第5話 今川氏輝

 「お久しぶりです、兄上」


 いつもより上ずった声だ。お兄さんを前にして緊張しているのが、僕にも伝わってくる。そういえば障子の前に立った時から、しきりに袖を直しているのを思い出した。

 あの人、一言では言い表せないがすごく不気味だ。暗闇の奥から視線を感じたときのような、足元から忍び寄って来るようなそんな不気味さ。僕は自然と目線を外した。目が合ってしまうと固まってしまいそうだったから。


 「暫く見ないうちに、随分と大きくなったな。これなら、私がいつ死んでもこの家は安泰だな」


 「兄上、笑えない冗談はやめてください」


 「まぁそういきり立つな。会えて嬉しいのは本当なのだ」


 承芳さんは拳を強く握ったが、直ぐに力を抜いた。僕らは氏輝さんを見舞に来たのだ。そのことは彼だって知っているだろう。そうだとしたら、今のセリフは余りにも配慮が無さ過ぎる。


 「私も、兄上が元気そうで何よりにございます」


 震える声で答える。その声は、自分の感情を抑えているように感じた。氏輝さんは、その言葉に気を良くしたのか、にたりと笑みを浮かべた。


 「久しく会っていないのだ。兄弟水入らず、仲良く話そうではないか。何から話す? 私が死んだ後の跡取りの話でもしようか」


 「兄上! いい加減にしてくだされ! 私はそんな話をするために来たのではありません!」


 「冗談だ。いちいち声を荒げるなよ」


 承芳さんの肩が小刻みに震えている。氏輝さんは何を考えているんだ? まるで、承芳さんを揶揄っているようにしか見えなかった。


 「私自身の命がそう長くないことくらい知っておる。芳菊丸、その時にはお前も跡継ぎ争いの渦中にいるのだぞ?」


 「彦五郎兄さんがいるではないですか」

 

 苛立ちを隠しきれず、吐き捨てるように答える。


 「あやつはだめだ。その器では無い」


 「ならば、恵探兄さんが跡を継ぎます!」


 「本当か芳菊丸? それがお前の本心なのか?」


 「御屋形様、承芳を苛めるのもそれくらいにしてやって下さい」


 それまで傍観していた雪斎さんが二人の会話に割って入る。熱くなっていた承芳さんも少し熱が冷めたようで、肩の力がすっと抜けた。


 「すまん和尚、一度頭を冷やしてくる」


 口早に言うと身を翻して部屋を出て言ってしまった。追いかけたほうが良いのだろうか。でも頭を冷やすと言っていたし、一人にしてあげた方がいいだろう。


 「ふんっ、芳菊丸は冗談が通じん男だ。そう思うだろ、雪斎よ」


 雪斎さんは、目を伏せ、首を静かに横に振る。


 「私には何とも」


 氏輝さんは面白くなさそうに舌を鳴らした。ただ、直ぐに機嫌を取り戻すと、目を細めてニヤリと笑う。


 「のう雪斎よ。貴様、あの芳菊丸の肩を持つのには訳があるのだろう? それは私には言えない訳か?」


 横顔を見てゾッとした。こんな雪斎さんの表情初めて見た。目を細め、口角は吊り上がり、口元からくくっと笑い声が漏れる。


 「そのような事、御屋形様の知るところではありませんよ」


 「ふんっ、芳菊丸が居なくなった途端に本性を表しおって。」


 「隠していたつもりは御座いません。御屋形様が気が付かなかっただけですよ」


 「僧侶の分際で、余り出過ぎた真似はするなよ?」


 火花の散るような睨み合いが始まってしまった。あのう、一応僕もいるんですけど。どうして僕はいつも除け者にされるんだろう。跡継ぎがどうとかよく分からない話を聞かされて、雪斎さんも何か怖いし。正直、今すぐ部屋を出たい。


 「ふんっ、まぁ良い。ところでさっきから縮こまっているそこの。其方は何者だ?」


 うっわバレた。正直僕の事は無視してほしかった。あまりこの人と面を合わせて話したくはない。まぁ無視を決め込む訳にもいかないので答えはするけど。


 「えっと、承芳さんのお供をしてます、関介と申します。承芳さんからお話は聞いています。体調がすぐれているようで、僕も安心しました」


 「ほぉ。お供か。それにしては、些か頼りない風貌だが? 其方本当におのこか?」


 僕の身体を舐めるように見回すと、ふっと鼻を鳴らした。ほぅ、一目で僕を男とわかるのか。最近女と間違えられてばっかりでうんざりしていたから、ちょっと嬉しい。って、そうじゃないだろう!


 「芳菊丸のお気に入りか。あやつには勿体ない顔だな。どうだ? 私の元で働かないか?」


 「僕が、ですか?」


 急にスカウトされた。へぇ、なかなか見る目があるじゃないか。僕は中々の優良株だぞ。でも。


 「残念ですが、お断りさせていただきます」


 僕にも思うところがあるのだ。承芳さんは氏輝さんを見舞に来たんだ。僕もそうだし。別にそれをあんな冗談で返さなくてもいいだろう。感謝の言葉の一つや二つ言ってもいいだろう。兄だからとそれは違うだろう。

 僕は身を翻すと部屋の出口に向かった。その途中で一度立ち止まり、上半身だけ氏輝さんに向き直る。人差し指を目の下に当てて舌を出す。


 「僕は貴方の事が嫌いです」


 くるりと身を翻して逃げるように部屋を出た。背後で氏輝さんの大きな舌打ちと、雪斎さんの笑いが聞こえた。いい気味だ。


 廊下を曲がった所の縁側で、承芳さんは足を投げ出して座りぼおっと遠くを眺めている。外はもう随分暗くなっていた。


 「承芳さん、隣いいですか?」


 「関介か。さっきは見苦しいものを見せてしまったな」


 いつもより沈んだ声。丸まった身体は随分と小さく見えた。


 「承芳さんは、お兄さんが嫌いですか?」


 「嫌いではない。ただ、苦手なだけだ。あの方と話すと全て見透かされている気分になる。私の心の内を、全て暴かれてしまうのではという恐怖に陥るのだ。だが兄上は私に本心を決して明かしてはくれぬ。私はあの方が怖いのだ」


 膝を抱いて掠れた声で話す。そうか、そういう兄弟もあるのか。僕は一人っ子だから、気持ちを分かってあげられない。なんて言葉を掛けるのが正解なのかも分からなかった。


 「だが戦乱の世では、あのような性格が向いているのかもしれないな。逆に感情のまま行動してしまう私の方が、この戦乱の世に向いていないのかもしれないな」


 床に落ちた雫が、優しい月光に照らされる。夜空の星々の輝きは、承芳さんを慰めているようだった。優しい言葉を掛けようと思えば幾らでも見つかる。でもそれが承芳さんの為にならないことは、僕は痛いほど知っている。それは祖父が僕にしてくれたように。


 「確かに、承芳さんは向いてないと思いますよ」


 「えっ? そ、そうだよな……」


 承芳さんはこちらを向いて目を丸くしている。慰めてもらえると思っていたのかな? ふっ、面白い顔だ。


 「承芳さんは平和な世の中が似合ってると思います」


 「平和な……世か。ふふっ、そうであったらどれだけ良かったか」


 「確かにこの時代は戦争が絶えない時代です。だから、承芳さんは悩むしか無いんだと思います。生き方って人それぞれですから。時代に合わせるのか、時代に逆行して生きていくのか。それは承芳さんが決めるしかないんです」


 承芳さんの顔の前に手を伸ばす。泣きはらした目が僕の瞳を捉えた。小さい時の僕みたいに弱弱しくて、つい抱きしめたくなった。でも僕はあえて手を差し伸べるだけだった。


 「一緒に悩みましょう。僕もその手助けをしますから。そしていつか僕が迷ったときは、承芳さんが助けてください。約束ですよ?」


 承芳さんはおもむろに僕の手を取ると、力ずよく体の方に引っ張った。思いがけない行動にバランスを崩し、一緒に床へ倒れた。


 「いてて。もう、承芳さん?」


 「やっぱり関介は私の友だ! 其方に会えて本当に良かった!」


 そう言いながら僕に抱き着いてきた。さっきまでの、萎れた承芳さんが嘘みたいだ。

 

 「ともって、どうせお供の事ですよね?」


 「なんだ気にしていたのか? あっ、もしや拗ねていたのだな? ぷふっ、あんなの嘘に決まっているだろ」


 この人、やはり調子づかせるんじゃなかった。承芳さんが元気なさそうだから心配してたのに。

 するとふと思いついたのか急に立ち上がった。意味が分からないが、やれやれといった感じに僕も立ち上がる。

 

 「ふふっ、目の前が晴れやかになった気分だ。よし! 決めたぞ関介!」


 「何がですか?」


 「私はこの世を平和な世にする! 戦の無い、皆が幸せになれる世に!」


 まん丸な月を指さしてそう宣言する。平和な世に。大きく出たな。一武士じゃ無理だと思った。だけど、不思議とこの人ならできるんじゃないかとも思った。歴史の教科書では、戦国時代を終わらせたのは徳川家康と書いてあった気がする。この人が徳川家康でも無ければ歴史の流れ上不可能だ。

 でもそれは現代から見た歴史だ。僕らが生きているのは今だ。歴史はきっと僕らが生きる今から動くんだ。


 「手を貸してくれるか、関介?」


 「はいっ! 平和な世の中にしましょう!」

 

 夜空を眺めてふと思った。平和な現代と違って、戦国時代の澄んだ夜空は星が綺麗だった。

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