第21話 初夜
1537年 2月 14日
厳かな結婚の儀を終えた彼らは、その後三日間を共に過ごさなければいけないようで、その間一度も会うことなく僕は一人の時間を過ごしていた。久しぶりの一人の夜は、僕の精神を想像以上に消耗させた。一人で厠に行くときは足を震わせながら、布団に入ってからも見えない恐怖心に歯を食いしばって耐えていた。そのせいで、雪斎さんからも顔色が悪いと心配されてしまい、三日目には同じ部屋で眠らせてもらった。一人ではこんなにも弱いのかと自己嫌悪に陥った時は、会ってくれない承芳さんが悪いと自分に言い聞かせた。
昼下がりの縁側、流れる雲を数えながら無駄に時間だけを貪り食っていた。承芳さんと会えない日々が続いて、胸の中に工場から出る煙みたいな、息の苦しくなる靄が浮かんでいた。その靄は一日二日と日が経つ度に濃く重たくなっていき、徐々にはっきりとした正体を持ち始めていた。実は承芳さんが多恵さんと盃を交わしたあの夜から、僕はその正体をまだ暴けてはいなかった。
数えた雲が百を超えた辺りで、僕は空から目を離し猫のように横になった。日なたは温かいけど寒い。すると突然今の纏まらない思考回路を遮断するように、とろんと眠気が襲い掛かってきた。丁度いい、どうせこれ以上考えても答えは出ない訳だし、睡魔に身を委ねるのも悪くない選択だろう。それに、どうせ今日も承芳さんと会う事も無いだろうし。意識が朦朧としていく中で、ふと気が付いた。僕は今日、承芳さんの事しか考えていなかった。
「……さん…………さん!」
まさか自分の声で起きる事になるとは。涎まみれの口元を拭い周辺を見渡すと、既に太陽は地平線を超え、入れ替わるように細い月が顔を見せていた。ふと顔を伏せると、体に掛けられた毛布の存在に気が付き、僕は咄嗟に部屋の中を覗いた。けれど、淡い希望は、がらんどうとした空気に溶けて消え去った。恐らくこの毛布は、僕の様子を見に来た雪斎さんが風邪を引かないようにと掛けてくれたのだろう。言葉にできない苛立ちを埃臭い毛布にぶつける。投げ出された布切れは宙を舞い、静かな畳の上に音もなく落ちた。
居ても立っても居られない、承芳さんに会いたい。シンプルだけど心の中に芽生えた、一番大きな衝動だった。彼に会いたい、彼と話がしたい。今会わなければこの衝動的な気持ちが収まらないように思えた。
奥に伸びる廊下にはずしりとした静けさが沈殿し、深海のような色の無い世界が広がっていた。纏わりつく暗闇をかき分けるように廊下を歩く。その度に様々な思いに駆られ、僕の気持ちは足取りと同じように重たく沈んでいった。なんで僕はこんな複雑に考えているんだろう。どんなに自問自答しても出てこない答えは、僕の思考をとことん邪魔してきた。
少し背中が汗ばみ始めたころ、眠りに落ちた館の一室で、仄かに揺れる明かりが廊下に差し込んでいた。暗く閉ざされた深海に、太陽の光が降り注いだ瞬間だった。
「承芳……さん……」
部屋の中の人物へ絞り出した声を、すんでのところで引っ込める。部屋の中からは僕の一番聞きたかった声が聞こえてきた。だけどそれは、色づいた僕の知らない彼の声だった。そしてその声に被せるように、艶めかしい喘ぎ声が襖の隙間から廊下に漏れ出ていた。身体全体が拒否感を示しているのに、奥底の好奇心には勝てず襖の隙間から目を細めた。
「多恵……痛いところは無いか? 嫌なら明日でも」
「だめ……義元様、んんっ!……大丈夫だから……つっ、続きを」
炎が上がりそうなほどの熱を身体全身に帯びて行くのを感じながら、それでも僕は目が離せなかった。部屋の中のピンク色の空気に当てられ、僕の小さな突起部が疼き硬くなり始める。口をだらんと弛緩させ、歯の隙間から熱を帯びた吐息が漏れ出る。
「多恵……んっ……いくぞ」
「義元様……あぁんっ! 義元様ぁ!」
これ以上此処に居ちゃだめだ。やっと正常に働いた脳が、襖に張り付いた僕の体を引き剥がし、僕はおぼつかない足取りで自室を目指した。部屋の中で見た情景が生々しく脳内で再生され、官能的な情が袴を押し付ける僕の突起部を刺激するのと同時に、胸の周りを纏わりつく昼に覚えた不思議な感情がより濃くなっていった。
部屋に着くや、僕は布団の中に潜り込み枕へ顔を埋めた。耳を塞ぎ、もう何も聞きたくなかった。とにかく、外界から隔絶された世界で眠りたかった。なのに、心臓の音がやけに耳元で響き、僕の眠気を阻害してくる。
「ひぐっ、承芳さん……承芳さぁん……」
嗚咽を漏らしながら、頭の中は二人の姿でいっぱいだった。襲い掛かる罪悪感や自己嫌悪、そして脳内を染める淫靡な情が身体を支配したまま、僕は深い眠りに落ちていくのだった。
本日二回目の目覚めは、吐き気を催すほど最悪だった。気怠い身体を起こし、ズキズキと痛む頭を押さえ、粘ついた口内からうめき声が漏れた。悪夢を見た気がするけど、既に色あせて消えてしまっている。どうせ思い出したくない夢だ、頭を振って現実へ戻ってくる。
はだけた袴を直そうとした時、下腹部の膨らみに気が付いた。まだまだ主張が足りないようだ。いまだ勃ったままのナニの先をそっと撫でると、びりっと身体全身が痺れるような感覚に襲われた。
「おーい関介、承芳殿がお見えだぞ~、って何だ、もしやお取込み中だったか」
最悪のタイミングで、最も会いたい人物は僕の目の前に現れた。僕の悩みなんて素知らぬ様子で、へらへらと気の抜けた表情で僕を見下ろしている。
「一人で袴をはだけさせて、一体何をしていたんだ?」
まったくこの人は。頭のキレる承芳さんが、この状況をみて分からないわけないじゃないか。諦めるように大きな息を吐き、せめて露出したナニだけは布団で隠した。さっきまで立派にそびえていた突起部も、今はすっかり萎んでしまっていた。
「うるさいです」
分かり切った質問をする承芳さんに、苛立つ気持ちを思い切り前面に出して答えてやった。それでも彼はいつもの軽い調子で、僕の動揺を誘う言葉を続けた。
「関介、私たちの行為を見ていただろ?」
思わず舌打ちをした後、大きな嘆息を溢した。勿体ぶる承芳さんの台詞は、僕を試すようで無性に腹が立ったのだ。誰のせいでこんなに頭の中が……叫びたい気持ちをぐっと抑えて、抑揚のない言葉で返した。
「……気づいていたんですね」
「なんでお前がそんなに苛立っているのか当ててやろうか?」
僕は出来る限りの強がりで、冷静を取り繕うように手を広げた。彼にしてやられるのは嫌だったから。僕がここ最近、彼に振り回されていると思われたくなかったから。
「…………どうぞ」
「関介、お前多恵に嫉妬してるな?」
そんな事、承芳さんに言われなくたって知っていた。ただ認めたくなかっただけなんだ。僕は承芳さんに、その相手の多恵さんに嫉妬していたなんて。僕は憑きものが取れたような晴れ晴れとした表情で、彼の目を見た。多分少し笑っていたと思う。
「だめですか?」
承芳さんは首を横に振ると、満足そうな笑みを浮かべた。よかった、こんな気持ちの悪い感情を引きずったまま、承芳さんと過ごしていくところだった。きっとこれからも、思い出したように嫉妬する時があるかもしれない。だけど、もうこの気持ちを自分の中で理解できている。やっとこれで、心の底からおめでとうが言えそうだ。
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