第8話 暗雲

 挨拶はお昼からにしようという事で部屋にてくつろいでいると、突然雪斎さんがやってきて集まりがあると伝えられた。関係ないと思ったのだが、どうやら僕も来て欲しいとの事だった。僕一人でも暇なので丁度いいかもしれない。とその時まではそう思っていた。


 部屋に顔を出すと、この場に来たことを猛烈に後悔した。すごい怖い顔つきの方々が何人も集まり、机を挟み熱く話し込んでいた。いやなんで僕も呼ばれたのだろうか。完全に場違いじゃないか。承芳さんの後ろをちょこちょことついているけど、さっきから皆さんの視線が痛い。怖すぎて危うくちびってしまうところだった。

 ただ、以前あった正成さんがいない事に気が付いた。このメンバーの中でなら、あの人がいてもおかしくなさそうなのに。その違和感も、あまりの恐怖感に直ぐに消えていった。

 

 「よかったなぁ関介、挨拶に回る手間が省けたぞ」


 「まっ、まさか、この人たちのとこに挨拶へ行くんですか。嫌ですよ、怖いし」


 僕らがコソコソ話していると、一人の男が近づいてきた。さっと承芳さんの後ろに隠れて男の顔を覗く。まぁ予想に反せず武骨で怖そうな顔だ。さらに直ぐ近くに来ると、頬や額に傷がある事に気がづいた。数々の戦争を乗り越えてきたのだろう、その度に多くの人を斬ってきたのだろう。そう考えるとなおの事恐ろしかった。


 「承芳様、御無沙汰しておりました。御屋形様に似て、大変立派になられましたね」


 ゆったりとした口調でだけど荘厳ある喋り方だ。年は四、五十くらいか。雪斎さんよりは年下だろうけど、なんだか雪斎さんより雰囲気は年上に感じる。話し方なのか、単に雪斎さんが年を感じさせないだけだろうか。


 「何を言う親綱殿。私もまだまだ未熟者だ。父上にも、兄上にも到底追いつける気がせん」


 「またまたご謙遜を。私の倅に比べれば、なんと立派な……」


 「承芳様! 承芳様ぁ~!」


 荒々しい足音と、幼く高い叫び声が二人の会話を遮った。目の前まで走ってきたのは、まだあどけなさの残る少年だった。少年は自分の勢い余って承芳さんに思い切り突撃し、承芳さんの上へ覆いかぶさるようにして倒れこんだ。


 「この長教、承芳様に会える日を指を折って待ちわびておりました!」

 

 少年は倒れこむ承芳さんの上で、目を輝かせながら興奮気味にまくし立てる。承芳さんの鼻先まで顔を近づけると、にんまりと顔を崩した。そのまま犬みたいに顔を舐めまわしそうな勢いだ。


 「この馬鹿者が! さっさと承芳様の上から降りんか!」


 強面のおじさんは少年の襟首を掴み、無理やり承芳さんから引き剥がした。振り解こうとじたばたする少年の頭に、重そうな鉄拳が落ちた。それきり少年は頭を押さえて静かになった。

 承芳さんはというと、倒れこんだ拍子に床へ後頭部をぶつけたようで、頭を押さえて悶絶している。仕方がないので、傍に寄り心配する素振りだけは見せておく。まぁドンマイ!


 「申し訳ございませぬ承芳様。ほれこの馬鹿者が、早く謝らんか!」


 「も、申し訳……」


 「はっきりと申さんか!」


 少年は目にいっぱいの涙を溜めると、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。どうやら不貞腐れてしまったようだ。悪さをして親に叱られる小学生みたいだ。


 「親綱殿、私は大丈夫だからその辺にしてやってくれ。長教、久方ぶりだな。会えて私も嬉しいよ」


 そう声を掛けた途端、少年の顔がぱぁと明るくなった。なんて分かりやすい子なんだろう。おじさんは深い溜息をついて、顔を手で隠した。眉間の皺の数だけ、おじさんの苦労が見える。


 「承芳様見てください! 長教はこんなにも大きくなりました!」


 えっへん! と胸を張って、自分の体を見せる少年。承芳さんはその可愛らしい仕草を、親戚の集まりで久しぶりに会ういとこのお兄さんみたいな優しい表情で目を細めた。


 「逞しくなったじゃないか! 其方が居れば、当家も百人力だ!」


 確かに承芳さんの言う通り、少年は逞しい身体をしている。ただ身長は僕よりよっぽど低く、顔もまだまだ幼い子供だ。褒められた少年は、その場でぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを全身で表している。うん中身も幼いな。すると少年は、急に僕の方を向いてキッと睨んできた。


 「ところでさっきから承芳様の傍にいる女! お前は何者だ!」


 「……僕?」


 「そうだ! うらやま、じゃなくて、何故女がこの場にいるんだと聞いているのだ!」


 本音が漏れてるぞ。なるほど、承芳さんラブなこの、僕が承芳さんの隣にいるのが面白くないんだな。可愛い奴め。


 「それは僕が承芳さんのお供だからだけど」


 「とっ、供!? 嘘をつくな! 女が供など務まる訳ないだろ!」


 とんちんかんな事を言い出す少年。ただそれは僕から見たらの話で、外から見たら少年の言い分の方が的を得ているような気がする。悔しいけど。


 「長教は勘違いしている。関介はこう見えても立派な男だぞ」


 少年は承芳さんと僕の顔を何度も見返し、不思議そうな表情を浮かべる。頭の上にクエスチョンマークが見えるようだ。それとこう見えてもは余計な一言だろう。


 「そう言う事。分かったかな、少年?」


 自分の間違いに気が付いたのか、少年の顔がぼっと火照る。それで分かってくれたかと思ったけど、まだ僕の方を睨んでくる。


 「そっ、そんなの関係ない! 長教はお前を女のようだと言ったんだ! 女のような成りの者は、この場から出て行けと言ったんだ!」


 まだ僕に突っかかって来るのか。ただ生意気なところが中々可愛らしいので、つい挑発気味に言い返してしまう。


 「さっきと言ってること違うけど? 自分の非を認めないとか、武士としてどうなのかな?」


 「うっ、うるさい! お前なんか嫌いだ! 此処から出てけ!」


 「僕の事がそんなに嫌なら、君が出ていけばいいんじゃないかな~?」


 「ああああ! その喋り方が腹立つ! もうっ、いい加減にしろ!」


 遂に実力行使に出てきた。少年のパンチは素早く、体重が乗っているいい攻撃だ。だが結局身長差のある僕とのリーチの差は埋められない。攻撃が僕の体をヒットする前に、少年の頭を右手で抑える。少年も必死に腕を振るが、その全ては虚しく空ぶるだけだ。


 「ほらほら少年。攻撃が当たんないよ」


 生意気な少年め。これが実力差だ。ただ僕は夢中になるあまり気が付かなかった。背後の禍々しい気配に。

 

 「ほらほらもっと……」


 「関介殿?」


 ぴしっと背筋が凍った。ただならぬ気配を感じたのか、少年も動きを止める。そこでやっと気が付いた。周りの人たちが全員こちらを見ていることに。鋭い眼光を飛ばす人。孫を見るような暖かい目を向ける人。それら様々だが一つ分かるのは、ぼくの背後に立つ人が般若の形相で睨んでいるという事だ。

 僕は助けを求め、泣きそうな顔で承芳さんの方を見る。


 「関介ってたまにだがむきになるよな。まぁ此度はお前が悪い、諦めてくれ」


 そんな無慈悲な。結局僕と少年は、部屋の外でこっぴどく説教を受けた。あぁ、なんで僕はいつもこうなるんだろう。


 一時中断となっていた会議は、ようやく進められた。周りからの視線が辛い。雪斎さんに、帰りますと伝えたが、残っていろとの事だ。何故なんだ。


 「気を取り直して。現状一番の脅威であるのが甲斐の武田信虎であることは間違いない。奴め何処から聞きつけたのか、御屋形様が体調を崩したという情報を持っておる。恐らく御屋形様が亡くなる機会を虎視眈々と見計らっておるのだろう」


 雪斎さんが部屋の面々に向かって話し始める。


 「やはり国境沿いの軍備をより増強すべきだ」


 「待たれよ。これ以上軍を武田に割いて三河はどうする。先日松平清康が殺され、その混乱に乗じて尾張の織田が三河を狙っておる。三河を織田に取られれば、我が今川家の脅威になるのは明白だ」


 「ではこのまま駿府を武田にくれるつもりか!」


 「そんなことを申しておるのではない! ただ三河を軽んずれば、後の大事になると申しているのだ!」


 話し合いと言うより怒号が飛び交う言い争いだ。まるで与党に詰め寄る野党みたいだ。流石にこんなに殺伐とはしていないけど。言い争いはどんどんヒートアップしていく。こんなので収集が付くのだろうか。


 「皆の言い分は十分に分かった。一度話を止めてくれ」


 雪斎さんが制止すると、徐々に怒号が減り一応口論は止んだ。ただ部屋の中には、ぴりついた緊張感が充満している。隣の承芳さんを横目で見てみると、机の上の茶菓子に夢中だった。この人は逆に緊張が無さ過ぎる。というか貴方一応今川の人でしょ。


 「一旦ここで話を聞いて貰いたい者がおる。関介殿、前へ」


 ……………………はっ? やばい、一瞬時が止まったかと思った。ちらりと横を向くと、承芳さんは親指を立てて満面の笑みを浮かべている。うざっ。後で一発殴ろう。ってそんな事はどうでもよくて、この雰囲気で前に? 僕が? 頼むから冗談だと言ってほしい。


 「あのぅ、一応聞きますけど、何で僕なんですか?」


 「そうだぞ雪斎殿! その者はそもそも家臣ですらないではないか!」


 「関介と言ったか、どこの馬の骨とも分からぬ奴の言う事など信用ならんわ!」


 「ひゃうっ、ごっ、ごめなさい」


 なにこの人たち怖い。瞼に涙が溜まって目の前がぼやけてきて、すかさず承芳さんの後ろに隠れた。


 「関介殿一つ聞くが、今の話を聞いて何か貴方の案はありませんか?」


 「ぐすっ、案ですか? うぅ、分かんないですよぅ」


 更に怒号が飛び込んできた。心臓の音が聞こえる。目の前が真っ白になった。どうしよう、そんな事急に聞かれても僕にはわかんないよ。


 「皆少し言い過ぎではないか? 関介が怯えてしまってるでは無いか」


 「承芳さん?」


 「大丈夫だ関介。和尚にも何か考えがあるはずだから、お前は自分の考えを言うだけでよい」


 承芳さんのおかげで少しだけ落ち着けた。目元を拭う。一度大きく深呼吸すると、一つ僕なりの考えが頭をよぎった。何となく承芳さんもそう言う気がした。


 「えっとぉ、僕が言うのも何ですけど、武田さんと仲良くは出来ませんか?」


 一瞬の静寂の後また野次が飛んでくる。しかし、今回はそれを雪斎さんが一喝で止めてくれた。

 

 「静かに。今は関介殿が話しています。それで武田と仲良くとは一体? 詳しく聞いても良いですか?」


 「はい、できれば同盟とかが良いんですけど、一時停戦みたいに武田さんと戦争をしないと約束ができればと思っています」


 「それが出来れば苦労はないだろう。あの武田信虎が我らと停戦など飲むはずが」


 やはりと言うべきか、僕の甘い発想を批判する声が聞こえてきた。


 「皆の衆、これは何だと思う?」


 雪斎さんは長い一枚の和紙を自慢げに広げた。そこには墨で例のにょろにょろ言葉が書かれていた。勿論僕には読めない。だけどその紙を広げた瞬間、部屋の中に動揺が走った。


 「それは、武田信虎の書状ではないか!?」


 「そうだ、我ら今川と武田との間の停戦の取り決めだ。ほうら、関介殿の言う通りになっただろう?」


 みんなの視線が一気に僕に集まる。さっきまでの疑問の視線ばかりではなく、頷く人や目を見張る人もいた。何か部屋の雰囲気も変わった気がする。ただやっぱりこんな注目されるのは好きじゃないから、いつもみたいに承芳さんの後ろに隠れた。


 「ほらな? 関介なら大丈夫だと言っただろ? 和尚はな、関介の事を高く買っているんだ。それは私も一緒だ。そうで無ければ傍には置いておらぬ。此度はそれを皆の前で示したかったんだ」


 「それならそうと先に言ってくれれば良かったのに」


 僕が愚痴るとぷっと噴き出した。つまるところ、今のは僕を試したのだろう。それに何とか合格? できたという訳か。ようやく肩の力が抜けた。部屋の空気も、さっきまでの殺伐としたものから落ち着きを取り戻していた。

 すると雪斎さんはなおも深刻そうな顔で告げる。


 「皆待ってくれ。本当の敵は武田などでは無い。それは御屋形様が亡くなった時に表面化するだろう。皆にはそれまで各々備えて欲しい。分かったか?」


 その瞬間、締め切った部屋の障子を開ける音が聞こえた。そこから現れたのは正成さんだった。そういえば、参加していないのを少し不思議に思ったんだっけ。だけどそれ以上に不可解だったのが、正成さんが部屋に入ってきた途端、部屋の空気が一変したのだ。和やかだった部屋に一気に緊張感が走る。

 部屋に踏み入る正成さんは、そんな空気を一切気にも留めない様子で笑顔を張り付けた顔で口を開いた。


 「皆さま集まって軍議でも開いていたのです? 私も誘って頂ければ力をお貸しできましたのに、残念ですね」


 「申し訳ないな福島殿。其方が大変忙しそうだったもので」


 二人の会話はそれ以上続かなかった。正成さんは踵を返すと足早に部屋を後にした。一体何だったのだろうか。

 結局その後直ぐに会議はお開きとなった。正成さんの登場で微妙になった空気のまま、それぞれ自室へと引き上げていった。部屋の中には、僕と承芳さんそして雪斎さんだけが残った。


 「関介殿、先ほどは素晴らしい案でしたね」


 「承芳さんから聞きましたけど、何もあんな場で僕を指名しなくても良くないですか?」


 だらっと姿勢を崩して机に突っ伏した。ぽんと僕の頭を雪斎さんが優しく叩いた。


 「これ、だらしないですよ。関介殿はもう少し幼いところを直せば、良い武士になれると思うのですが」


 返す言葉もない。さっきも部屋の外でそういう風に説教された。まぁあれはあの少年が悪いのだけど。


 「私は貴方を高く買っているのですよ。関介殿は、承芳が目を付けた数少ない人物ですから。承芳はああ見えて、人を見抜く力だけは誰よりも優れております」


 「おい和尚。そんなに褒めても何も出てこないぞ」


 「だがお主は余りに素直すぎる。どれだけ人の心を覗けても、それが本心とは限らないのだ」


 雪斎さんの表情に暗い影が差した。これは、例のブラック雪斎さんの顔だ。背筋に冷たい汗が伝った。なんだかいつもの優しい雪斎さんとは別人のようだ。


 「其方らには話したいことがある」


 「それは正成殿と関係しているか?」


 「付いてまいれ。此処では話しにくいだろう、続きは私の部屋で話す」


 雪斎さんの声は、冬の風に当てられた廊下よりも冷たくて鋭かった。

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