第2話 駿府へ
1535年 12月 20日。
どうやら僕は、戦国時代にタイムスリップしてしまったようだ。なんて、まだ信じているわけではない。というか、それが当然の反応だろう。タイムスリップなんて本来、漫画やアニメだけの話なのだ。
「あの、一応聞いておきますけど……今の元号って、平成じゃないですよね?」
一応聞いてみた。一応……ね。
「へいせい? とはなんだ? そんな元号初めて聞いたぞ、なあ和尚」
「ええ、私も初めて聞きました。もしかしたら、何か勘違いしているやもしれませぬな」
聞かなければ良かった。二人とも知らないんですね。そうですか……。やっぱり、僕は戦国時代に来てしまったのか? いや、まだだ。僕はまだ諦めていないぞ。簡単な話、元の場所に戻って友人に会えれば、現代だって証明されるのだから。
「ふう…………よし、用事を思い出したので、僕は帰ります。それでは」
そうと決まれば、こんな場所にいる理由もない。早く友人のもとへ会いに行こう。
「もう行ってしまうのか? 急ぎの用なら仕方ないが、そうでなければ私ともう少し話さぬか?」
「承芳、勝手な事をぬかすな! 今お前がすべき事は修行だ馬鹿者!」
おお、怖い。雷を落とすとは、まさにこのことだ。僕なら泣いちゃうな。
雪斎さんは、僕が小学生時代の剣道の師範の顔と重なる。僕もよく怒鳴られたし、泣かされた。時代にそぐわない、拳骨もいっぱい落ちてきた。当時は、小学生には厳しすぎると思っていたけど、今思えば……いい思い出だと思いたい。
「修行中なら、なおさらお邪魔ですよね。承芳さん、あんまり師匠を困らせたらだめですよ」
「むむむ、困っているのは私の方なのだが」
「何か抜かしたか?」
低い声で聞き返した。背筋が凍るような声だ。この人の声や視線は、本能的な恐怖を感じる。
「和尚~、よいではないかぁ。毎日お経を読んでいるばかりでは、退屈で死んでしまいそうなのだ」
「ならば、そのまま死んでしまった方がよいわ! 一度地獄に落ちて、腐った根性を叩き直してくるがよい!」
叱られても、それでも食い下がる承芳さん。なんだか、師範を前にした僕みたいだ。そう思うと、少し承芳さんに肩入れしたくなる。
「雪斎さん、その辺にしてあげてください。分かりました、僕の用事が済むまで、一緒に行きましょう。そこで色々話せばいいですよね? 僕も、承芳さんに聞きたいことがあるので。これでいいです?」
承芳さんの顔がぱあっと明るくなる一方、雪斎さんは大きなため息をつきながら、やれやれと顔を抑えた。
「ほんとうか!? ほら和尚、関介も言ってるし、たまには休息も必要であろう?」
「むうぅ……関介殿が良いと言うのであれば致し方ない。だが承芳、帰ったら通常の倍以上の修行が待っておるからな」
「あれの……倍か……ぐぬぬ、だが関介の為だからな」
いや、貴方が話をしたいって言ったんですからね。なにさも自分は仕方なく、みたいなこと言ってるんですか。
でも、嫌な気はしない。この人たちが悪い人に見えないというのもそうだけど、もしこの世界が本当に戦国時代だったら、一人だと寂しすぎる。
「決まりですね。それでは行きましょ」
大丈夫、友人は僕を待ってるはず。直ぐに、いつもの日常に戻るんだ。
そんな僕の微かな希望を笑うように、周りの木々は、不気味な音を奏でながら揺れていた。
承芳さんの後ろについていき、取り合えず、僕が鞄を置いてきたベンチまで戻ることにした。そういえば、探してる財布の事を伝えていなかった。でもまあ、どうせ言って見つかるってわけではないだろうし。
暫く歩いた結果、ベンチにたどり着くことはなかった。というのは、恐らくベンチがあったであろう場所には着いた。だが、そこにベンチは無く、代わりに一本の大木だけがそびえていたのだ。もう、言葉にならない。
「承芳さん……このお寺、僕の知ってる景色と違うんですけど」
「うん、そうか? ここ数年で、特に改修などは無かったと思うが」
「そう……ですよね」
肩の力が一気に抜けるのを感じた。油断していたら、膝から崩れ落ちていただろう。
僕が知ってる妙心寺は、観光客で賑わっていたはずだ。それが今は観光客の声どころか、遠くで聞こえていた車の音すら聞こえないなんて。僕が鞄を置いてきてしまったベンチも、猫を追いかけた建物の隙間も形を変えてしまっていた。今この空間に僕が存在していることに、場違い感を覚えてしまう。遂に現実を受け入れなくてはならない時が来てしまったようだ。
僕は上空を見上げ嘆息を溢した。現代と変わらないはずの空が、いつもより暗く深い青色をしている気がした。
「それで、関介の用とやらは、どういった内容なのだ?」
「ああ……それならもういいんです。用はなんというか、無くなってしまったので」
「用が済むことはあっても、無くなるとはあまり聞かぬが。まあ、関介が言うならよいか」
見るからに落胆する僕に気を遣ってくれたのか、それ以上追及されることはなかった。正直助かる。タイムスリップしてきましたなんてまず伝わらないだろうし、自分の口から吐き出したい言葉でもないのだ。
「それより、関介と出会ってから、ずっと尋ねたかったことがあるのだが……」
心臓がドキリと、強く脈打った。無意識に、両手に力が入ってしまう。僕はなるべく平静を保ったまま、承芳さんの方に顔を向けた。
「関介のその身なりなのだが、私には見たことが無くてな。其方に差し支えなければ、どこで手にしたか教えてくれぬか?」
はぁ~、そうだよな。服装について聞かれるよな。そりゃ僕だって、初めて承芳さんとあった時気になったし。さて、なんて答えるのが正解なのだろうか。ユニクロです、なんてわかるわけないし。
「え~っと、前に地元で会ったおじさんに貰ったんです。僕も奇妙な服だなと思ったんですけ、なんだか断れなくて。」
なんだこの嘘。まずおじさんって誰だ。というか、ならなぜ僕はその服を着てるんだ。
つい脳内一人つっこみをしてしまった。どうだ、流石に怪しがられるか?
「ほう、そうだったのか。ふふっ、私もその者にあってみたいものだな」
意外とすんなり受け入れられた。この人、疑うということを知らないのだろうか。あほ、ではなさそうだし。多分根っからの素直なんだろうな。僕はそうですねと、ありふれた返事でこの会話を終わらせようとした。もう、これ以上胃に悪い時間を過ごしたくないのだ。
「さて、関介の用が済んだのなら、本堂の方へ行かぬか? 其方の事、もっと知りたいのだ。立ち話も悪くないが、腰を据えてじっくり話そうではないか」
まぁ、賛成だ。僕もそろそろ疲れてきたとこだったし。もしかしたら、承芳さんはそれに気が付いたのかもしれない。この人、言動は軽いし馴れ馴れしいところはあるけど、人の事を良く見ている。現代に生きていたら、さぞ出世するだろう。
「そうですね、ではお言葉に甘えさせてもらいます。他に行くところも無いですし」
「決まりだな。今から本堂へ向かうのだが、和尚もどうだ?」
「わしがいては、関介殿も居心地が悪いだろう。年も近そうに見えるし、二人で話してくるとよい」
承芳さんの横顔を覗いてみる。最初に会ったときは、僕より5つ6つ上だろうと思ったけど、近くで見ると幼さが垣間見える。僕と年が近いと言われて、少し納得した。因みに、僕も周りの人からよく童顔だと言われる。正直、あんまり嬉しい話ではないかな。
雪斎さんと別れると、二人で本堂に向かった。本堂の床は、靴下越しに伝わるくらい冷たかった。当たり前だが、この時代に床暖房なんてものはあるわけがない。それでも、いつもより冷たく感じるのは、現代の便利さに慣れてしまっているからかもしれない。
「少し待っていてくれ、いま座布団を用意する」
「いえ、お構いなく」
僕は冷たい床の上にちょこんと正座した。床の上に座るのは剣道で慣れているのだ。
「おお、姿勢が良いな関介は。やはり、よほど腕の立つ師に稽古をつけて貰えたのだな?」
「まぁ、そうですね。それこそ、雪斎さんのような厳しい人でしたね」
師範の顔を思い出した。僕の記憶の中の師範の顔は、いつも険しい顔をしている。不愛想で、厳しい人だった。
「ふふっ、和尚は本当に怖いお人だからな。私が稽古場を抜け出すと、直ぐに拳骨を食らわさせるんだ。非道い男だろう?」
「それは、承芳さんが悪いですよ」
唇を尖らせて文句を言う承芳さんの顔を見て、思わず吹き出してしまった。師範に怒られた時、僕もこんな顔をしていたんだろうな。
「でもな、厳しいからこそ、私は和尚に感謝をしているんだ。私は五男として生まれてきた。家を継ぐ事を許されず、物心ついたころには仏門に入っていた。父の顔も、ろくに覚えてはおらぬ。その時から、和尚は私に稽古をつけてくれた。そして、父のように接してくれたのだ。何故だかはわからぬが、およそよのような運命の私を、憐れんだからかもしれぬな」
「憐れみからでは、無いと思いますよ」
急にしんみりとした声だったので、僕はなるべく溌溂と答えた。
「何故、そう思う?」
承芳さんと、目が合った。泣き出してしまいそうな、少年のような目で僕を見つめていた。でも、僕にはわかった。雪斎さんの、承芳さんへ向ける視線の温かさが。
「雪斎さんは、貴方を心の底から愛していると思いますよ。そして、期待しているんだと思います。師が弟子を持つ理由は、1つしかないんです。弟子に立派に育って欲しい、その気持ちだけですよ」
人差し指を立てて答える。この言葉は師範からの受け売りだ。その時は、真の意味を考えもしなかった。だが、その言葉の裏には、師範からの大きな期待が込められていたのだ。それを知れたのも、最近なんだけどね。
「私は、うじうじ考えすぎていたんだな。ありがとう、関介。今度和尚の肩でも揉んでやろうかな」
「それが良いと思います。雪斎さんもきっと喜びますよ」
「すまない、私のせいで湿った雰囲気にさせてしまったな。よしっ! 辛気臭い話はこれまでだ! ここは1つ、手合わせでもしないか?」
急にだな。さっきまで落ち込んでいると思ったら。切り替えが早いのか、そもそも落ち込んでいたのが嘘なのか。この人、表情からでは何を考えているのかさっぱりわからないんだよな。
「別にいいですけど、その、着替えとかってあります?」
「むっ? それではだめなのか? まぁ確かに、動きやすそうな恰好ではないからな」
承芳さんは、別室から二着の袴を用意してくれた。サイズは同じらしい。立ち上がってよくわかったのだが、僕と承芳さんの体格はかなり似通っていた。
ふぅ、袴を着て何故か落ち着いた。剣道の時以外は、普通に洋服を着ていた。ただ、この時代で洋服を着ているのには、妙な違和感を覚えていたのだ。
「よし、用意ができたな、関介。手加減はいらぬからな、本気で来てくれ」
木刀を構えて、対面する。ここで手を抜いたら、師範の顔に泥を塗るのと同じだ。やるからには本気に決まっている。
「当たり前です、僕は手を抜くのが嫌いなんです。本気で行きますよ」
本堂内は、静寂に包まれた。すり足で互いに距離を詰め、静かな緊張感が走る。いつの間にか、足の裏の感触が消えていた。木刀を握る手に、全神経を研ぎ澄ます。
先に仕掛けてきたのは、承芳さんだった。
「やあーっ!」
素早い動きで間合いを詰め、その勢いのまま剣を振り下ろした。綺麗な構えだ、基礎もしっかりと出来てると思う。ただ……。
「やっ!」
承芳さんの振り下ろした剣を受け止め、瞬時に胴へ打った。
「…………へっ?」
僕の背後で、気の抜けた声が聞こえる。背中越しに、承芳さんが混乱しているのが分かった。
別に隠すつもりもなかったのだけど。実は僕、夏のインターハイで優勝しているのだ。それも、圧倒的な実力差で。だから、現実世界に僕と同世代で、僕より剣道が強い人間は存在しない。
僕は振り返ると、呆然と立ち尽くす承芳さんに一礼した。承芳さんも、遅れて礼をする。僕と承芳さんの間に、何とも気まずい空気が流れる。このままではまずいと思い取り合えず感想を言ってみた。
「承芳さん、その、よかった……ですよ。姿勢も良かったですし……それに」
「お世辞はよい。関介、正直に言ってくれ、私の剣の腕はどうだった?」
俯きがちに、そう尋ねられる。うわぁ、どうしよう。適当に流そうと思ったけど、確かにそれは承芳さんに失礼だと思いなおす。
「正直に言いますね。承芳さん、弱いです。めっちゃ弱い……」
「うわぁ! みなまで言うな! もうわかっておる、私に剣の才が無いことぐらい!」
承芳さんは、その場に座り込んでしまった。頬を膨らませて、まるで駄々っ子だ。
「すいませんって、言い過ぎました。あの、姿勢は本当にきれいで」
「お世辞をいうなぁ!」
ではどうしろと。本当の事を言ったら駄々をこねるし、お世辞を言っても怒られる。
「かっはっはっ、関介殿、どうです? やはり、承芳は弱かったでしょう」
いつの間にか、入り口には雪斎さんが立っていた。彼は承芳さんの方を見て、大口を開けて笑っていた。
「承芳はですね、和歌や茶道の方の教養はあるのですが、剣の腕だけめっきりなのです。もしやと思い覗いてみれば。関介殿、承芳の剣を受けてみてどうでしたか?」
「すべての所作は完璧でした。基礎もしっかりしてると思います。ただ、剣の腕は……お察しの通りです」
承芳さんは、涙目で僕の方を睨んできた。
「私が弱いんじゃない! 関介が強すぎるんだ!」
「自信が無いのに、どうして僕に勝負を挑んだんですか?」
「女子のような顔だったから私より弱いと思ったんだ!」
「おなっ!? しっ、失礼な! 僕のどこが女の子に見えるんですか!」
とても失礼な事を言われた。たしかに、周りからよく女の子みたいと言われる事があった。僕自身は、男らしく生きてるつもりなんだけどなぁ。
「承芳、自分の実力が分かったであろう? これを機に一層の稽古に励むがよい。天下一の剣豪も、稽古無くして強くなった者はいないのだ」
「別に、剣の才のある者だけが剣を振るえばよいのだ」
不貞腐れたように呟いた。そんな言い方したら雪斎さん、絶対ぶちぎれるだろう。そう思ったが、以外にも説教をすることはなかった。代わりに神妙な面持ちで口を開いた。
「ならば剣ではなく、采を振るしかないな」
「んっ? どういうことだ、和尚」
勿体ぶるような口ぶりだ。何か、別の事を伝えるために、わざと濁しているような言い方だ。
「先ほど、報が届いた。氏輝様のお身体がよろしくないとのことだ。どうやら、年を越せるかわからいと」
話を聞く限り、そのうじてる? さんの体調があまりよろしくないらしい。うじてるさんとは一体誰の事なのだろうか。雪斎さんが様と呼んでるから、多分偉い人なのだろう。
「それで、和尚。どうして私に采を振れと言うのだ?」
ぴりっと、空気が張り詰めるのを感じた。今のやり取りにそんな要素があったのだろうか。状況についていけない僕は、だんまりを決め込むことを決めた。
「なに、簡単な事だ。家の当主が危篤にあるのだ。されば、起こることは1つしかなかろう?」
「やめろ。和尚とはいえ、それ以上の妄言許すわけにはいかぬ」
言い争っているだろうなぁぐらいの事は分かった。というかこの二人、僕をのけ者にするのもいい加減にしてくれないか。
「あの、言い争ってるところすいません。そのうじてる? さんは家族なんですよね? そしてその家族が危篤状態なんですよね? なら会いに行くべきだと思いますよ。後悔する前に。だから、こんなところで言い争ってる暇はないと思うんですけど」
僕は死んだ両親の顔を思い出そうとしたがだめだった。最期に立ち会うことも、言葉も残せなかったし、ろくな親孝行もできなかった。2年経っても消えることのない傷として、僕の脳にこびりついて離れないのだ。
「申し訳ない関介殿。みっともない物を、見せてしまいましたな。だが承芳よ、覚悟を決めねばならぬ日は必ず訪れる。それを忘れるで無いぞ」
承芳さんは、悲痛な表情で俯いたままだった。二人にしかわからない、何かがあるのだろうか。
「承芳、直ぐに用意をしろ。今日のうちに発つぞ」
「分かった」
その一言だけ呟くと、奥の部屋に行ってしまった。此処にいても気まずいだけだ。僕は承芳さんの後ろを追った。
部屋の中で承芳さんは、元気さなげに座っていた。すると、こちらに顔を向けずに微かな声を発した。
「氏輝様はな、私の兄上なのだ。父の血をよく引き、非常に聡明で乱世を生き抜く気概をお持ちのお方だが、元服前から直ぐに体調を崩す人であった。そのお身体で当主になり、家の為に懸命に努めて下さったのだ。なのに私は、何もできなかった。どの面を下げて、兄上に会えば良いのかわからないのだ」
承芳さんは、五男である事にある種のコンプレックスを抱いているように思える。家の為に何もできない自分を責めているのだろう。しかし、それを運命と受け入れて、自分を抑え込んでいるようにも見える。多分どちらも、承芳さんの本心なのだろう。だからこそ、承芳さんは悩んでいるのだろう。僕は一人っ子だから、その悩みは共感できない。だけど、どうしてかこの人の味方でありたいと心の底から思った。
「いつも通りで、いいと思いますよ。それで、前に会った時より少しでも成長できた自分を見せれば、お兄さんも喜ぶと思います」
やっと、こっちを見てくれた。真っ赤に腫らした目で、無理やり笑みを浮かべた、不格好な笑顔だった。
「ありがとう、関介。其方の心、まことに強かだな。その強かさ、羨ましい限りだ」
「そんなこと言ったら、貴方は、とっても優しいですよ。優しさは強さです。僕の師範の言葉ですけど。貴方は、僕よりずっと強い人だと思いますよ」
お互い、ふふっと笑いあった。こんな気持ちは初めてだ。彼と、承芳さんと、もっと一緒にいたいと思うなんて。
「おい、用意は済んだか? 今すぐ発つぞ」
いつの間にか、部屋の前に雪斎さんが立っていた。この人、いつの間にか傍にいるけど、心臓に悪いからやめて欲しい。
本堂の外へ出ると、二頭の馬が待ち構えていた。なんか想像より小さい。
「関介殿、私たちは今から駿府に向かいます。此度は、楽しいひと時でありました。それでは、達者で」
「関介、其方に出会えてよかった。私に稽古をつけてくれ有難う。今生の別れになることも無かろう。また会えた時、もう一度稽古をつけてくれるか?」
あっ、これまずいぞ。このまま一人にされたら、帰る場所も、住む場所も無い。それに、僕はこの人ともっと一緒にいたい。もっと、話がしたい。そう思ったから。
「あの、すごく言いづらい話なんですけど、僕帰る場所が無いんです。それで、承芳さんたちに着いていくのは、だめ……でしょうか」
僕は頭を下げて懇願した。だめと言われたら身を引こう。当たり前だ、今日あっただけの赤の他人を世話をする義理もないはずだ。それはもう承芳さんの言う通り、運命と割り切るしかないだろう。
「頭を上げてくれ、関介。其方の事情は分かった、ただ私の一存ではなぁ~」
承芳さんは、ちらりと雪斎さんに目配せをする。最初こそ悩んだ様子を見せたが、直ぐに首を縦に振った。
「そういえば、私たちが向かう駿府の屋敷に、空き部屋があった気がするのう」
顎をさすりながら、とぼけた調子で呟く。ということはもしかして。
「関介、其方と此処で別れなど、やはりもったいなさ過ぎる。関介さえよければ、一緒に駿府へ行かないか?」
「そんな、こちらこそ喜んで!」
差し出された承芳さんの手を、僕は両手でがっちりと掴んだ。
「ところで、関介は馬には乗れるよな? それに此度は長旅になる、準備はあるか?」
あっ、忘れてた。そういえば、駿府と言っていたな。同県に住んでるから場所はわかる。現代なら、京都から新幹線で一時間三十分くらいで着くだろう。ただ、今は戦国時代だ。移動手段は馬に決まっているではないか。
「馬は乗ったことないです。それに、何の手持ちもありません。すいません、これじゃ着いていけないですよね」
「そうか、なら私の後ろに乗って行けばいい。食事や着替えの事も、心配しなくてよい」
「堅苦しいことを申すな、関介殿。困っていたら、お互い様ではないですか」
出会えたのがこの人たちで良かった。戦国時代には、粗暴な人ばかりだと思っていた。でも、そんな世の中で、こんなに温かい人たちがいたなんて。
「それでは行こう駿府へ、兄上が待っている」
馬に跨る承芳さんが僕に手を差し出し、その手を掴むとぐいと持ち上げられた。馬の背中は、見かけによらず安心感があった。
馬が地面を蹴った。冬の冷たい風が、身体全体を通り過ぎていく。気持ちよい、というよりは寒いかも。だけど、承芳さんの背中越しに感じる、この疾走感は嫌いじゃないなと思った。
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