第32話 甘味泥棒

 1537年 3月 15日

 

 この時代には今、同じ物が二つ存在している。昨日関四郎さんとこで見た巾着。祖父の形見と同じ、それも中身の金塊まで一緒。普通に考えれば自分の見間違いを真っ先に疑うところだろう。だけど、最近その感覚を鈍らせるような出来事が、僕の身の回りで立て続けに起こっている。今までの出来事がどこまで僕と関わって来るのか、それが一つに繋がった時何が起こるのか、今のところ何一つ分かっていない。それ以前に、全て僕の深読みのしすぎの可能性もあるわけだし。

 考えすぎて頭が痛くなってきた。複雑な事を考えるのは好きだけど、起こっている出来事があまりに現実離れしすぎて、考がまとまらない。まぁ、タイムスリップし今此処にいる事が一番あり得ない出来事なんだけど。


 という考察を一人自室で考えていると、だんだん頭がぼおっとしてきた。疲弊した頭には甘いものがいい。ただ国時代において甘味というのは大変貴重なもので、そう毎日口にできるものじゃなかった。それに、甘味と言っても大抵は干した果物などで、なんかこう違うのだ。やっぱり現代で生きてきて、無性に人工的な甘味を口にしたくなる時があるのだ。

 そんな僕の目の前に、突如甘いものが現れたらどうなるだろうか。それは砂漠に湧き出るオアシスのような神秘的な輝きを放つ液体。指の周りを官能的に纏わりつき、舌に触れたら最後、人はその快楽的な甘味の沼に溺れるだろう。

 踏み入った納戸の奥、棚の陰となる場所に不自然に置かれた壺。ふと気になったその壺を開けると、そこには謎の液体が入っていた。直ぐにふたを閉めようとしたが、少しの好奇心には勝てなかった。指の先で掬ったその液体を舌にのせた時、脳の奥に電流が走った。それから僕は、一心不乱に壺の中の液体を口にして…………


 足の裏が痛い。土下座も二時間を超えると、流石の僕でも限界を迎えてきた。だけど、僕の目の前で腕を組み、猛獣のような鋭い眼光を向ける雪斎さんの前で足を崩すなど、到底できるはずもなかった。

 雪斎さんに呼び出された先は、ジメジメと湿っぽい薄暗い部屋だった。雪斎さんからの呼び出しの時点で嫌な予感はしていたけど、このタコ部屋のような部屋に通された時確信した。これから起こるであろう事を。

 迂闊だった。僕が食べた水飴、まさか雪斎さんの私物だったとは。いや、雪斎さん以外の物も勝手に食べちゃいけないんだけどね。雪斎さんの推理は見事だった。自分の水飴の壺が空だと分かるやいなや、僕を呼び出し水飴を食べてはいないかと問いただしてきた。その僅かな感情の揺れを察知し、僕の嘘を見破ったのだ。あの尋問の時の雪斎さんの表情、今日の夢に出てもおかしくない。食べ物の恨みは恐ろしいとはまさにこの事だ。


 「どうしても甘い物を口にしたかったと。つまり関介殿は、自分の欲を満たすためなら、他人などどうでも良いという事が言いたいのですね?」


 「いっ、いやぁ、そういう意味ではなく……」


 眼球がぎょろりと動く。だから怖いって。蛇の目の前に放られた蛙はこんな気持ちなのか。少しだけ小動物への愛護の精神が芽生えた気がする。


 「ではどういう意味があって私の水飴を食べたのですか? 早く私を納得させる理由を教えて下され、さぁ早く!」


 食べ物の恨みってこんなに怖いのか? もう人が変わってしまってるではないか。

 身体は正直で、雪斎さんへの恐怖心から勝手に涙が零れ始める。止めようにも止め方が分からない。目元を押さえ、喉の隙間から嗚咽が漏れる。何か弁明しようにも、こみ上げる嗚咽で上手く喋れない。


 「ほんとにっ、ぐすっ……すみまっ……ふぐっ、すみません」


 「もしや泣けば許されるとでも? 関介殿、甘すぎますよ。泣いて許されるのは赤子までです。貴方はもう成人を迎えたのです、その自覚を……」


 「もうその辺で許してやってくれ和尚。関介も反省しているではないか」


 部屋の外を見ると、襖にもたれ腕を組む承芳さんが立っていた。もしや僕を助けに来てくれたのか。やっぱり彼には頭が上がらない。涙と期待を浮かべた目を向けると彼は僕の方を見て優しく微笑み、もう一度雪斎さんと対峙する。


 「お前は関介殿に甘すぎる。心を通じ合った友である事は認める。ただお前と関介殿は友の前に主従関係であることを忘れるな。いいか、余計な肩入れは家臣に不信感を与えるだけだ。お前のやってる事は……」


 「うるさい! なんだかんだ言ってるが、和尚はただ自分の食い物を取られただけだろ? そんなものまた買えばいいだろう。というか、いい年して水飴食べられたくらいでそんなむきになって、和尚こそ子供じゃあるまいし」


 この言葉には言い返せない雪斎さん。むむむと唸ると、ふっと厳しい表情を緩めた。どうやら観念したようだ。なんだか雪斎さんが責められてる形になってしまい、申し訳なくなってきたな。一番悪いのは僕な訳だし。


 「まさか承芳に言い包められるとはな、この雪斎一生の不覚だ。関介殿、私も少々大人げなかったですね」


 「いやいやいや、悪いのは僕なんですから、頭上げて下さいよ」

 

 慌てて手を振る。僕が悪いのに雪斎さんに謝らせてしまった。これは今度何かお返しをしなければ。

 僕の思いとは裏腹に、満足そうに頷く承芳さんは、ぽんと手を叩き、にんまりと笑った。これは悪だくみする時の顔だ。正直雪斎さんに説教されてる僕を、承芳さんが無条件で助けるとは思えない。やっぱり何か企みがあっての事なんだろう。


 「まあまあ和尚よ、今回元はと言えば関介が和尚の水飴を勝手に食べたのが始まりだ。それは反省しなければな。ここは一つ、関介に代わりの物を用意させることで手を打とうじゃないか。そうだ、市なら何でも揃っているだろう」


 どうせそんなところだと思ったよ。承芳さん、僕をだしにして外へ出かけたいだけじゃないか。説教されてる僕を見つけて思いついたんだろう。弁のたつ承芳さんに、僕らはまんまと使われてしまったようだ。

 雪斎さんも承芳さんの思惑に気が付いたようで、額を押さえて深い息を吐いた。

 

 「三文芝居はもういい。はぁ、何か企んでるとは思っていたが、見破れないとは私の目も随分と衰えたな。勝手にするがよい。その代わり、関介殿はおつかいの方頼みましたよ」


 それだけ言い残して、雪斎さんは部屋を後にした。ようやくこの地獄の部屋から解放され、安堵の息を溢す。あー怖かった。もう二度と人の食べ物を勝手に食べない。そう心に刻み込んだ。もうこんな怖い思いはしたくないしね。

 肩をぽんと叩かれ振り返ると、うっきうきの表情の承芳さんが、気色の悪い笑い声を上げていた。気色悪いは言い過ぎかも、気持ち悪いくらいにしておこう。というかそんなに外へ出かけたいのか。


 「ようやく出ていったか和尚め。すまんな、関介をだしに使うような真似をして。まぁ雪斎から助けたし、お互い様だよな」


 「そんなに外へ出たかったんですか? 別に承芳さん当主なんですから、何か適当な理由つけて外へ出るくらいできたでしょうに」


 「むぅ、その適当な理由次第では、大騒動になる事もあるのだ。そう簡単に出歩けるものか」


 ふぅん、そういうものか。当主って意外と大変なんだな。それならその喜びようも分かる気がする。兎にも角にも、承芳さんとお出かけは楽しみだ。僕をだしに使ったんだ、何か買ってもらおうかな。


 「承芳さん、お団子買ってくださいよ。とびきり美味しいのお願いしますよ?」


 「お前……本当に反省しているのか?」


 それはそれは、海より深く山よりも高く反省しているとも。号泣するほど怖い思いをしたんだ、いやでも反省するというものだ。

 ただまぁ、それとこれとは話は別だ。雪斎さんへのお詫びは、何か甘い物を買えば良くて、折角市に行くのに何も買わないじゃもったいないだろう。それに。


 「僕は甘い物に目が無いんですよっ」


 承芳さんは苦笑いを浮かべて、やれやれと手を振った。それでも、どうせ何か買ってくれるんだろうな。承芳さんはどうしようもなく、僕に甘いんだから。

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