第31話

 窓をカーテンに覆われた部屋の中。

 薄闇のベッドの上で、ミキはその理由、とやらを語りだした。


「私……学校では姫とか言われてるけど。ほんとは、弱虫のビビリの陰キャなの。上っ面だけいい顔して、本心を隠して、自分の言いたいこともろくに言えなくて……」


 ここまでは一度聞いた話だ。黙って続きを促す。


「そんなふうには見えないって、星くんにも言われたけど……すごく頑張ってるから。周りの期待に応えるように、変に演じてる自分とかがいて。自分に暗示をかけるみたいにふるまって、でもやっぱり辛くて……」


 ミキはうつむいた。膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめる。


「特に男子と話したりするのが苦手で……怖い。昔はそんなこと、なかったんだけど、ユキが、パパにぶたれたのを見てから……」


 ミキは言いかけて口をつぐんだ。声は少し震えていた。

 これ以上は無理に語らせることもないと思って、俺は遮っていった。


「まあ、それはわかったよ。で、それが今回のお願いとどういう関係があるわけ?」


 ここまではわかるのだ。けれどそこから先の論理がおかしい。

 それこそ言葉に詰まるかと思ったが、ミキはけろりとした顔でいった。


「あのね、私ネットで見たんだけど。冴えない陰キャが童貞を捨てたとたんに、自信満々に振る舞えるようになったらしいの。急にイケイケになったらしいの」

「はい?」

「だから私も経験したら、いろいろ変われるかもって」


 ……なんだろう。ツッコんでいいところなのだろか。

 必殺のプリンセスギャグではない。ミキは真剣な顔だ。得意げですらある。マジで、本気で、真面目にいってるらしい。


 そりゃそういう効果がまったくない、とは言い切れないけども、さすがにその理由はどうかと思う。

 けどここですぐ「は? ねーよアホか」と突き放すのはちょっと待とう。もっと他に、納得のいく理由があるのかもしれない。


「それで……なんで俺?」

「それは、ちょっといいなって思ってたのもあるけど……なんていうかその、ユキが認めたのなら、大丈夫な人なんだって思って」


 ユキ印の保証シール付き。それって本当に大丈夫なやつなのか。

 

「それと、ちょっとムキになってるかも。せっかくこっちから勇気だして連絡先渡したのに、突き放すような感じだされて。そのくせユキとはイチャついてるし。あんな好き勝手してるやつに負けるとか、我慢ならないっていうか。好き勝手やってても欲しい物が手に入るなら、私がいつも我慢してる意味ないじゃんって」


 気持ちが高ぶってきたのか、どんどん早口になっていく。


「でも、ユキは悪くないってわかってる。私の、勝手な逆恨みみたいなもので……もしかしたら私、ユキが羨ましいのかも。あんなふうに素直に自分が出せたら、楽しいだろうなって……そういうのを、全部解消できるんじゃないかって、思ったから」


 声のトーンが落ちてきた。ゆっくりになっていく。


「昔は私たち、今みたいじゃなかったの。仲良しで、いつも一緒にいて、どっちがどっちってみんな見分けがつかなくて、よく間違えられて……。でもユキはパパにぶたれて、私はぶたれなかった。きっとそれが、分かれ道だったんだと思う」

  

 最後はなんとなくいい話が聞けた気がする。それでこそ、わざわざここまでやってきたかいがあるというもの。

 話が一区切りしたのか、ミキは俺の顔に視線を戻していった。

 

「あの……今日のことは、ずっと二人のヒミツね?」


 ヒミツ好きだなこの人。俺はあんまりヒミツは好きじゃないんだが。

 はっきり肯定はしないでいると、ミキは両腕を前に伸ばしながら息をついた。


「はあ、話してすっきりした。じゃあ、そろそろ……」


 影が動いて、正面を向く。

 話してスッキリして終わり、というわけにはいかないらしい。


 ミキは膝の上で組んだ手をいじいじさせながら、上目遣いに俺を見た。暗闇にもだいぶ目が慣れてきている。ミキの何かにすがるような表情を読み取ることができた。ここから先は任せる、と言わんばかりだ。俺の好きにしていいらしい。


「先輩、ぼくどーてーなんでどうすればいいかわかりませーん」


 素直に申告する。急に画面がフェードアウトして、気がついたら事が終わってましたなんてことはない。

 ミキは恥ずかしそうに視線を泳がせつつ、口をもごもごとさせた。


「えっと、その、ちゃんとほぐして濡らさないと、入らないみたいだから……」

「どうやったら濡れるんですかー?」

「それは……たぶんキスとか、すれば……」

「あーはいはいキスね」


 俺は膝を詰めていって、無遠慮に顔を近づけた。

 ミキはびくっと背すじを伸ばしたかと思うと、ギュッと目を閉じた。目と鼻の先まで自分の唇を寄せる。

 なにも初めてのことではない。非常によく似た形のものとは、何度か触れ合ったことがある。

 ただなにか塗りつけているのか、ミキの唇は不自然に潤っていた。こうなることを想定して、準備したのだろう。


「うわえっろ、めちゃめちゃやる気じゃないすかー」

 

 そういうとミキの頬が一瞬引きつった。

 さらに体を寄せていく。彼女の二の腕に軽く手が触れた。またミキの背すじがびくりとする。固く閉じたままの唇に近づく。俺の息遣いを感じたのか、ミキは薄く目を開けた。


「あの、横でミッ●ーさんめちゃめちゃガン見してて気が散るんですけど」


 ミキはすばやく腕を伸ばすと、脇においてあったぬいぐるみの顔面をベッドに伏せた。すぐに元の定位置に戻る。

 暗闇の中で瞳が揺れた。外からの異物を受け入れるように、唇がゆっくりと開いた。


 俺は唇を近づけていく。ミキの唇が近づいてくる。

 そしてお互いの唇が触れる寸前で、俺はミキの頬をつまんだ。

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