第28話 もう一人の自分

 なんだか夢を見ているようだ。目の前にはもう一人の自分がいる。年齢も、背の高さも僕と同じくらいに見える。まさに鏡合わせだ。

 目の前の彼は、僕の方をじっと見つめたまま何も言わない。なんだか不気味だ。よく聞く話で、もう一人の自分に出会うと死んでしまうという都市伝説があるけど、彼が僕のもう一人の自分なのだろうか。いや、現代から急に現れた僕の方がもう一人の自分なのかも。


 「あの……此処の住職さんですか?」


 返答はない。じっと無言で、僕の顔を訝し気に見つめてくる。自分に難しい顔で睨まれる経験なんてないし、何か気の利いた事を言った方がよいのだろうか。というか、何故彼は何も喋らないのか。もしかして、本当にドッペルゲンガーだったりして。


 「お前の顔、何処かで見た事があるな。あれは確か満月の夜、水面を覗くと何者かがこちらを見ていたが、まさかそれがお前か?」


 それ貴方ですよ! ってつい猛ツッコミをしそうになったけど、現代みたく毎朝鏡を見ているわけではないから、自分の顔をあまりよく知らないのも頷ける。


 「僕は水の中に住んでいないので、多分その人とは別人ですよ。とっても顔は似てますけど。僕は義元様に仕えてる、まぁようはお供ですね。それで貴方は?」


 やっと彼の表情が変わった。怪訝そうに顰めていた眉をさらに深く刻んだ。僕の発言が彼の感情を動かしたのは明らかで、おそらくそれは義元という言葉に反応していた。つい表情に出てしまうほどの何かが、彼と承芳さんの間にあるのか。はたまた、彼が一方的に思いを寄せているのか定かではない。ただ分かるのは、その感情が良いものではないという事だ。

 考えられる理由はいくつかある。一つは、以前の恵探さんとの後継者争いだ。福島さんのように、この人も恵探さん側に付いており、承芳さんを恨んでいるのかもしれない。もう一つは、戦争で亡くなった人の遺族や関係のあった人の可能性だ。前者の場合残念だけど後継者争いは決着を迎えたんだ、承芳さんの当主を認めてもらうしかない。難しいのは後者の場合だ。大事な人を戦で亡くす、そんな理不尽な事到底許せる訳が無い。それが戦争を引き起こした張本人への恨みなら尚更だ。もしかしたら、彼がその恨みを何処かで、考え得る最悪の形で果たそうと考えているかもしれない。

 身構えていると、彼はふっと力を抜きまた無表情に戻った。高ぶった感情を抑えるように、ぽつりと枯れた木々のように呟く。

 

 「芳菊丸のか……いや、それより寿桂尼様はお元気か?」


 彼の口から発せられた言葉に、なんだか拍子抜けしてしまった。どうして急に寿桂尼さんの事を。彼女の体調を気にしてると言う事は、何かしら関係を持っている人物という事だろうか。それに承芳さんの事を芳菊丸と呼び捨てで。気になる事が沢山増えてしまった。

 想像していなかった返答に、あたふたとしどろもどろになりながらも答える。


 「えっ? じゅっ、寿桂尼さんは元気に暮らしてますよ。えっとその、聞いてよかったらなんですけど、何故寿桂尼さんの事を?」


 「人の身体の心配をするのは、そんなにおかしい事なのか?」


 また不機嫌な顔になってしまった。僕の顔でそうコロコロ表情を変えられると、何だか変な気分になる。頬を膨らませて、無表情の時より少し幼く感じた。


 「すいませんっ、ちょっと気になって」


 「そういうお前は義元様の共らしいな。ふんっ、そんな女子のような成りで本当に務まるのか?」


 人差し指を僕の顔に向け、得意げな表情で毒を吐く。女っぽいと言えば僕への攻撃になってると思っているのだろうけど、残念ながらそのフレーズはもう聞き飽きたんだよね。それに彼、僕と同じ顔してるんだから、僕への言葉はそのまま自分に跳ね返るだけだ。


 「務まるかどうかは別にして、女の子みたいなのはお互い様な気が……」


 「なんか言ったか?」


 僕はなーんにも言ってませんよと白を切る。納得のいっていない様子の彼は、本堂の縁側を軽々と飛び降り、僕の方へ歩み寄って来た。彼の顔が近くなって、改めて自分の顔と似てることを実感する。まさに瓜二つだ。

 気が付かなかったけど、僕は本堂から延びる石畳のど真ん中にいた。苔の生え方的に、何年も手入れがされていなかったのだろう。それでも、よく見れば石畳だと分かるのは、人間の技術力の凄いところだ。

 下駄を威嚇するみたいにカランコロンと鳴らし、胸元をぞんざいにはだけさせた姿は、とてもお坊さんには見えない。ただそのどれもが無理をしているように見えて、背伸びする子供みたいで可愛らしかった。

 

 「何笑ってるんだ。さっきからお前、俺の事を馬鹿にしてるだろう、そうだろう。俺はな、この寺を一人で守り続けてるんだぞ。二歳の時親に捨てられ、それから15年間だ」


 「別に馬鹿にしてませんって。それと、さっきからそのお前ってやつやめてください。僕の名前は関介って言います。せっかくなら貴方の名前も教えて下さいよ」


 「あぁ、俺の名前は関四郎だ。気に食わんが、お前と同じ関という字が入ってるな。本当に気に食わんが」


 気に食わないと言われた。悲しい。別にそんな事言わなくてもいいと思うんだけど。同じ関の字を持つよしみとして仲良く出来ると思っていたのに、残念ながら早速振られてしまったようだ。


 「ところで関四郎さん、さっきから気になっていたんですけど、このお寺は何て名前なんですか?」


 「んっ? 名前なんて無いぞ? 俺が来たときにはこんな成りだったし。まぁ強いて言うなら、関四郎寺とか? おい、何だそのもう少しいい名前は無いのかって言いたげな目は」


 関四郎寺……まぁ名前は何でもいいんだけど。でも、関四郎さんが言った事は多分正しくて、15年程度じゃ石畳を隠すほど苔が生える事も無いだろうし、屋根瓦も長年の雨風の影響で殆ど姿を消している。建築マニアじゃないから分からないけど、もしかしたら五十年くらいこのままの姿で放置されていたんじゃないかと思う。


 「建てられた当時は、さぞ立派なお寺だったんでしょうね。沢山の人が参拝に訪れて、色んな声がこの森の中に響いていたんですもんね」


 「今じゃこの通り、木枯らしと時折聞こえる鳥の声くらいさ。中の大仏様も、とっくの昔に鉄へと変えられちまったし。寺というよりまぁ廃墟だな」


 何処か物寂しそうに廃寺を見つめる関四郎さん。その横顔から、この建物への愛着というかこだわりみたいなものが伺える。二歳から暮らしていれば、そこが廃墟だとしても実家なのには変わりはない。ボロボロの思い出しかないかもしれないけど、成長を見届けてくれたこの廃寺に、彼なりの想いがあるのだろう。


 「でも関四郎さん、この廃寺を15年間も住処にしていたんですよね。何だかネズミみたい……おっと、何でもない」


 「やっぱりお前、俺の事馬鹿にしてるだろ。関介と言ったか、用が無いならさっさと帰れ。俺は一人の方が好きなんだよ」


 嘘だ、一人の方が好きなら、僕の足音が聞こえた時隠れればよかったんだ。それなのに、ひょこひょこ顔を出したのは、やっぱり人と交流したいという気持ちからなんだろう。


 「関四郎さん、また此処へ来てもいいですか?」


 僕が尋ねると、関四郎さんはこちらを振り向き、少しだけ頬を染めると直ぐにそっぽを向いてしまった。駆け足で本堂の石畳を進み、階段を上り終えたところで立ち止まり、おもむろに身を翻した。


 「二度と来るな!」


 舌を出してまた直ぐに振り返り、本堂の中へと消えて行ってしまった。不思議な少年だった。この時代のもう一人の僕は、生意気で子供っぽくて、なんだか本当に鏡を見ているみたいだった。僕も、承芳さんや雪斎さんからああいう風に見られているのかな。

 また来ようかな。次は何か手土産でも持ってこよう。舌を出した時の彼の表情、何処か期待するような希望の顔だった。僕は少し嬉しくなって、スキップ交じりに廃寺を後にするのだった。

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