第32話
「あーのびるのびる。エロエロだこれは」
右手の指でつまんだ頬はもちもちで柔らかい。引っ張れば引っ張るほど伸びる。ミキは目をパチクリとさせた。あっけにとられているようだ。
俺はもう片方の手を使って、ほっぺたの伸び縮みを繰り返す。変顔を作ろうとしても可愛くなってしまう。
ミキはしばらく薄目のまま耐えていたが、限界が来たらしい。急にくわっと目を見開いて、俺の手を払いのけた。
「ちょっと! さっきからずっとなんなのそれ、ムードのかけらもない! なんでそういうふざけたノリなの! やる気あるの!」
「あるわけねえだろ」
「は、はあ? こ、ここまで来といて何よそれは! ひよったの? 私じゃその気にならないっていうの!?」
「ちがうちがう、もとからそんな気ないんだって」
「それは話と違うじゃないの、私はお願い聞いてあげたでしょ、聞きなさいよ!」
声を荒らげて詰め寄ってくる。あやしげな緊張感が一気に吹き飛んだ。
お金はかからないのはたしかにそのとおりだが、いくらなんでもこれはない。
「すいませんチェンジで」
「ふざけんな」
「あ、ミキのことじゃなくてお願いのほうをチェンジで」
一緒に昼飯を食べる程度じゃ釣り合わない。もっと簡単なものにしてほしい。
ミキは引き下がるどころか、ぐっと身を乗り出してきた。俺はのけぞる。
「そんなこといいながら、星くんもいつまでも童貞じゃ恥ずかしいでしょ? ていうかやりたいでしょ? 中高生の男子って穴があったらなんでもいいんでしょ?」
「それはそう……じゃなくて、全員が全員そうだと思うなよ」
一瞬同意しそうになったが、ここは男子を代表して反論しておく。
さてさんざん泳がせたが、話がそれ始めたのでそろそろ種明かしをするか。
上着の胸ポケットに押し込んだスマホに手を伸ばす。
が、スマホを抜き取ろうとしたその矢先、ミキに手首を掴まれた。
「わかった、じゃあお願い変える。今から二十秒間、目を閉じて動かないで」
「いやそれも無理」
「また無理~? 星くんて口ばっかりで、なにもできないんだね? 俺にできることなら、とかってスカしてたくせに」
いつもならなんてことないが、この状況でこの若干テンションがおかしくなっているミキの前でそれは怖い。
「は~ダサいダサい。ヘタレの嘘つき、口だけマン」
すげー罵倒されてるんだが。本当に男子が苦手なのかと疑う。
それと口調に若干ユキ入ってる気がする。そこはやはり双子なのか。
「わかったよ、じゃあ……」
どちらにせよお返しはしないといけない。たかが二十秒程度で、なにかできるということもないだろう。それでミキの気が済むのなら。
俺は目を閉じた。目の前が完全な暗闇になる。
ミキは数えていないっぽいので、心の中でカウントを始める。
カウントが五、ぐらいまで来たとき、鼻先に甘い香りがして、唇に柔らかな感触がした。
探るように、表面を優しくついばんでくる。何度か繰り返したあと、熱を持った部分が唇のすきまを割り込んできた。
まあ、軽くキスぐらいなら……。
と俺が上から目線なのもちょっとおかしいが。
触れ合った部分から唾液のこすれる音がする。
彼女の舌はやけに粘り気を帯びていた。
俺はあくまで冷静、でいたつもりが、すぐに止めていた息が苦しくなる。胸の鼓動が早くなって、頭の中がまっさらになっていく。数えていた数も、いくつかわからなくなっていた。
「……まだだよ? 動かないでね?」
一度唇が離れた。ささやき声が耳を撫でてくる。
二十秒はとっくにたっている気がしたが、俺は言われるがままに従っていた。興奮で少し頭がぼうっとしていた。軽くいなすつもりだったが、俺もそこまで経験値が高いわけではない。
しかしそれきりミキの気配は遠のいた。近くをごそごそと這いずり回るような音だけが聞こえる。不審に思って薄目を開けると、視界にミキの姿はなかった。
それと同時にうしろに右手を引かれた。手首に何かがぶつかって、カシャ、という音がする。
立て続けにもう片方の腕を引かれる。何事かと振り向いた先で、またカシャ、という音がした。
「え?」
薄闇の中で、キラリと鈍色の金属のようなものが光った。
右腕を引っ張る。動かない。左腕を引っ張る。動かない。
後ろ手になった俺の両手首には、わっかのような固いものがはめられていた。
「な、なんだよこれ!?」
「よし、こうすれば怖くない」
「いや怖いから! 俺が怖い! なんだよこれは!」
「ちょっと落ち着いて? これはただ手錠をかけたフリだから」
「て、手錠? フリっていうか普通に取れないんだが?」
「大丈夫、それ用のやつだから。鍵でちゃんと外れるし。通販で買ったの」
「それ用ってどれ用? なにも全然大丈夫じゃないんだが?」
「えい」
いきなりミキが俺の両肩を押してきた。
なすすべなく、ベッドの上に仰向けに転がされる。
すぐに腹筋を使って起き上がろうとするが、すばやく動いた影が俺の腹の上にまたがってきた。
「こうすれば私のほうが強いね? どうやっても殴られないし……怖くない、怖くない。うふ、うふふっ」
うっとりとした顔で見下ろしてくる。どこか遠くを見るような目つき。あきらかに様子がおかしい。
彼女は手のひらで俺の頬を撫でたあと、ぐいぐいと横に引っ張ってきた。
「いて、いてえっつの」
「さっきのおかえし。私は真剣だったのに、バカにしたでしょ? ねえ」
「だってバカじゃん」
「ん、なんだって?」
「お、重い……」
「女子に重いは禁句だよ?」
顔を近づけつつ、前のめりに体重をかけてくる。重いというか圧がすごい。尻の。
そしてやたらに熱を持っている。
「大丈夫、私ちゃんと勉強したから任せて、動かないで」
今度は頭を撫でてきた。
両手を後ろでホールドされているだけで、思った以上に体に力が入らない。新しい発見。手錠は力任せにどうにかなりそうな代物ではない。
ミキはシャツの上から俺の体に指を這わせてくる。首筋から、つつーっと下へ。胸のあたりで止めて、くるくると指先を回してくる。
「どう? これ感じる?」
「BLの読みすぎだろ」
「あんあん言わないの?」
「BLの読みすぎだろ。……あ、ちょっとやめてほんとそれまじで」
体を左右に揺すって、怪しい動きをする手から逃れようとする。
そんな俺を見下ろしながら、ミキはさも楽しそうに笑っている。うーん守りたくないこの笑顔。そのうちに腹の上で尻がもぞもぞと動きだす。
「あっ、今なら、入るかも……」
「どういう状況で興奮してんだよ」
「星くんは? いけそう?」
ミキは馬乗りになったまま、後ろ手で俺のズボンのベルトを外しはじめた。
「ちょ、ちょっとマジでストップ! ゆ、ユキ! ユキ!」
「は? 何がユキ? ありえないんだけどこの状況でユキの名前呼ぶとか」
むっとした声がする。伸びてきたミキの手が俺の頬を横に引っ張った。顔が近づいてくる。
「またキスしちゃおっかな~? どう? してほしい?」
別人のような口調。やはりずいぶんと楽しげだ。まるでおかしな催眠にでもかかっているかのよう。
笑みを浮かべた口元が覆いかぶさってくる……その寸前。
荒々しく部屋のドアが開け放たれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます