弓取りよ天下へ駆けろ

富士原烏

第1話

 時は戦国時代。各地の大名たちは、己の野望のため、或いは民を守るため互いにしのぎを削りあっていた。勝者もいれば敗者もいる。その時代の勝者たちが作り出す歴史は、大きな濁流となり容赦なく敗者たちを飲み込んでいった。その流れに抗うことは許されず、皆共に忘却の大海へと痕跡だけを残し消えてゆくのだ。


 だが、突如として歴史の中に現れた男は、濁流の中でさえ燦燦とした輝きを放っていた。彼は時代の潮流をもろともせず、毅然とした表情で未来を見据えていた。彼が一歩を踏み出すたびに、身体にぶつかる濁流は唸りをあげ、大海へと引きずり込もうとする。それでも歩みを止めることはしない。歴史の奔流に抗い続け、いつか静寂が訪れる日を夢見ながら。


 この物語は、戦国時代に現れた一人の男によって、紡がれる1つの歴史。歴史に抗い、濁流に飲まれながらも歩き続ける男の名は…………。


 ■ ■ ■


 2022年 12月 20日。

 

 「なぁ関介、次の二条城までのバスって何時に出るんだ?」

 

 「……うんっ? ごめん聞いてなかった」


 「おいおい、せっかくの修学旅行ってのに何ぼーっとしてるんだよ」


 「ああ、ごめん。二条城行きのバスでしょ?」


 いけない、友人に言われるほどぼーっとしてたのか。でも、何かひっかることがあるんだよな。魚の小骨が喉に引っかかっている時のような、少しの違和感を覚えていたのだ。


 「今三時十五分でしょ、だから……えっと、次は三時二十五分かな」


 「おっけ、サンキュー」


 「まだ時間もあるし、ゆっくり……ってああ!」


 僕はとんでもないことに気が付き、つい大きな声を上げてしまった。同じ班の友人だけでなく、周りの通行人にまで見られてしまい、かなり恥ずかしい。

 突然僕が叫ぶので、友人は驚いた様子で近づいてきた。


 「ちょっ、どした。急に大声出して」


 「ごめん……さっきのお寺に財布置いてきたかも」


 「まじ? んじゃ、いってら」


 友人はへらへらしながら手を振った。僕が悪いんだけどさ、腹立つな。


 まさか、修学旅行で一人行動することになるとは。友人とは別れ、さっきのお寺に戻ってきた。名前は確か……妙心寺と言ったっけ。


 「ごめんな、今日は黒い財布の落し物は届いてないなぁ」

 

 受付のおじさんは、申し訳なさそうに答えた。流石に態度に出すわけにもいかず、丁寧にお礼をする。おじさんは、お寺で無くすなんてついてないな、と呑気に笑っていたが、僕はそれどころじゃないのだ。


 「はぁ~、他にお金持ってないし、この後どうすんのこれ」


 小石を蹴飛ばしながら、そう独りごちる。だけど、肩を落としていても始まらない。有難いことに事情を話したところ、拝観料は結構とのことであった。取り合えず、心当たりのある場所を探そう。


 結局、小一時間探し回ったが、それらしきものは落ちていなかった。折角の修学旅行なのに、何をやっているんだ僕は。自然と口から大きなため息が漏れた。

 一休みにと目下のベンチに腰掛け、なんとなく辺りを見回す。財布を探すのに夢中で気が付かなかったが、境内にはゆったりとした時間が流れ、まるで現世と切り離されたような神聖さを感じた。京都の数多ある観光地の名から何となくの気持で訪れた妙心寺だが、悪くないなと思い始めている自分がいた。……いや、まぁ財布を落としさえしなければね。ただ、一瞬でもこの鬱屈な気持ちを忘れさせてくれるこの寺院には、やはり何か特別な力が宿っているのだと感じる。地元では味わえない空気に、少しの間五感を楽しませていた。


 ぼんやりと遠くの雲の行先を眺めていると、視界の隅に一匹の黒猫が映った。別にどこにでもいるかと視線を移した、が僕は再度その猫に視線を戻した。その猫の口元、よく見るとなんと僕の財布を加えているじゃないか!


 「あの泥棒猫」


 今日日昼ドラでも聞かれないようなことを呟きつつ、僕はその黒猫の後を追った。僕の殺気を感じ取ったのか、猫は直ぐに身を翻すと建物の間をするりと抜けて、林の中に消えていった。すばしっこい奴め。だけど、あきらめるわけにはいかない。財布の中には、祖父から貰った大事な形見が入っているのだ。僕も、猫の背中を追いかけて、建物と建物の合間を縫うように走った。鞄をベンチに置いて来てしまったけど、気にしている場合ではない。


 結局猫に人間が追い付けるはずもなく、簡単に見失ってしまった。どうやら僕は、一般の立ち入りが禁止されえている区域にまで追いかけてきてしまったようだ。途中に立札があった気もしたけど、あの時は気にしていられる状況ではなかったのだ。そんなの、自分を正当化するための言い訳に過ぎないのだけど。

 改めて僕は辺りを見渡した。このお寺は、確か1337年に創建されたとか、パンフレットに書いてあったはずだ。僕がいるこの場所も、かつて室町、戦国、江戸時代の人々が歩いていたのかもしれない。何となく、掌を体の前に出してみた。もしかしたら、歴史を飛び越えて、そこにいる人と手を合わせているかもしれない。どうせ誰もいないのだから、少しくらいロマンチックに浸っていてもいいだろう。


 「~~~~~~っ! 頭、痛っ!」

 

 その時、突如として頭の中で雷鳴が鳴り響いた。そして次の瞬間には、それは激しい痛みに変わった。僕はたまらず頭を抑えてしゃがみ込んだ。生まれて17年の人生でも、こんな痛みは経験したことがない。自分の意思とは関係なく、涙が溢れて止まらなかった。声にならない悲鳴をかみ殺して、ひたすら耐えることしかできなかった。

 数分経ったころ、その痛みは嘘のように消え去った。何がなんだか分からない。僕は立ち上がると、涙を拭う。ひゅっと冷たい風が頬をかすめて、僕は身震いを覚えた。だけど、この震えは多分寒さだけじゃないと思う。人の手が加わっていないのだろう、雑草は伸びきっており、建物の壁面が所々崩れている。雰囲気が違う、そんな曖昧な表現だけでしか、自身の置かれている状況を説明できなかった。草木が擦れる音や、頭上を通過する風の音すらも、今の僕には不気味な笑い声に聞こえてしまうのだ。


 「早く戻らなきゃ。財布はまた後で連絡を入れよう。」


 震える声は、いつの間にか訪れていた静寂に溶けていった。おかしい、さっきまで観光客で賑わっていたはず。それが、今は人っ子一人の声も聞こえないのだ。それに少し辺りが薄暗くなってきたと感じる。そうだ携帯、一先ず友人に電話を……へっ?


 「圏外? 嘘だろ……」


 境内の中で圏外になるなんて……そんなことあるのか?


 ざざっと音が聞こえた。落ち葉を踏みしめる音だ。それも僕の背後から聞こえてきた。恐る恐る振り返る。そこに立っていたのは、袈裟を着た若いお坊さんであった。年は僕と同じか、少し下ぐらいだろうか。

 もしかして、僕が立ち入り禁止の場所に入って、住職の人に通報が入ったのかも。それはまずい、なにか言い訳を考えなくては。


 「すみません。立ち入り禁止とは思わなくて……とにかく、すぐに出ますので、学校とかへの連絡だけは許してください」

 

 「其方は、何を言っているんだ?」


 何故かお坊さんは、不思議そうな表情で聞き返してきた。もしかして、ここの住職の方ではないのか?それなら助かった……のか?


 「そんな事より! 直に此処へ和尚がやって来る。其方は、私がここに来たことは秘密にしてくれ! 頼んだ!」


 何やら慌てた様子でまくし立てると、直ぐに僕を抜いて走り去っていった。何だったんだ一体。和尚? が来るとかなんとか……まるで演劇みたいだ。もしかしたら、傍の茂みから何人もの追手が現れるかもしれない。


 「そこの御用人。ほほっ、中々見覚えのない出で立ちですな。この近くの者ではなさそうですね」


 本当に来た! 一人だけど。それで、出で立ち? 服装がそんな気になるのか? もしかしたら、僕をお坊さんだと勘違いしているのかもしれない。


 「それより此処に、若い僧侶が来ませんでしたか?」


 なるほど、さっきのお坊さんが言ってた和尚ってこの人のことか。黒い袈裟を身に纏い、年は4、50、いや60にも見えなくはない。顔つきは田舎のお爺ちゃんのような柔和な笑みを浮かべている。だが、その割に背筋がピンとしていて、それで若く見えるのだ。お坊さんだから鍛えているのかもしれない。

 僕は一瞬答えるのに戸惑った。こんな優しそうなお坊さんに、嘘を付くのが申し訳ないと思ったからだ。だけど、僕の一瞬の逡巡を、お坊さんは見逃さなかった。

 

 「どうか、しましたか? 見た、見ていないの簡単な問いですよ」

 

 矢継ぎ早に尋ねてきた。やっぱり、僕の知っているお坊さんとは明らかに違う。別の世界に生きているような、謎の不気味さを感じる。いまだ微笑みを絶やさないまま、僕の目をじっと凝視してくる。こちらを覗く双眸は、僕の全てを見透かされているようで、背中に気持ちの悪い汗がつたった。

 

 「いえ、来ていないですね。若い僧侶も、年老いた僧侶も」


 緊張で声が裏返らないように、気を張り詰めて声を発する。自分でも意外なほど、冷静でいられた。まさかこんなところで、剣道で鍛えた精神力が発揮されるとは。

 別にさっきの若いお坊さんを助ける義理もなかった。それはそうだ、初対面なのだから。だけど、そうでもしないと、何か大変なことが起きてしまうのではという漠然とした恐怖心から、咄嗟に嘘をついてしまったのだ。それに、困っている人を見捨てるわけにもいかないだろう。


 「ほう、そうですか。なら仕方ないですね」


 一度深く頷くと、おもむろに腰の長い棒状の物に手を掛けた。時代劇でよく見る。それは日本刀だった。


 「口を割るか、今ここで骸になるかお選び下され」


 物腰柔らかく、とんでもない提案をしてきた。怖い。

 

 「骸って死体ですよね。それは嫌ですけど、貴方のそれじゃ無理ですよ」


 取り合えず、とぼけてみた。そうやって、怖いお坊さんの出方を見よう。あの日本刀、刃先がきらりと光って本物そっくりに見えるけど、流石にレプリカだろう。だって本物の刀を持ってたら銃刀法違反になってしまう。


 「ほほう、中々肝が据わっておられる。かような人間を手に掛けるのは、些か惜しい事です。が、仕方ありませんね」


 お坊さんは、ゆっくりとレプリカの日本刀を振り上げながら近づいてくる。どうしよう。レプリカでも痛いよな。受け止めようにも、実は時代劇ドッキリでした……なんて落ちかもしれない。ただ目の前のお坊さんからは、そんな雰囲気は感じられないんだよな。


「待ってくれ和尚! 私の負けだ! 刀を下ろしてくれ!」


 どこに隠れていたのか、さっきのお坊さんが姿を現した。怖いお坊さんはそれを確認すると、振り下ろす寸前の刀を止め、腰の鞘に納めた。取り合えず助かった、のか? そもそも、僕は何に巻き込まれたんだ。疑問だけが残ってしまった。


 「やはり隠れておったか、承芳よ。いらぬ手間を掛けさせおって」


 「やはり和尚には敵いませぬなあ」


 「はぁ~、これが偉大な父を持つ子の姿か……死んだお館様も浮かばれぬな」


 なぜ僕を巻き込んでおいて、二人で話しているのか。僕は空気ですか、そうですか。

 ただ、二人の会話を聞いてる限り、怖いお坊さんも悪い人ではなさそうだということは分かった。


 「あの、僕そろそろ帰ってもいいですか? 一応修学旅行中なんで」


 「ああそうであった、其方には悪いことをした。危ない目に合わせてしまい申し訳ない。それより……」


 急に肩を掴まれると、ずいと顔を近づけてきた。鼻息が顔に当たって、気持ち悪い。今度はなんだ?


 「先の其方の度胸、大変驚かされた! さぞ日々鍛錬を積んできたとお見受けする! 私の名は承芳、其方の名は?」


 突然テンションが上がってどうしたんだ。しょうほう? とか言ったか。聞きなじみがないから、多分僧名とかそんなとこだろう。彼の顔を改めて近くで見ると、目は細く柔和そうに目尻が垂れ下がっている。反対に眉はシャキッとして凛々しさを感じた。ただ全体的に見ると、優しそうといった印象だ。まぁ僕の感覚ではイケメンの部類に入るのだろうか。僕は男色に興味がないから、それ以上の感想は出てこない。

 そんな悪い人ではなさそうだし、名前くらいは明かしても問題ないだろう。


 「僕は関介かんすけ。関所の関に介護の介でかんすけです」


 「介護? 介錯の介の字で間違いないか?」


 そうだけど、勝手に人の首を切らないでほしい。


 「そんなことより、其方はどのような修行を行っているのだ!? 真剣を前にしてあの落ち着き様! あの集中力は、一朝一夕で身に付くものではない! それに、その見たことのない身なり。もしや異国から参ったのか!? それなら……」


 「これ、承芳! どれだけ人に迷惑を掛けたと思っとる!」


 黒い袈裟のお坊さんは、刀の鞘をしょうほうさんの頭に思い切り振り落した。見たことがある、お寺で座禅を組むお坊さんを棒で叩くあれだ。ただし見たことがあるのは肩にだけど。ガツンという固いものと頭がぶつかり合う音に、僕は思わずそっと目を背けた。しつこいなとは思ったものの、頭を押さえて悶絶する承芳さんに心の中で手を合わせた。

 あと迷惑と言えば、先に刀で斬りかかろうとしたのは、貴方ですよ?


 「ところで、承芳さんとそちらの……」


 「ああ、すまぬ。承芳の阿呆のせいで名乗るのが遅くなったな。ここで出会ったのも何かの縁でしょう。私の名は雪斎と申します」


 ご丁寧にどうも。せっさいさんというのか、こちらも僧名だろう。

 

 「お二人はこのお寺の住職さんですか? そうなら、勝手に立ち入り禁止の場所に入ったことを謝りたいんですけど」


 「謝る必要は無いぞ、住職ではないからな。私たちはこの妙心寺で修行をさせて貰っているのだ」


 つるつるの頭をさすりながら、しょうほうさんが答えてくれた。うわぁ、ミミズが這ってるみたいに、すごい赤くなってるよ。可哀想に。今なら体罰で訴えれるレベルだろう。

 それで、結局この二人はここの住職ではないんだな。修行と言っていたっけ。……うん? それが本当なら、1つ疑問がある。


 「僕を巻き込んで、こんな雑木林で一体何を何をしていたんですか? 修行なら普通お寺の中でするでしょう?」


 「すまぬ、貴殿を巻き込むつもりではなかったのだ。この阿呆が修行を抜け出し、それを追いかけたところ貴殿にであったという訳です」


 ようは、たまたまという訳ですか。


 「それと、そこの阿呆が言う通り、貴殿の度胸にはこの雪斎も大変驚嘆しております」


 またそれか。別に驚くことではないだろう。僕は貴方たちの喋り方の方が、とっても違和感があるんですけど。まぁ、言わないけど。


 「別にすごくないですよ。だってそれ、偽物ですよね?」


 僕は肩をすくめてそう返した。すると、二人は顔を見合わせて、ぷっと噴出した。


 「なるほど、僧は殺生を許されぬ身。ならば、この刀も飾りであると。貴殿も、なかなか面白いですな」


 「ならば其方、命拾いしたなあ。生憎、師匠は僧と言ってもそれは仮初の姿。心の内には、武士が住んでおるからなぁ」


 「それの言う通りでございます。私は僧の道を外れた、外道にございます。なので、このように」


 目の前に一枚の葉が落ちてきた。雪斎さんは、それをものの見事に空中で両断して見せた。刀の先は鋭利にひかり、底気味悪さを感じた。


 「も、もしかしてその刀……本物?」


 声が裏返ってしまった。力が抜け、そのまま地面に尻もちをついた。


 「な、なんで刀なんて。見つかったら、犯罪ですよ?」


 「また面白いことをおっしゃる。この戦乱の世で刀を持つことが罪ならば、何人の者が罰せられるでしょうか」


 この人たちは何を言っているんだ。戦乱の世? 今は、平和な世の中だろう……。

 その時僕の頭の中に、突飛な考えが浮かんだ。あまりに可笑しすぎて、笑ってしまいそうなほど。


 「あの、1ついいです? 今って、何年です?」

 

 テレビや漫画でしか見たことがない、あの現象。

 

 「ああ、今は確か、天文4年だが、それがどうした?」


 てんぶん? 聞きなじみの無い言葉だが、1つだけ知っているものがある。いつか、大河ドラマで聞いたんだっけ。天文は年号だったはず。それも、戦国時代の。


 「嘘だろ……僕、戦国時代に来たのか?」


 僕の呟きに、二人は不思議そうに首をかしげるのであった。

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