第4話 ただいま駿府
1535年 12月 31日
日も落ちそろそろ月が顔を出し始めた時、遠くの方にオレンジ色の明かりが見えた。あれって、もしかして。
「関介殿、ご覧ください。駿府の城下が見えてきましたよ」
やっと、やっとだ。これで長旅も終わるのか。安堵から、これまで以上に長い溜息を溢した。前に座る承芳さんが、苦笑しながら言う。
「これ程の移動は、私も久方ぶりだ。流石に疲れが溜まっておる。熱海の温泉にでもつかりたいなぁ」
「温泉! いいですね承芳さん。僕も長らく浸かってないですし。熱海行きたいです!」
温泉という言葉につい反応してしまった。それも熱海とは。僕も昔、家族と一度だけ行ったことがある。あまり覚えていないけど、いい温泉街だったことだけは覚えている。
「何を言っとるか、この小童共。先ずは御屋形様への見舞が最優先だ。その後も、方々へ挨拶に回らんといかんのだ」
「分かっておる。ただ和尚だって疲れているだろ? 見舞が終わったら、折角だし三人で温泉に」
雪斎さんがばっと振り返って、般若の形相で僕らを睨みつけてきた。すごく怖い。
「……と、関介が申しておる」
「はぁ!? 承芳さんが勝手に!」
こいつ、僕を売りやがったな!
「関介殿には、後で説教が必要ですな」
「な、なんで僕なんですかぁ!」
僕は恨みのこもった指先で、承芳さんの両わき腹を思い切りつねった。
城下に入ると、先ずは数多の人家や商家が目についた。ただ、どの家も質素というか、粗末な出来なのは一目瞭然だった。所謂町人と呼ばれる人々だろう。家と家の狭い空間を使って、生活雑貨や食料品を売っている。中には大きな屋台を広げて、大声で客引きをする人もいた。活気づいた空気に、自然と気持ちが高揚する。辺りをキョロキョロ見すぎて目が回ってきた。
「おっ、雪斎様、お帰りになられたんですね?」
すると商家の間から、ひょろひょろの老人が声を掛けてきた。顔を真っ赤にして、瓢箪のような物を手にしている。あぁ、酔っ払いか。
「聞きましたよ。何でも、御屋形様の体調が優れないんだって? いや~心配だねぇ」
男が大声で話すと、気付いた人々が一斉に群がり始めた。すごい雪斎さん、まるで芸能人みたいだ。
「雪斎様、お帰りなさいませ」
「雪斎様、今朝採れた新鮮な野菜です。どうぞ、お納めください」
人々に囲まれて、馬も進みにくそうだ。雪斎さんもご厚意を無下にも出来ず、少し困ったように苦笑いを浮かべている。
「芳菊丸様も、こんなに立派になられて」
「もうその名で呼ぶな。私は家を捨て、栴岳承芳と名乗っておるのだ」
少しむっとした表情で答える。ほうぎくまる? という聞きなれない名前を耳にした。承芳さんの事だろうけど、何がそんなに気に入らないのだろうか。承芳さんに声を掛けた人も、少し気まずそうに直ぐにその場を立ち去った。
そういえばと考える。多分武士の子なんだろうけど。この人だかり、もしかしたらすごい身分の高い家の子なのかもしれない。ここは現代の静岡県に当たる。もしかして徳川の家系だったり? まぁ、それは無いか。それなら、もっと剣の腕が立つはずだ。
「すまぬが今は急いでおる。歓迎は嬉しいのだが、また明日にしてくれないか」
雪斎さんの一言で、わらわらと道を開けてくれた。その間をすり抜けるように、馬を走らせる。ふと思う、駿府に向かうと聞かされたけど、具体的に何処に行くとは知らされていなかった。何処でもいいのだけど、余り大所帯なところには行きたくないかな。
そんな期待は直ぐに打ち破られた。
「お帰りなさいませ、雪斎様! 承芳様!」
おぉ、なんてこったい。重たそうな門の前で待っていて、仰々しく開いたと思ったら数十人の人たちが待ち構えていた。皆揃って、腰に刀を携帯している。多分武士の人たちだろう。怖い。
馬から降りると、二人が前に来て馬を引いて何処かへ行ってしまった。また一人が雪斎に近づくと、雪斎さんはその人に耳打ちし、離し終えるとその人も直ぐに何処かへ走り去っていった。一体何だったんだろう。
「承芳、行くぞ」
僕も一緒に向かおうとすると、手で制された。
「申し訳ありませんが、関介殿はしばしお待ちください。私の館へ案内させますので」
つまり除け者というわけか。少し寂しいが、まぁ当たり前だろう。僕武士じゃないし。気が付くと、周りの武士さんたちも、怪しい人物を見るような目で僕を睨んでいる。めちゃくちゃ怖い。
「待ってくれ。何故関介はいけないのだ」
「此度はお家の事だ。関介殿と言え、無関係な者を中に入れるわけにはいかぬ。それに、何か面倒ごとが起きた時、巻き込む訳にはいかないであろう」
承芳さんの気持は嬉しいが、雪斎さんの言う通りだ。僕は武士でもないし、あくまで部外者だ。それに面倒ごととか言ってた。何か怖いことに巻き込まれるのは御免だ。
「別に良いではないか!」
おい。
「聞き分けの無い小僧だな。これはお前の為でもあり、関介殿の」
「うるさい! 関介は私の友だ。それでだめというのなら、私はもう帰る!」
雪斎さんは額に手を当てて、魂が抜けるんじゃないかというほどのため息をついた。承芳さん、まるで駄々っ子だ。仕方ないので、帰ろうとする承芳さんの腕を掴んでこっちに向かせた。
「雪斎さんの言う通りですよ。無関係の僕がついていっても訳わかんないでしょ」
「これは家の事なんだ。関介は口を挟むな!」
「は、はぁ! なにそれ、僕の事で揉めてたんでしょ! それで僕に口を挟むなって」
「何やら外が騒がしいと思っていたら、帰ってきたのですね、芳菊丸」
奥から女性が一人、こちらに歩いてきた。年は、三、四十くらい上だろう。綺麗な人だと思うと同時に、ぼんやり誰かに似ていると思った。
護衛の武士さんたちがなにやら慌てている。それほど高貴な方なのだろうか。
「御無沙汰しておりました、母上。会えて大変嬉しく思います」
納得だ。そう言われれば、目元や鼻筋が似ている気がしてきた。あの人が承芳さんのお母さんか。やっぱり、承芳さんのお母さんだけあってとても美人さんだ。
「お久しぶりにございます、寿桂尼様」
「うむ。雪斎も、手のかかる子供の世話とは、さぞ大変であろう?」
「はははっ。それはそれは、骨の折れる務めにございました」
じゅけいにと言うのか。にって、尼の事だろうか。なら、あの人もお坊さんなのかな。
色々考えていると、突然寿桂尼さんと目がばっちりあった。自然と背筋が伸びる。だけど、不思議と怖いという印象は無かった。
「して、そこの娘。其方は何者だ?」
「おっ、お初にお目にかかります、関介と言います。えっと、承芳さんの友をやってます。あと、僕は女ではなくて男です」
友、というのは少し気後れする言葉だ。だって、出会ってまだ10日しか経っていないから。でも、承芳さんもそう言ってくれたし、僕が言わない訳にはいかないだろう。
「ほう、それは失礼した。それで、芳菊丸の友と言ったな?」
横で見ていた承芳さんが、僕の間に割って入って寿桂尼さんと向き合う。
「関介は、私の大事な友なのです。これから、関介を連れて兄上の見舞に行こうとしていたのです。なのに、それを和尚に止められて」
わざとらしく雪斎さんの方をちらちらと見る。悪い奴だ。
「なるほど。雪斎よ、友の一人や二人くらい許してやってくれ。それとも、それほど恐れる出来事が、ここ駿府で起こるとでも思っているのか?」
「いえ、それは…… 寿桂尼様に言われては、この雪斎従う外ありませんね」
承芳さんは隠れてガッツポーズしてる。雪斎さんに一杯喰わせたのが、そんなに嬉しいのだろう。
「では和尚、関介参るぞ。兄上が待っておる」
苦虫を嚙み潰したような表情の雪斎さんも諦めたようで、長い溜息をつきつつ従った。
「その前に芳菊丸、こっちへ来なさい」
寿桂尼さんが手招きして、承芳さんを呼びつける。横に並ぶとすごく小さく見えた。その小さな体で、承芳さんをそっと抱き寄せる。
「お帰りなさい、芳菊丸」
「はい、母上」
交わしたのは一言だが、その中に親子の深い絆を感じた。あんなに嬉しそうな承芳さん、初めて見た。時代か変わっても、親子の形が変わっても、それでも変わらないものがあるんだと知った。
通された建物は、思っていた10倍は壮大な作りだった。まず廊下が広い。時代劇でよく見る、武士たちが走っている場面を想像する。さらに、廊下から見えた庭園には大きな池があり、何匹もの魚が泳いでるいのが見える。でも武士屋敷というより、少し貴族みたいな雰囲気を感じる。
承芳さんの横を歩いている時、城門前での事を思い出す。承芳さんが言った、友という言葉。こそばゆい響きだけど嫌いじゃない。むしろ、そう断言してくれてとても嬉しかった。
「あの、承芳さん? さっきの友って言葉、すごく嬉しかったですよ」
おずおずと切り出す。承芳さんも最初こそ目をぱちくりさせていたが、僕の本意を気づいたようで嬉しそうに頷いた。
「そうだろう? やはり供廻りと言った方が、関介も連れてこれると思ったんだ」
……供、廻り?
「えっ? ”とも”って、友達とか、友人とかの”とも”のことですよね?」
「んっ? いや、最初から共(廻り)と言っていたんだが。こやつは従者だ、と言えば近衛兵にも怪しまれないだろ?」
と言う事は、最初から僕の事を従者だと言って……なんだそれは。嬉しい思いをして損したじゃないか!
「もう! そうならそうと最初から言ってください、よ!」
「いったい! 踵は痛いって! どうしたんだ関介、私が一体何をしたと言うのだ!」
「承芳さんなんて知りません! どうせ僕は貴方の従者ですからね!」
「うるさい馬鹿共!」
頭を殴られた。承芳さんのせいなのに、何故こうなるのだ。
長い廊下を歩いていると、二人の口数が明らかに減っている。最初は話すことも無くなったんだと思った。だけど、承芳さんの首筋に伝う汗を見て、緊張しているからだと気が付いた。何となく場の空気が重く感じ、肩に力が入る。
「ここだな」
承芳さんが呟く。この障子の奥に、承芳さんのお兄さんが。どんな人だろう。この人が緊張するくらいだから、怖い人なのかな。それとも。
「入ってよいぞ」
僕らがいることに気づいたのだろう。中から声が聞こえた。落ち着きがあり、聡明で知的そうな印象を受ける。承芳さんとは正反対だ。
障子の床に擦れる音が、妙にはっきりと聞こえる。障子がゆっくりと開き部屋の中の全貌が明らかになると、僕の視線は部屋の真ん中に向けられた。そこには、布団から体半分だけ起こし、こちらを見据える人物がいた。
「おかえり、芳菊丸」
この人が、氏輝さん。そして、承芳さんのお兄さん。部屋に沈黙が流れる。一瞬目があった気がして、僕は息を呑む。気のせいかどうかも分からない。彼の双眸が、僕らの何を捉えているのか全く分からなかった。
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