていた。
同じ人間とは思えなかった。獣のような鼻に纏わりつく異臭。僕の身体を舐めまわすように見つめる視線は、まるで獲物を前にした肉食獣である。
「お嬢ちゃん、おじさんたちと良い所にいかない? そうしたら、ぶつかったことも許してあげるから、ね?」
今すぐにでも逃げたかった。だけど、身体がまったく言う事を聞いてくれない。こんな男たち竹刀の一本あれば余裕で倒せるだろう。だがここは、道場の畳の上じゃないし、僕を守ってくれるルールなんてどこにもない。
「助けて……たすけっ」
喉元にまで込み上げた承芳さんの名前を、すんでのところで飲み込んだ。彼の名前を声の限り叫びたかった。だけど、そんな事して周りの人に彼の正体がバレてしまったらどうなる。それに、この男たちが織田の家臣の可能性だってある。彼はきっと駆け付けてくれるだろう。だからこそ、彼の身に及ぶ危険さを考えたら、とてもその名を呼べなかった。
涙で霞んだ視界の中で、男たちは顔を見合わせ下品な笑い声を上げている。周りを歩く人々は、おかしな程僕らに無関心だった。もしかしたら、年端も行かぬ少年少女が襲われるなんて、この街では日常茶飯事なのかもしれない。戦国時代には、身売りだって当たり前の事かもしれない。
だけど承芳さんなら、あの優しい彼ならきっと見過ごすわけない。そんな彼の背中は、人の群れに紛れて消えてしまった。その背中から手を離したのは、紛れもなく僕だった。
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