第16話 記念日

 1536年 12月 20日


 自室の縁側に腰掛け、外の世界をぼーっと眺める。肌に触れる風と大地が奏でる音で、四季の移り変わりを実感できる。そして移る季節は早いもので、暑い夏に文句を言っていたと思えば、様々な色を見せてくれた秋を通り過ぎ、今は透き通るような無色に染まる冬だ。越冬は自然が教えてくれた。春から秋にかけて隆盛を誇った草木たちはその飾りを地面に落とし、あれだけ好き放題騒いでいた虫たちの声は途端に聞こえなくなった。冬は静かな季節だ。あの太陽ですら元気をなくして、冷気の侵攻を許すのだ。唯一うるさい存在は、肌を切り裂くように吹き付ける乾いた風だけだろう。長い時間冷風を浴びた僕は、肩を抱いて部屋の中に逃げるように引きこもるのだった。

 

 「へくちっ」


 控えめの音が、容赦なく強風が吹きつける部屋の中に響いた。中に逃げ込んで来たというのに、寒さは一向に収まらない。布団の中に包まるのも一つの手だと思ったけど、多分そうしたら最後布団から出る事は出来ないだろう。


 「随分と可愛らしいくしゃみをするのだな」


 僕の背後で布団に包まったままの承芳さんが、顔だけこちらに向けていたずらっぽく笑いかけてきた。どうせ言葉の続きは女のようだと言いたいんだろう。学校でクラスメートにも言われたことがある。どうしてくしゃみ一つで、男らしさ女らしさを見出す必要があるのだろうか。そんな抗議の意味も込めて、僕は承芳さんの布団を引き剥がした。


 「なっ、何するんだ! うわっ、寒っ!」


 悲鳴を上げ、体を抱いて震える承芳さん。まるで指でつついて丸まったダンゴムシだ。こちらを恨めし気に睨んでくるけど、気にも留めずに布団を三つに畳んで部屋の隅に片付けた。


 「お前はよくこんな残酷な事ができるな。親からどんな教えを乞えば、そんな極悪非道な人間になるんだ」


 「承芳さんこそ、その怠けた精神を一体誰から教わったんですかねえ」


 頬を膨らませて抗議の視線を向けてくる。そのすぐに駄々をこねるのも、誰かさんからの教えの一つなのだろか。僕は丸まったままの承芳さんの目前でしゃがむと、両手で頬っぺたを思い切り挟んでぐりぐりと揉みこんだ。冷たくなった僕の手のひらに、じんわりと温もりが広がって心地よい。

 だが承芳さんも、やっと空いた手で僕の至福の時間を邪魔してきた。まぁ気持ちよかったし満足だ。それに引き換え承芳さんは、両頬を赤く染めて不満そうな表情で見つめてきた。


 「むぅ~、関介が意地悪する」


 「はいはい、意地悪で結構です。そんな寒いなら道場いきましょうよ。僕が稽古をつけてあげますよ」

 

 露骨に嫌そうな顔をする承芳さん。この人、一応武士だよな? 彼が稽古をしている所を一度も見たことが無い。剣の腕がさっぱりなんだから、少しは精進したらどうなんだ。

 立ち上がって廊下の方へ向かうと、渋々といった様子で承芳さんも付いてきた。帯がだらしなくはだけ、のそのそと歩く姿はまるで元旦の日の父親のようだ。承芳さんのどうしようもなさに、白い溜息を溢した。


 冬の早朝という事もあり、道場には閑古鳥が鳴いていた。まぁ人の少ない方が集中できるし好都合だろう。到着するまでやれ寒いだ、やれ眠いだとか文句を垂れていた承芳さんだったが、ぴかぴかの床を見て感心するように息を吐いた。因みに暇だったので僕が昨日床掃除したのだ。


 「はい竹刀です。先ずは肩慣らしに素振りでもしましょうか。まだ朝で身体も硬いと思うので、取り合えず五十回くらいでいいですよ」


 「ごじゅっ、それは多すぎやしないか?」


 また嫌そうな顔をする。その反応で大体剣の腕がいまいちな理由が分かるな。


 「承芳さんなんか一万回素振りしても足りないくらいなんですから、五十回程度で文句を言わないでください。ほんとに、それでも今川家の当主ですか」


 僕がつらつらと文句を述べると、拗ねた子供のように唇を尖らせてボソッと言った。


 「関介だって漢字読めないくせに」


 「今なんか言いました? はぁ、口だけは達者ですよね。それを少しは剣の腕に活かしたらどうです?」


 「すぐ泣くくせに」


 僕は握った竹刀を思い切り承芳さんの頭頂部へ振り下ろす。すぱんと気持ちよい音が道場内に響いた。そして少し遅れて、濁った叫び声が響き渡った。僕を挑発するという事がどういうことか、その身で体験するといいさ。


 「無駄口叩いてないで早く稽古しますよ。はいっ、直ぐに立つ!」


 「関介が怖い」


 潤んだ目で見つめても無駄だ。僕はそれを無視して竹刀を振ると、心底嫌そうな顔をしながらも承芳さんも僕に続いた。やっと言う事を聞いたと思ったら、だるそうに体の前で適当に竹刀を振っているので、もう一発頭に食らわした。師匠の雪斎さんもさぞ大変だったろうと、心の中でその苦労を労った。


 素振りを五十回し終えると、少し体もぽかぽかしてきて首筋に気持ち良い汗が伝った。集中して竹刀を振るった後は、頭がとても冴えるしリフレッシュできる。そしてこの丁度良い疲労感が身体全体に染みわたり、心地よい達成感に浸れる。だから早朝の稽古は好きなのだ。

 ふと隣を見ると、既にバテバテの承芳さんが、竹刀を杖代わりに立っていた。立っているのもやっとのようで、足が生まれたての鹿のように震えていた。いや、そんな大したこともしていないのに。彼の体力の無さに脱力感を覚える。


 「そんな疲れました?」


 「当たり前だろう。刀を振るうなんて久方ぶりなのだ。蹴鞠はやるんだけどな」


 そう、承芳さんは身体能力が悪い訳じゃないのが不思議なのだ。蹴鞠の時は足の甲を使って器用にボールを蹴るのに、剣の腕だけは絶望的に無いのだ。


 「そうだ承芳さん、久しぶりに手合わせしませんか? どれくらい上達したか見てみたいですし、もし良ければ打ち方とか教えてあげますよ」


 「そうだな、久方ぶりの手合わせとは腕がなるな。そういえば今日は十二月二十日、お前と初めて会った日だな。覚えてるか? 去年のこの日も、今と同じように手合わせをした事を」


 当たり前だ。あの日の事を昨日の事のように覚えている。この一年間、本当に色々あった。死にそうにもなったし、いっぱい泣いた気がする。それでもあの日承芳さんと出会えた事が、僕の中で一番の思い出なのだ。


 「勿論覚えてますよ。懐かしいですね、貴方に初めて会った日。僕はあの日貴方に出会えたおかげで……」


 「おかげで?」


 「な、なんでもないです! それより、早く始めましょう! 真剣勝負です、負けても拗ねないでくださいよ!」


 僕は誤魔化すように無駄に大きな声で言い、竹刀を構える。釈然としない様子の承芳さんも、僕に倣って構えた。二人の間に緊張が走る。それはあの日のようなよそよそしい空気ではなく、この一年で培った友情からなる柔らかな緊張感だ。

 お互いすり足で間を取る。竹刀を握る手のひらに汗がに滲む。そして次の瞬間、あの日と同じように承芳さんの方から仕掛けてきた。


 「うりゃあぁ!」

 

 その打ち方で、承芳さんが僕に隠れて稽古をしていたことが分かった。あの日よりもスピードもあるし、大幹もしっかりしている。型も綺麗で、僕から見ても非の打ちどころが無かった。だけど。


 「えいっ!」


 振りかぶった竹刀を上にはじき、がら空きになった頭へ面を打った。それはもう、鮮やかすぎるほど綺麗な一本であった。手の中には、果実の硬い皮を押しつぶしたような感触が広がった。その後直ぐに、背後で床に崩れ落ちる音が聞こえて、そこで僕は我に返る。おもむろに振り返ると、床に倒れ伏して目を回し伸びてしまっている承芳さんがいた。

 …………やっぱり、承芳さんはいつまでたっても弱かった。


 夜ともなると寒さも一段と増し、吐いた息が直ぐに白い水蒸気になり乾いた風の中に消えていった。冬の夜はたまに怖くなる。静まり返った暗闇は、まるで世界が眠りに落ちたようで、もしかしたら今起きているのは自分だけなのかもしれないと恐怖を覚える。そんな夜は誰かが傍にいて欲しかった。そうでもなければ、心細くて泣いてしまいそうになる。

 縁側で足を投げ出して座る僕の膝の上で、承芳さんは吐息を溢しながら気持ちよさそうに眠っていた。彼のほっぺたを指でつつく度、程よい弾力に押し返される。押しては返し、押しては返しを繰り返していると、不意に承芳さんの瞼が震え始めた。


 「んん、んっ? 此処は?」


 「やっと目を覚ましましたか、承芳さん」


 目を瞬かせて首を左右に振る。そして、自分の状況に気が付いたのか直ぐに顔を上げてしまった。もう少しこうしていても良かったのに。頬を少しピンク色に染めて、僕の顔をじっと見つめそっと呟いた。


 「私どのくらいこうしていた?」


 「僕の膝の上でって事ですよね? さぁ、どれくらいでしょうね。でも、そろそろ足が痺れてきましたよ」


 「ううぅ、すまなかった。まさか一日中も眠っていたとは」


 多分普段の疲れもあったのだろう。まぁ、一番の理由は僕なんだけど。

 それと一日中膝枕していたわけではない。さっきまで布団の中で熟睡していて、ほんの数十分前に縁側まで引きずってきたのだ。これは僕のほんの我儘だ。

 

 「今だけは隣にいて欲しくて。だって今日は、貴方と出会った記念日ですもん」


 「丁度一年前の今日だな。大層変わった姿だなというのが、初めて会った時の印象だ。変な男に衣服を貰ったなどと、妙な嘘をついていたな」


 やっぱばれてたんだ。まぁ当たり前か。承芳さんの洞察力や見抜く力は本物だから。それでも、あの時僕を受け入れてくれた優しさには、感謝してもしきれない。


 「僕はとんだ変人に捕まったと思いましたね。雪斎さん含めて、第一印象は余り良くなかったです」


 お互いの視線がぶつかり、ぷっと噴き出した。


 「変わった者同士、出会う運命だったのかもな」


 「きっとそうだったんですよ。もしかしたら僕たち、前世でも出会っていたのかもしれませんね」


 祖父の形見の入った財布を猫に取られ、追いかけてる内にいつの間にか戦国時代へ。あの出来事さえなければ、今頃僕は高校を卒業し、大学に進学する。そんな平凡な人生を送っていたに違いない。もしかしたら、祖父のあの形見に不思議な力があって、僕らを引き合わせたのかもしれない。もう僕はタイムスリップを経験してしまったんだ。そんな嘘のような話もすんなりと受け入れられる。

 もし承芳さんが、現代に来たらどうしようか。先ずは飛行機に乗ろう。びっくりしすぎて気絶してしまうかも。次に一緒に学校へ通うんだ。最初の内はクラスでも浮くかもしれないけど、直ぐに打ち解けて沢山の友達を作るだろうな。

 承芳さんへそっと肩を寄せる。貴方はそれを優しく受け止めてくれた。どの時代でも、隣にはきっと貴方がいるんだろうな。それはなんて素敵な運命なんだろうか。

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