第7話 身分の違い
「福島家には気を付けろ、とはどういう意味なのだろうか」
「分かりました。きっとあの人、夜な夜な人を攫って食べてるんですよ」
体の前でぽんと手を叩き、あたかも世紀の大発見をしたかのような大袈裟なリアクションを取った。
「真剣な話をしているのだ。ふざけてると、関介の髪を全部剃るぞ」
ジトっと湿った目で睨まれた。ほんの冗談じゃないか。まぁ坊主は流石に嫌なので、真面目に答えることにしよう。
廊下で恵探さんと別れた後、自室に戻って今は作戦会議中だ。雪斎さんの言った意味深な言葉を二人で悶々と考えているのだが、一向に答えは浮かんでこない。というか、僕に関しては今日初めて会ったんだ。正成さんがどんな人物かも分かっていないのに、この会議ははたして意味があるのだろうか。
「あの怖そうな顔の正成さん、何か昔に悪いことをしたとかは無いんですか? 例えば、とても荒くれ者だったとか」
「いや無いな。戦の時は本当に頼もしいお方で、戦以外でも大変優しい方なのだ。父上が生きていた時には、稽古をつけてくれたこともあった」
「それなにその剣の腕、って冗談ですってば! 小刀を置いてください!」
この人本気で刈りにくる気だ。くれぐれも用心しておこう。
そんなことはどうでもよくて。今の話しぶりだと正成さんは決して悪い人ではなさそうだ。でもサスペンス小説とかだと、意外とそういう人が犯人だったりするからな。
「正成さんが裏切りそう、みたいな噂があったりして」
「絶対にない、はずだ。正成殿は武田家侵攻から、幾度となく当家を救ってきたのだ。そんな正成殿が当家を裏切るなど考えられない」
武田家の侵攻を幾度もか……んっ? 武田? そこでようやく頭の中で解釈が一致した。そうだあの有名な武田家だ!
「今武田って言いませんでした!? あのやまなし、じゃなくて甲斐の国の!」
「そ、そうだが。何を今更驚いているのだ。武田家との戦は父上の代から続いて……いやそういえば、関介とは京で出会ったから、知らないのも当然か」
「武田くらい知ってますよ! あの武田信玄が攻めて来た事があったんですね!?」
武田信玄くらい流石の僕でも知ってる。甲斐の虎と呼ばれ、上杉謙信と何度も戦争をしたという戦国大名だ。風林火山の旗印とか有名な話だ。これは終わったな。どうしよう、いっそのこと逃げるか?
「しんげん? という名は聞いたことが無いが、人違いでは? それに攻められたことがあるというより、武田家と当家は現在も緊張状態が続いていて、いつ戦になってもおかしくはないのだ」
「ちょっ、ちょっと待ってください。そういえば大前提を聞くのを忘れてました。実はあまり気にしていなかったんですけど、この駿府の国を治めているのって誰なんですか?」
僕の問いかけに、承芳さんは口を開けてポカンとしている。暫く沈黙が続いたのち、おもむろにを口に手を当てるとそうかと呟いた。
「まさか、それを知らずに今まで私たちと共に過ごしていたとは。いや、先に言わなかった私たちが悪いのか」
そんなまずい質問だったのか。すごい勿体ぶるじゃないか。静岡県を拠点として、武田家と争っていた大名? ……まぁ、思い当たる候補は幾つかあるんだけど。まさか、ね。
「よく聞いてくれ関介。この駿府を統治するのは今川家だ。そして我が兄こそ今川家第十代目当主、今川氏輝だ」
余りの情報量に僕の頭の中が一瞬フリーズした。今川家、今川氏輝、ぶつぶつと呟く声が口の隙間から漏れ出た。改めて目の前の人物を見やる。この人もしかして、今川義元?
ようやく頭が正常に働いてくると、自分の思い込みに首を振った。いやいや、この人が今川義元な訳が無い。そもそも、僕の知ってる今川の人名が義元ってだけだ。それに今川義元なら漫画で見たことあるけど、貴族みたいな人だった。この人が貴族…………うんそれは無いな。
「へぇ~」
「それだけか? 思っていたより反応が薄いな。私が今川家当主の弟と知っても驚かないのか?」
意外そうな表情で訪ねてきた。僕がどんな反応を取ると思っていたのだろうか。僕がもっと驚くと思って表示抜けしているのかと思うと、してやったりな気持ちになる。
「だって承芳さん、いうて五男ですよね? それにほら承芳さんって風格とか威厳とか……ねぇ」
「なんだその薄ら笑いは。さては関介、私の事馬鹿にしてないか?」
「してませんよ…………ふっ」
「ほらっ、笑っているではないか! 関介お前という奴は」
散々喚いた後、ぷいと顔を背けてしまった。その表情を窺い知ることはできないが、肩をプルプルと振るわせてこぶしを強く握っている。もしや怒らせてしまったか? 流石にフォローすべきだろうか。
「あの、本当に馬鹿にしてるつもりはないですよ? もしかして、怒ってます? おーい、承芳さ~ん?」
反応が無い。何度か名前を呼んでもこっちを向いてくれない。なんかこっちが腹立ってきたな。そろそろ物理攻撃しても良いだろうか。
「ぷっ、くっくっくっ」
そっぽを向く承芳さんは口を押えくぐもった笑い声を上げている。どうやら怒っているわけでは無いらしい。僕が顔を覗こうとした時不意にがばっと顔を上げ、僕は思わず一歩後ろにのけぞった。訝し気に彼の顔を見ると、目尻に涙を溜め口元はだらしなく緩みきっていた。
「何ですかその変な顔は」
「やっぱり関介は関介だなと思って」
僕は僕。ってつまりどういう意味なんだろうか。初めから、僕が僕じゃなかったことなんて無いし、影武者を雇ったことも無いのだけど。
「あのぅ、言ってる意味が全く分かんないんですけど」
「くふふっ、そういう所だよ。お前は私の身分を知ってもなお、いつも通りの反応を見せてくれただろ。それが嬉しくてな」
そんな事考えてもいなかった。
「そんなこと言ったら、承芳さんこそ承芳さんですよ。身分が違うからって、一度でも僕を見下したりしましたか? 僕の事嫌いになりましたか? 僕は高貴な承芳さんに惹かれた訳じゃないんです、勘違いしていたならとんだ失礼さんですよ。それに僕が今更承芳さんの身分を気にして、よそよそしくされる方がなんだか気持ち悪くないですか?」
「確かに、それもそうだな」
「そうです。身分なんて関係ないですよ」
昔の人はやたらと身分に拘るんだな。いや、現代でもそうか。二世の政治家とか、親が金持ちとかで偉そうにしてる人はいっぱいいる。でも、目の前にいる人は違う。初めて僕に会った時から普通に接してくれた。特に身分が大事なこの時代に
承芳さんは静かに頷くと、目線を部屋の外の空へ向けた。
「私はな、身分によって人を区別するのが大嫌いなのだ。身分などという煩わしい物、この世から無くなってしまえばよいとさえ思っている」
「なんか極端ですね」
「ふふっ、極端くらいが丁度よい。農業を営む者、商いを行う者、戦で功を立てる者。皆が生きたいように生きる、それが一番幸せな事だと思うんだ」
それはなんて理想的な世界だろう。だけどそんな世の中、この先の何年経ってもやって来ないだろう。少なくとも僕が生きてた現代では、そんな理想だけでは生きてはいけない。
僕も承芳さんと同じように、青く澄んだ空を見つめる。僕らは違う立場だけど、きっとみんな同じ空を見てるだろう。横に広く繋がったこの青い空を。
「これは想像なんですけど。身分の無くなった世界は、きっと平和な世の中なんでしょうね」
「そうであって欲しいな」
暫くお互い言葉を交わすことなく外を見つめていた。鏡のような曇りのない空に、僕らの思い描く理想を映して。
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