第13話 花倉の乱 (3)

 1536年 6月 9日

 

 僕らが館で襲撃されてから幾日か経った。

 どうやら恵探さんたちは、花沢城という城に立て籠もっているらしい。地図で見せてもらったところ、場所的に現在の焼津市くらいの場所である事は分かった。ただそれ以上の情報は僕には無く、どうやって攻めるとか理解できない会話を横目に聞いて飽き飽きしていた。

 雪斎さんはお隣の国の北条さんの援軍もあり、数日の内にあっさり落ちるだろうとニコニコしながら話してくれた。怖い。戦国時代に情けなどというものは無いらしい……うん知ってた。


 山城である花沢城を見上げる形で布陣した一つの陣の中に僕らはいた。誰もが口に出さないものの、勝利を確信したような安心感から少し浮かれた空気が蔓延していた。お城で今も攻め続けている仲間も守る恵探さんたちも、きっとそれどころじゃないはずなのに。少し腹が立つ。そんな周りの空気も、何もできない自分にも。

 今日の承芳さんは、見慣れない甲冑に身を包みずっと険しい顔で山頂を見つめている。承芳さんにとって初めての戦争だ。気を張り詰めるのも無理はないだろう。でもその胸中にあるのはそれだけじゃないはずだ。あの山の上のお城では、今も自分のお兄さんが味方の兵と戦っているのだから。


 「承芳さんの真面目な顔初めて見ました。結構似合ってますよ、その恰好」


 僕の軽口に、ぎこちない表情で笑い返した。

 

 「茶化すなよ、これでも今川家の次期当主だぞ。これからは袈裟ではなく、甲冑に袖を通すことが増えるのだ。今日のうちに慣れておかねば」


 「どっちも格好いいと思いますけど、やっぱり袈裟の方が似合ってますね」


 やっぱりどうしても、承芳さんには戦争が似合わなかった。刀を握る姿も、それを人に向かって振り下ろす姿も想像できない。袈裟を着て、僕の隣で笑っている姿がどうしてもちらついてしまう。

 

 「それでも私は決めたんだ。屍の道を進むことに」


 「それが承芳さんの決めた道なら、僕は付いて行くだけですよ」


 それ以上言葉を交わすこともなく、僕らは山の頂を見上げた。僕らが歩く道の途中には、恵探さんたちの屍も転がっているのだろう。でもそれを拾い上げる事は出来ない。出来るのは、ひたすら前に進み続ける事だけだ。

 きっとその道は、引き返すことのできない一本道なのだろう。振り返れば死神がいて、鎌を振りかぶっているに違いない。少しでも足を止めれば、道に転がる屍は僕らだろう。


 1536年 6月 10日


 花沢城はものの見事にあっさりと陥落した。雪斎さんに連れられ僕らも城内に踏み入ったが、そこに恵探さんの姿は無かった。

 恵探さんたちが花倉城に逃げ落ちたと聞かされるのは、それほど時間はかからなかった。承芳さんの味方の人たちが、血眼になって探したのだろう。それだけ本気さが伝わってくる。

 その日のうちに、僕らは恵探さんが立て籠もる花倉城に向かった。皆の軽快な足取りとは反対に、僕の心は漬物石がのしかかっているように重たかった。

 

 「承芳、最後はお前が指揮を取れ。お前が恵探の首を取るのだ」


 「……あぁ、分かっている」


 「関介殿、今川と無関係な貴方には大変な迷惑を掛けましたね。ですが、どうか承芳の近くにいてやってください。承芳はまだ未熟な故、貴方のお力が必要なのです」


 「僕の居場所は、元々此処にしかないですから」


 承芳さんの腰に手をまわして背中に耳を当てる。甲冑はごつごつして冷たかった。でも承芳さんの心臓の音は聞こえる。僕と同じ鼓動を奏でて、僕と繋がっている。

 

 「関介殿は本当に心がお優しい方ですね。ですが、もし貴方の心に少しでも情の気持ちがあるなら、いま此処で捨ててください」


 「分かってますよ」


 「本当ですか?」


 聞こえない振りをして顔を背けると、雪斎さんは困ったような顔を向けてきた。少しぐらい困ればいいと思う。これはほんの些細な僕の抵抗だ。そんな子供だましに、雪斎さんは心配そうに眉をひそめた。それがやけに癪に障った。

 

 先頭の動きが徐々に緩やかになっていき、やがて止まった。道なりを歩く軍隊の中間地点にいた僕らには前方の様子は見えないけど、多分目的地の近くまで着いたのだろう。

 目的地、つまり恵探さんの立て籠もるお城だ。


 「諸城は北条がことごとく落としたらしい。残すは恵探の首だけだ。明日の夜明けとともに攻め込む、分かったか?」


 「和尚、私の進む道は間違っていないよな? 血にまみれたこの道こそが正道なんだよな?」


 「そうだ。お前は何も間違ってはいない」


 承芳さんは空を見上げて何を思ったのだろう。雪斎さんに向き直った顔は清々しいようにも、泣きそうにも見えた。


 「そうか……それなら良かったよ」


 1536年 6月 11日


 早朝。承芳さんの、そして僕にとっての初めての戦争が始まった。

 承芳さんの横に立つ僕の目の前には、今川家の重臣さんたちがずらりと並んでいる。すごい迫力だ。僕はいつものように承芳さんの後ろに隠れた。

 僕と違って承芳さんは全く臆することなく、堂々と面々を見据えていた。腕を伸ばすと、次の瞬間には重臣さんたちが一斉に跪いた。誰もが首を垂れて、それは王様の前の家来みたいだ。そうだこの人はまさに王様なのだ。今川家次期当主なのだと、今改めて実感する。


 「皆の者。恵探方には、かつて我らの同胞が何人もいるだろう。だが容赦はいらぬ! 賊軍恵探を打ち払って、我こそが今川の次期当主であることを証明するのだ!」


 「おう!!!」


 男たちの野太い声が、眠った草木に反射して響き渡る。それが開戦の合図だった。

 兵士たちは山頂目掛けて我先にと駆け出していく。甲冑が擦れる音、槍の先の金属の部分がぶつかる音で僕の心の中は嵐のように乱れていた。覚悟は決めていたつもりだけど、いざ決戦となると話は違う。学校の運動会の騎馬戦なんかじゃなく、本当の殺し合いだ。自分がいつ殺されてもおかしくないのだ。

 まさに一度殺されかけたあの日の夜を思い出して、肩が勝手に震えだした。辺りは喧騒に包まれているのに、自分の歯がぶつかる音は鮮明に聞こえる。

 奮い立たせようとしてもやっぱり怖い。今すぐ泣きじゃくりたい。目元を拭っても、直ぐに視界は霞んでしまう。前に進みたくても、足がすくんで全く動けなかった。

 

 「関介、怖かったら言ってくれ。私は大丈夫だから、お前は此処に残っても良い」


 背後から声が聞こえてほっとした。自分のベッドに倒れこんだときみたいで、そのまま布団にくるまって寝てしまいたかった。だけど僕は思い切り布団を蹴り捨てると承芳さんに向き直った。


 「付いていきます! 承芳さんと同じ道を行くと決めたから。何処にでも付いていきますよ!」


 一瞬だけ面食らったように目を見開いて、直ぐに悪戯っぽい笑顔を向けてきた。


 「本当に大丈夫か? また漏らしても知らないぞ?」


 「なっ! 次行ったら、後ろからお尻を蹴りますからね」


 「はははっ! それはいいな、いつでも蹴ってくれ」


 それはずっと僕について来いって意味で捉えていいんだよな? やっぱり僕がいないとこの人はだめなんだから。自分の事を棚に上げてそんな事を思いあがる。いつの間にか、身体の震えは止まっていた。


 承芳さんの味方軍の気勢はすさまじく、僕の不安を吹き飛ばす勢いで恵探さんが立て籠もる城に攻め込んでいった。

 結局僕の目の前に敵が現れる事は無かった。あっという間に城は落ち、恵探さんは数名のお供を連れて普門寺というお寺に逃げ延びたらしい。まだ日が暮れて直ぐだ。相手の戦力がそこまでとはいえ、まさか半日で落としてしまうとは。

 これが正真正銘、最期の時だろう。

 

 1536年 6月 12日


 僕らの軍は普門寺の周りを囲んでいた。最初こそ抵抗の姿勢を見せていた恵探さんだけど、こちらの兵の数の前に遂には屈した。

 普門寺の本堂に入ると、縄でぐるぐる巻きにされた恵探さんと対面した。僕らを視界に映した彼は目線を落として悔しそうに唇を噛んだ。


 「すまぬ和尚。他の者を外に出してくれないか? 私と兄上だけで話したい」


 「分かった。だが私は立ち会わせてもらう。何が起こるか分からぬからな」


 他の家臣さんたちを本堂の外に出すと、全ての障子を締め切った。部屋の中には今までの喧騒が嘘のような静けさが漂う。その静寂を最初に破り口を開いたのは恵探さんだった。


 「すまんな承芳、雪斎。其方らには大変な迷惑を掛けた。だが、私にも譲れないものがあったのだ。ただそれもここまでのようだがな」


 「黙れ賊が」


 雪斎さんの声は氷柱のように鋭くて冷たかった。突き刺された恵探さんは、それ以上口を開くことなく目を伏せた。


 「兄上、どこで私たちは道を違えたのでしょう? 同じ道を歩んでいれば、今頃貴方とも」


 「承芳、もうよい。もう終わった事なのだ」


 「兄上…………」


 「雪斎、早く私を殺せ。もう現世に未練はない。これ以上私が生きながらえては、今川にとっての毒だ」


 「お前を殺すのは私ではない。承芳、刀を持て」


 承芳さんは一瞬だけ逡巡すると、直ぐに懐の刀を抜いて前に出て縛られる恵探さんの隣に立った。刀を握る手は微かに震え、強張った表情から彼の決意と揺れ動く心が見えた。


 「そうか、お前に殺されるなら本望だな」


 「すまぬ兄上。すまぬ……」


 遂に承芳さんが恵探さんを…………

 これしか道は無かったんだ、これが承芳さんの決めた道なんだ。僕はそう自分の心に言い聞かせる。唇を噛み口の中に鉄の味が広がった。握る手のひらにはじんわりと汗が浮かんだ。これでいいんだ、これでいいんだ。

 承芳さんは刀を一度振りかぶる素振りを見せ、その腕を下ろした。

 

 「早くしろ承芳。罪人の首を刎ねるだけだ」


 雪斎さんの言葉は、まるで水の中のように遠くで聞こえた。

 決意を固めた承芳さんが刀を振り上げる。表情は苦悶に満ちて、その姿が僕の瞳に鮮明に映し出された。


 その時目の前がオレンジに光った。次の瞬間には、僕の足は承芳さんの元に向かって動いていた。


 「承芳さん! だめです!」


 「おっ、おい関介! どうしたんだ、放せ!」


 「だめです承芳さん! だめです! 貴方が恵探さんの首を切っても、死んじゃうのは……貴方なんですよ?」


 振り下ろされた刀は、恵探さんのすんでのところで止まった。

 僕は承芳さんの裾を掴み、ただがむしゃらに叫んでいた。気が付いてほしかった、彼自身の気持ちに。届いてほしかった、僕の切実な想いが。湧き上がる感情の雫がとめどなく流れ、真っ赤に腫れた目を縋る思いで彼に向けていた。


 「関介殿、邪魔をしてはいけません! ここで殺さねば、この争いは終わらないのです!」


 「うるさいっ! 承芳さんの気持ちも知らないくせに邪魔するな! 自分の手を汚さないからそんな事言えるんだ! 承芳さんはすごく悩んだんだ、傷ついたんだ! そうやって自分の心を殺そうとしてまで、自分のお兄さんを殺そうとしてるんだ!自分の手を血で染めて、屍の道を進もうとしてるんだ! なんでそれが分かんないだよ!」


 雪斎さんの方をきっと睨むと、髪を掻き毟り苛立った気持ちを吐き出すように手を振って言った。僕の剣幕に押され、雪斎さんは押し黙り苦い表情を浮かべた。


 「関介殿、もういいんです。承芳が私を殺せば終わる話なんです」


 その言葉に、僕の中のなにかがはじけた気がした。ここに来て的外れな事を抜かす裏切り者の顔を思い切り殴りつけた。指に硬い骨がぶつかる衝撃を覚えた。頭に血が上り、咄嗟に承芳さんが腕を掴んで止めてくれなかったら、そのまま殴り殺していただろう。


 「なにが私を殺せばだ! お前が全部悪いじゃないか! お前が敵対するから、承芳さんが傷ついたじゃないか! 全部お前のせいじゃないか! なのになんで、なんで一番辛い事を承芳さんにやらせるんだよ! 死ぬなら一人で死ねよ! 承芳さんを巻き込むなよ!」


 「関介、私は大丈夫だから、私が兄上を殺せば」


 承芳さんが僕の顔を覗き込んできた。どうして貴方はまだ僕の事を心配するんだ。なんで自分の気持に向き合わないんだ。

 立ち上がり彼の胸倉を掴むと、そのまま床に押し倒した。僕は倒れこむ承芳さんへ馬乗りになると、胸に顔を埋め感情のままに叫んだ。


 「もう嘘は止めてよ! 貴方の本音を聞かせてよ! 今貴方には全てを決める権利があるんだよ!」


 瞳からとめどなく流れる雫を拭う事はもうしなかった。涙を飛ばして、心に閉まっていた全ての感情を承芳さんにぶつけた。


 「貴方の心が死んでほしくないから言ってるんだよ! 殺したくないって言ってよ! 言ってよ! お願いだから……言ってくれよ」


 ぼやけた視界の中で、承芳さんはわなわなと震わせた唇で呟いた。


 「私は、私は……兄上を……」

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