第20話 結婚式

 甲高い鐘の音が、僕の頭の上で鳴り響いた。反響する音に耳を傾けると、胸の中に温かいものがじんわりと溢れ自然と顔が綻んだ。音に乗せられた幸せは、集まった人の鼓膜を通じて心の中へ染み渡り、誰もがその幸福の周波数に耳を傾け彼らの門出を心から祝福していた。

 ピンク色の空気の中で、二人は濃密な誓いの口づけを交わした。僕は思わずその行為に見入ってしまっていた。全身が火照り疼き始め、まるでおとぎの国にいるみたいなふわふわした感覚を覚え、徐々に頭の中がぼおっとしていった。彼は僕と目が合うと優しく微笑みかけ、それが僕を呼んでいるように思え手を伸ばした。その瞬間、世界は一時暗転し魔法の舞台は幕を閉じた。


 1537年 2月 10日


 瞼を開けると、そこには見知った天井の染みがあった。覚えのある布団、頭を預けている枕。どうやら僕は夢を見ていたようだ。とても幸せな夢を見た気がするんだけど、詳細までは思い出せない。ただ鐘の音だけは今も僕の頭の中で反響していた。

 むくりと身体を起こし欠伸を噛み殺すると、口の中がねばねばする気持ち悪さを覚えて不快感に顔を歪めた。隣には綺麗に折りたたまれた布団が、僅かな温もりを残して置き去りにされていた。承芳さんは既にいない。そして今日が彼との最後の同じ天井の下での就寝だった。

 今日は承芳さんと多恵さんの結婚式の日だった。


 暫く自室でだらだらとくつろいでいると、正装に着替えるよう伝達があった。ただ正装と言われても、何を着ればよいか分からないんだよな。なにしろ戦国時代に来て着用したことがあるのが袴だけだったため、この時代の服装事情には全くの知識が無いのだ。その事を伝達係の人に伝えると、明らかに動揺というか異世界の住人を見るような訝し気な目で見られてしまった。彼は面倒くさそうに部屋の中を物色していると、とある事に気が付き、僕の顔をじっと見つめて来た。そしてああと納得したような表情を浮かべ、手のひらをぽんと叩いた。いや伝達係さん? 分からないけど、きっと貴方勘違いしてますよ?

 広間に通されると穏やかな空気に満たされており、皆さん表情を崩して楽しそうに談笑していた。その中に雪斎さんの姿もあった。僕を見つけると、一瞬目を丸くして驚いた表所を浮かべるも、キレる頭で僕に起こった事態を直ぐに察したようだ。口に手を添えると、上品さの欠片も無い笑い声を上げた。周りの方々も、色物を見るような好奇な視線を向けてきた。ある者は手を叩いて囃し立て、ある者は鼻の下を伸ばし色情のこもった視線で僕の身体を舐めまわすように見つめてきた。

 

 「関介殿、何やら面白い事をしてますなぁ。女子の格好などして、一体どうしたんです?」


 「何も聞かないでください……ううぅ、恥ずかしいです」


 今僕が身に纏っているのは、いつもの地味な色の袴ではなく、中々に艶やかな着物だった。淡い水色の生地に、涼しげな流水と清々しい朝を思い起こすような朝顔の柄があしらわれ、暑い夏にはピッタリな着物だ。まぁ。今は冬なんだけどね。


 「どうせ伝達の者が、関介殿を女と勘違いしたとかそういった話でしょう。ああそうです、折角このような美しい着物姿になられたんですから、侍女の方々の手伝いをしてみませんか?」


 首をかしげ何も分かっていない僕の事をほったらかして、楽しそうな足取りで部屋から出て行ってしまった。僕の返答を聞かないにしても、手伝いの詳細くらいは話してもいいのに。雪斎さんが部屋から出ていった後も、室内は変わらず賑やいだままだった。特に話す人がいない僕は、この賑やかな空間の隅で一人隠れるように座っていた。

 暫くして何名かの女性の方が見えたと思うと、僕を引きずるように部屋から連れていかされた。どうやら僕に拒否権はないようだ。彼女らに連行された先は、何名かの女性が集まる狭い部屋だった。


 「貴方見た事の無い顔だけど新入りね。貴方名前は?」


 これは困った。見た目は女の子に見えても名前が関介なんだよな。雪斎さんめ、僕を男だと説明しなかったな。ただ今ここで正直に話せば絶対面倒な事になるし、黙っておくのが吉だろう。


 「蒼です。蒼天のそうであおです」


 自分の着物の色が青っぽい色だったからで、特に深い意味は無い。彼女はいい名前ねと微笑みかけるだけで、男と気が付く様子はなかった。とはいえ今後ばれてしまえば、さいあく変態のレッテルを貼られてしまいかねない。慎重に行動しなければ。


 「貴方に手伝ってもらうのは、知っての通り今日執り行われる婚姻の儀の仕事よ。失敗が許されない仕事だから、気を引き締めて頂戴ね」

 

 「は、はぁ。出来る限り頑張ります」


 僕は気の抜けた返事を返すも、侍女のお姉さんは満足そうに頷いた。


 「でも本当に丁度良かったわ。一人体調を崩してしまってね、人数が足りなくなったところだったのよ」


 彼女はそう言うと苦笑いを浮かべてた。手伝う事はやぶさかではないのだが、如何せん結婚式の流れも知らない僕が戦力になるのだろうか。非常に申し訳なさそうに結婚式で何をするか分からない旨を伝えると、多少驚きつつも優しく教えてくれた。

 聞いた話によると、僕が手伝うのは今日の夜に行われる、三々九度と呼ばれるお酒を酌み交わす儀式の配球係らしい。簡単に説明されたから、とにかく交互にお酒を飲むことしか分からなかった。だがまぁ、現代の結婚式に一度も出席したことがないから少し楽しみだ。

 

 「そうだ、貴方見たところお化粧が済んでいないみたいだし、私が手伝ってあげましょうか?」


 質問の体で殆ど強制だった。この人見かけは普通の女性らしい体型の女性なのだが、そこから到底想像できない力の持ち主なのだ。僕の必死の抵抗をもろともせず、化粧台の前まで引きずられてしまった。目の前の粗悪な鏡に映るでこぼこの自分の顔が、どんどん変わっていくのをただ呆然と見つめるしかない。雪の積もった日のような真っ白な顔に、深紅の口紅が逆に目立って、まるで間抜けなお殿様みたいな顔に自分で噴き出してしまいそうになった。眉毛も塗り直しちょこんと丸っこく描かれた。うん、平安時代の貴族かな?


 「うんっ! とても綺麗になったわよ。これで夜を待ちましょう」


 返事する元気がない僕は苦々しい笑みを無理やり浮かべた。こんな顔になったら、やっぱり口調も変えたほうがいいのかしら? 僕はぼうっとそんな余計な事を考えていた。


 夜を待つ間は数人の女性とリハーサルを重ねた。軽い気持ちで引き受けた手伝いだったが、此処まで準備を重ねると気が引き締まる思いだ。

 夜の帳が下り、部屋の外がやたらと騒がしくなった。恐らく新婦である多恵さんが、大所帯で館までやってきたのだろう。気になるけど、僕は裏方に徹しなければいけないから仕方が無い。


 「蒼っ、もう直ぐ義元様と多恵様がお見えになるから、そろそろ準備をして頂戴」


 儀式に必要な道具を入念にチェックする。お酒良し、杯良し。すると、何人かの足音が徐々に近づいてきた。部屋の中からも分かる緊張感に、慎重に生唾を飲んだ。


 今日初めて二人の姿を見た。キリっとした表情で前方を見つめる承芳さん。いつもに増して大人に見え、少しだけ見直そうと思う。ほんの少しだけね。

 遅れて入ってきた多恵さんが視界に入ると、一瞬で世界が変わって見えた。殺風景だった部屋が、いつの間にか美しく眩しいほどの銀世界に変わったかのように錯覚してしまった。彼女の初雪のように神秘的で透明な肌を、清廉な白無垢が包みこむ。まるで羽衣を纏う天女のようだ。つい彼女に見惚れ、侍女のお姉さんに肘で突かれたところで我に返った。

 遂にリハーサルで散々練習した三々九度が行われるようだ。他の侍女さんが二人に盃を手渡すと、遂に僕の出番だ。二人と対面する形になり緊張も最高潮。いざ彼らの前に出て、器から盃へお酒を注ごうとした時、着物の裾が自身の足に絡まった。態勢を崩した僕は、思わずお酒の入った器を大きく傾けてしまった。


 「きゃっ!」


 甲高い僕の悲鳴が狭い部屋にこだました。ゆっくりと注ぐはずだったお酒は、承芳さんの持つ盃から大きく逸れ、彼の袴にこぶし大の染みを作ってしまった。


 「ひゃわっ! もっ、申し訳ございません!」


 「私は構わないが、其方怪我は無いか……って、もしや其方……」


 その瞬間、硬かった承芳さんの表情が徐々に崩れ、弄る対象を見つけた時の悪戯っぽい笑みを浮かべた。噴き出すのを頬を膨らませて耐えていた。


 「貴方、何してるの? 趣味……かしら?」


 その右隣に立つ多恵さんは、吹雪より冷たい視線を僕に浴びせた。彼女の目には、男の僕が女装をしているようにしか映らないはずだ。いやその通りなんだけど。


 「蒼っ、大丈夫?」

 

 呼びかけられた僕の名前を承芳さんは不思議そうに首を傾げるも、それが僕の仮の名前だと気が付くと、にたりと意地悪に笑いかけてきた。ここで話を大きくされては困る。祈るような視線を承芳さんに向けると、大体の事を察したようでそれ以上追及することはなかった。後で揶揄われるのは覚悟しておこう。


 「其方蒼というのか。とにかく怪我が無くて良かった。其方の働きのおかげで、こうして素晴らしい婚姻の儀が行えるのだ。皆もそうだ、こんな私の為に幾日も練習を重ねたのだろう? ここで改めて感謝をいたす、有難う」


 思わぬアクシデントに心配し、顔を覗かせていた他の侍女たちはとろっと呆けた表情を浮かべ、中には涙ぐむ人もいた。和んだ空気の中、承芳さんと多恵さんは同じ盃で飲み交わした。はぁ、とにかく終わって良かったよ。僕は、この浮ついた空気の中、逃げるように裏の部屋に隠れた。

 慌ただしかったけど、どうにか儀式は済んだようだ。政略結婚にしろ、これで彼らは立派な夫婦となるのだ。決して仲が良いとは言えない彼らだが、こうして並ぶ二人はお似合いのように感じた。それと同時に、僕の胸の奥がチクリと痛んだ。

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