第6話 花倉殿

 1536年 1月 1日


 今日はすこぶる目覚めが良い。睡眠において環境がどれだけ大切か、身に染みて理解した。現代ではそれが当たり前すぎて見えなかったんだと思う。当たり前に感謝。

 起床した時、承芳さんは既にいなかった。布団も綺麗に片付けられており、起きて直ぐという訳ではないだろう。そういえば久しぶりの一人だ。タイムスリップして承芳さんに出会ってからずっと一緒にいた。そのおかげで今こうして生きていられる。もしあそこで出会えていなかったら、多分今頃野犬の餌にでもなっていただろう。


 「貴方と出会う……運命だったのかもしれませんね」


 寝ぼけた思考の中でそんな小恥ずかしいセリフを口にしていた。顔が火照って布団に顔を埋める。一人でよかった、あの人に聞かれていたら絶対に揶揄われていた。でももし、口から出た言葉が真実だったらどうだろう。もしかしたら、何か運命などという不確かなものがこの世に存在していて、僕はそれに身を引かれただけだとか。

 って僕は何を考えているんだろう。これは朝のぼやけた頭のせいだ。布団から飛び出すと思いのほか寒くて、寝間着の上に羽織を一枚着て部屋を出た。


 冬の外気に当てられた廊下は足を突き刺すように冷たく、ここにきて靴下のありがたみを痛感した。まぁそのおかげで目も覚めたんだけど。部屋を出たのはいいけどすることがない。暫しの間は縁側でぼーっと雲を眺めて時間を潰したが、数十分も持たなかった。折角気持ちよく目覚めたんだ、こんな事で時間を潰していたら勿体ない。何をするか考えた結果、僕は屋敷の探検をすることにした。


 探検報告。どうやらこのお屋敷は全て廊下が繋がっているらしい。自分が寝た部屋を目印にひたすら歩いてみたところ、見事に同じ場所に帰ってきたのだ。一周歩いて少し体が暖かくなってきた。ランニングには丁度いいかもしれない。

 ただ不思議な点も多くある。というか分からないことだらけだ。まずこんな広いお屋敷、いったい誰のものなのだろう。雪斎さんや承芳さん、氏輝さんの部屋もあるし、歩いてみた感じ他にもいろんな人の部屋があるっぽい。うーん、わからん。それとあの時、雪斎さんは城下と言ってたけど、僕の想像する大きいお城をまだ見ていない。戦国時代だから何処かにあるはずなんだけど。


 うんうんと考えていると、前方から見覚えのある人物が歩いてきた。冷たい朝に窓から刺す光を浴びたような心地よさを覚え、思わず顔が綻んだ。

 

 「あっ承芳さん、おはようございます。今朝は早かったですね」


 「何を言っているんだ。関介が遅いんだぞ。兄上の体調が優れない故大きな行事は中止になったが、正月は挨拶に廻ったり寺への参拝だったりで忙しいんだ」


 ジトっとした目で僕を見つめる。そんな呆れた様子で言われても。雪斎さんは一緒じゃないかと聞こうとしたがあの人の事だ、何かと忙しいのだろう。

 それより今、承芳さんの口から、僕も知ってる重要な言葉が聞こえたような。

 

 「承芳さん、今正月って言いました? そういえば僕ど忘れしちゃったんですけど、今年は何年になったんですか?」


 どうやら僕の知らないところで年が明けていたらしい。これで今年が何年か分かれば日数も数えられる。戦国の時代に何が起こるかを事前に知れるのは非常に重要だ。


 「えっと、今年は天文5年だな。というかそんな事も忘れていたなんて、まだ寝ぼけてるんじゃないか?」


 …………はぁ、だろうと思ってたよ。期待外れの答えにがっくりと肩を落とす。くそっ、西暦がこんなにも恋しいと思ったのは生まれて初めてだ。大体元号なんて普通覚えてないし。昔の元号は変わりすぎなんだよと、心の中で悪態をつく。


 「あ、ありがとうございます……」


 「なんだそんな肩を落として。新年早々にそんな辛気臭い顔していると運気も逃げるぞ」


 僕の気も知らないで、いたずらっぽく笑う承芳さん。この人は能天気そうでいいなぁ。


 「別に、何ともないですよ」


 「何ともないならそんな顔をするな。ほら、笑う門には福来る、怒る奴には厄が来るというだろ?」


 「笑う方は知ってますけど、後ろは聞いたことないんですけど」


 「それはそうだ、私が今考えたからって痛い! 悪かったから、そんな怒るなって」


 取り敢えず脛を蹴っておいた。僕の攻撃に脛をさすってひーひー言ってる。自業自得だ。やはり弁慶の泣き所はいつの時代でも効果的の用だ。覚えておこう。

 

 「ところで皆さん忙しいそうですね。実は、今することが無くて暇を持て余していたところだったんですよ」


 「おおっ、そうか! それなら、私と共に新年の挨拶まわりでもしないか?」


 それは渡りに船な提案だ。丁度いい暇つぶしになるだろう。


 「はい、お供しますよ。承芳さんの故郷を知る良い機会にもなるでしょうし」


 承芳さんの知り合いと交友関係を広げることも大事だろう。まぁ、氏輝さんみたいな怖い人でなければだけどね。


 「よしっ! そうと決まれば早速向かおう。先ずは兄上のところだな」


 「えっ? そ、そうですか」


 早速氏輝さんなのか。昨日あんなことを言ったし、きっと怒こってるだろうな。僕の強張った表情で察したのか、承芳さんはにかっと笑いかけてきた。


 「氏輝兄さんではないから安心してよいぞ。今から向かうのはもう一人の兄上、彦五郎兄さんのところだ」


 「すいません、気を遣わせてしまって」


 「気にするな。それに私とて、新年から氏輝兄さんと顔を合わせるのはやはり気が引ける。後で和尚に行かせるさ」


 ほっと息を吐く。承芳さんは本当に機転がきくというか、相手がされて嬉しいことを見抜く力があると感じる。ただまぁ、その力があるのなら、僕に一々ちょっかいをかけるのは是非やめて頂きたい。

 廊下を歩いて少しすると、日当たりが悪く薄暗い場所に到着した。

 

 「ここが彦五郎兄さんの部屋だ。ただ兄上は重い病気を患っていてな。それだけ頭に入れておいてくれ」


 そうか、彦五郎さんも病気なのか。お兄さんが二人も病気とは、ご両親もさぞ大変だろう。両親? そういえば承芳さんのお母さんには一度会っているけど、お父さんは見ていない。戦国時代のお父さんだ、さぞ怖い御方なのだろう。でも少し気になる。今度聞いてみようかな。

 そうこう考えているうちに障子が開かれた。中に入った瞬間、僕は思わず顔をしかめて口に手を当てた。部屋に充満しているのはむせかえるようなお香の香りだった。ただその香りの中微かに混ざる、言葉では表せない人間の異臭がする。


 「兄上私です、承芳です。お久しぶりに御座います」


 「おぅ芳菊丸か、久しぶりだな。お前が元気そうで何よりだ」


 部屋の中に彦五郎さんの姿を認識することはできなかった。体を隠すには十分な大きさの衝立が、部屋の中央に配置されていたのだ。その裏から弱弱しい声が聞こえ、それだけで病人であることが容易に想像できた。


 「すまない、折角なら顔を合わせたかったのだが生憎の病気でな。ただ弟の元気な声を聞けただけでも、こうして生きている甲斐があるというものだ」


 喋り終えると、重たい咳が室内に響いた。本当に大丈夫なのだろうか。僕まで心配になってきた。


 「兄上、あまり無理なさらず。話したいことが山のように御座いますが、これ以上居ては兄上のお体に響きますので、私は下がらせて頂きますね」


 「うむ、またいつでも声を聞かせてくれ。おっと、最後に一つ聞いてよいか? 先ほどから芳菊丸の隣に誰かおるな? 其方、名は?」


 急に尋ねられて少し動揺した。まさか衝立越しに僕の存在に気が付くとは思わなかったから。ただ、尋ねられたからには答えなくては。承芳さんの言う通り、長居は彦五郎さんの体に悪いだろう。それにこの部屋に充満する匂いで頭がくらくらしてきて、正直一刻も早くこの部屋から逃げ出したい気分だった。


 「初めまして。承芳さんのお供をしている関介と言います」


 「そうか、芳菊丸のお供か。声を聞く限り年はそう変わらないようでよかった。この先様々な困難に直面するだろうが、その時はどうか芳菊丸の味方でいてやってくれ」


 「任せてください。承芳さんと約束したんです、一緒に平和な世の中を作ろうって」

 

 ちらっと隣にいる張本人の顔を覗くと目が合った。口の端がひくひくと動いて、頬がほんのりと赤みかかっている。


 「平和な世……くくっ、うくくっ。其方たち、また面白い事を。だが見てみたいなぁ、其方たちの作る平和な世を」


 かみ殺したように笑う彦五郎さん。だけど、その言葉尻は少し寂しそうに聞こえた。もしかして自分の命が短いことを知って。いや、そんな無粋な事を考えるのはやめよう。僕らは軽く挨拶を終えると部屋を後にした。


 取り敢えず一度部屋へ戻ることにした。その道中承芳さんは、僕の顔をまじまじと見つめてきた。なんだろう、顔に虫でも止まっているのかな。


 「まさか、兄上の前であの事を言うとは」


 なんだ、そんな事か。

 

 「だめでした? 別にいいですよね? だって、僕は本気ですもん」


 「いや、嬉しくてな。正直な話、昨日の事を冗談だと思われても仕方ないと思っていたから。関介が真に平和な世を目指していると知ることが出来て嬉しいのだ」

 

 何を今更。僕は一度結んだ約束を破るのが大嫌いなのだ。ただあの日はその場の勢いというものがあったのは確かだ。改めて思い返すと、急に恥ずかしく思えてきた。はい、この話はこれでお終い!

 

 ふと彦五郎さんの部屋の前で、気になったことを思い出した。承芳さんのお父さんの事だ。


 「そういえば、承芳さんってお母さんはいるじゃないですか? あの寿桂尼さんて方。でもお父さんの方を見てないなと思いまして。今日は挨拶とかは行かないんですか?」


 「ああ、父上はもう亡くなってるぞ」


 「あっ、す、すいません。配慮なしに聞いてしまって」


 自分の両親も既に他界しているのに、何故その考えが及ばなかったのか。余りに配慮が無さ過ぎだ。


 「気にしなくてもよい。もう十年も前の事だ。そうか、その話をしていなかったな。まぁまた別の機会に話そう」


 承芳さんは気にしなくてもいいと言ってくれたけど、何となく気まずくなってしまった。その空気を察してか、いつもより溌溂とした口調で言葉を発した。


 「よしっ! 次の挨拶廻りと行こうか! 次も私の兄上だぞ。二つ上の兄で、名を玄広恵探と……」


 「奇遇だな、丁度俺たちもお前の話をしていたところだ」


 不意に声を掛けられ、振り返るとそこには大柄な体格の男性が二人立っていた。


 「兄上、丁度今挨拶に出向くところでした」


 この人が玄広恵探さんか。だけどあまり承芳さんと似ていないような気がする。柔和な表情の承芳さんと違い、太く眉尻が上がって力強さを感じる。何だか同じ親から生まれた用には見えなかった。


 「まずは、新年明けましておめでとうございます。そして、お久しぶりです兄上」


 「あぁ。承芳も久しく見ないうちに大きくなったな。のぅ、正成」


 「そうですな。本当に立派になられて、亡き御屋形様もさぞお悦びでしょう」


 後ろの男は、まさなりと呼ばれているようだ。この人もなかなかの強面をしている。二人の大男を前に、僕は承芳さんの後ろにそっと隠れた。


 「どうした関介。この二人確かに顔は怖いが、別に取って食うわけでもないぞ」


 「ガハハハっ! 怖がらせたのなら申し訳ない。だがまぁ、我が福島家は代々戦にて武功を立ててきた一族故、少々粗暴ななりをしておる。女子が怖がるのも無理はないかも知れないのう」


 そう言うと、男は大口を開けて豪快に笑った。いやだから怖いって。

 

 「もしや其処の女子承芳の思人か? だとしたら随分別品な女子を捕まえたなぁ」


 「兄上も正成殿も勘違いしておるが、関介は立派な男だ。それに今は私のお供をしてくれているのだぞ」


 すると二人は僕の顔をじっと見たあと、顔を見合わせてげらげらと笑い始めた。


 「ははははっ! 女子のような者が供とは、承芳様も冗談が過ぎまする」


 「そうだぞ承芳。主人よりひ弱な供など見たことが無い」


 いいように言われている。ふんっ、剣道の腕なら僕の方が上だもん。と反論する気はまぁないかな。反論したとしても信じてもらえるとは思えない。それにやっぱり二人とも怖いし。


 「むぅ、二人とも流石にそれは関介を侮りすぎです。確かに女子のような見た目ですが、剣の腕はむごご……」


 「承芳さんっ! 僕は気にしてないので大丈夫です」


 反論しようとする承芳さんの口を両手で塞いだ。話をややこしくしないで欲しい。こういう怖い人たちの前では、か弱い僕の方が今後の関りにおいても都合がいいだろうし。それにどうするんだ、この人たちが僕と稽古をつけるとか言い出したら。僕は死んでしまうぞ。


 「おやおや、これは花倉殿に福島殿ではありませんか。本日はいかようで?」


 聞き慣れた声。振り向くと、やはりそこにいたのは雪斎さんだった。にこにこと二人の顔をじっと見据えている。花倉殿というのは恵探さんの別の言い方だろう。


 「雪斎殿、御無沙汰しております。この正成、またお会いしたいと思っておりました」


 親し気に話す正成さんに対し、恵探さんはふっと顔を反らした。何処かたじろいでいるように見えたのは、僕の気のせいだろうか。


 「ですが生憎私共も用が御座いますので、今日は挨拶のみにさせて頂きます。それでは、行きましょう恵探様」


 雪斎さんが来たとたん、二人とも慌てているようにも見えた。足早にその場を去る二人。二人が雪斎さんの横を通り過ぎる時、雪斎さんの表情を見て目を見開いた。氏輝さんの時と同じ表情だ。いつもの温和な雪斎さんとは違い、暗い影を落としたような笑み。背筋に気温とは関係ない寒気を感じて汗が伝う。とんでもなく怖い。これからこの雪斎さんの表情の事を、ブラック雪斎さんと呼ぼう。

 雪斎さんは二人の姿が見えなくなるのを確認すると、僕らの方へ神妙な面持ちで向き直る。


 「承芳、関介殿あの二人……いや、やめておこうか。またその時が来たら話そう。ただ一つ言っておく、福島家には気を付けよ」

 

 それだけ言い残し廊下の奥へ消えていった。僕と承芳さんはお互い顔を見合わせて首をかしげるのだった。

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