第30話

 三連休の初日。

 俺はミキに呼び出され、電車に乗って四駅ほど先の駅へやってきていた。ここでおりるのは初めてではない。以前ユキを見送る際に一度、やってきたことがある。


 待ち合わせ場所は駅の本屋。さほど大きくもなくこぢんまりとしている。

 ざっと店内を渡すが、それらしき姿は見当たらなかった。雑誌を適当に立ち読みしながら待つ。

 

 少しして隣に人影がやってくる。邪魔かと思い一歩横にずれる。一歩詰めてくる。また一歩ずれる。詰めてくる。


「ちょっと」

 

 服の袖をつかまれた。

 雑誌から顔をあげると、帽子を目深にかぶった人物が立っていた。丸っこい黒縁の大きな眼鏡をかけている。


「あ……ミキ?」

「ずっといたんだけど」


 ミキは誰もが振り返るような清楚なワンピース姿……などではなかった。くすんだ色のパーカーに黒のパンツ。最初から店の中にいたらしいが、声をかけられるまで気づかなかった。とにかくオーラがない。

 ミキは俺の顔つきから言わんとしていることを察したのか、


「知り合いとかに見つかりたくないから」

「カッコイイ~。芸能人みたいじゃん」

「あんまりウロウロしたくないから早くいきましょ」


 ミキはそれきり一言も発せず、先だって歩いていく。

 それも人を置き去りにするかのような早足だ。店を出て、駅を出て、ロータリーを抜けて、すぐに人気のない路地へ道を折れた。

 

 会話もなく、俺はただミキの後ろをついていく。RPGでいう仲間になった気分だ。

 しばらくすると行く手にコンビニが見えてくる。

 今日は変な時間に昼飯を食べたせいか、小腹がすいていた。俺は前を行くミキに声をかける。

 

「あのさー、なんか食いもん買ってっていい?」

「ダメ」


 見向きもせずダメって言われた。

 よほど俺と一緒のところを見られたくないらしい。 


 現在時刻は午後二時を過ぎたころ。秋の柔らかい日差しがふりそそぎ、どこか出かけるにもいい日和だ。

 しかし俺たちがやってきた先は、いりくんだ路地にあるマンション。


 その入口の前で、ミキはインターホンのボタンを操作する。開いたドアの先のエントランスにはソファやテーブルが置いてあり、くつろげるようになっている。

 外観からしてお高そうな場所だった。内装もきれいで新しめ。俺の住んでいるアパートとは雲泥の差だ。


 エレベータに乗って上へ。おりた先の通路を進み、ミキがドアを解錠するのを待って部屋の中へ。

 そのあいだもミキは一言も発さない。しかし鍵を開けるのになにやら手間取っていた。

 

 さらに靴を脱いで上がるタイミングでどこかに足をひっかけたのか、突然前のめりに床に両手をついた。背後の俺に向かってお尻を突き出すというサービスポーズを披露してくる。


 ミキは顔を赤らめながらも、何事もなかったかのように立ち上がった。

 さっきから、というか出会い頭からずっと挙動がおかしい。

 

 思ったとおり中は広かった。通路は木目のあるフローリングの床がのびている。入り口近くの棚の上に割り箸みたいなのがぶっさしてある匂いのする瓶があって、独特の香りがした。


 途中部屋をいくつか素通りして、まっすぐ進むとリビングに突き当たる。ここも俺のアパートの倍ぐらいはある。可動式の仕切りがあるスタイリッシュなキッチンが目に入った。さらにこの奥にも部屋があるようだ。


「ちょっと着替えてくるから待ってて」


 ミキはそういって姿を消した。俺は居間のソファーに座らされる。これがまた革張りのお高そうな代物。 

 目の前にはうちの三倍はありそうな大きさのテレビが鎮座している。

 

 思った以上に待たされた。

 スマホをいじっていると、足音がしたので慌てて上着のポケットにしまいこむ。 


 ミキは先ほどとはうってかわって、お姫様のような格好になって戻ってきた。

 薄手のひらひらした、キャミソール型のワンピース。おそらくこれは寝間着……ネグリジェとかいうタイプのものではないだろうか。

 ピンク一色の、外には着ていけないデザインだ。肩も鎖骨もざっくり丸出し。裾がレース状になっていて、わずかに太ももが透けて見える。エロお姫様である。


 ミキは一人分間を開けてソファに座った。表情はいぜんとして硬く、目を合わせようともしない。特になにか言うでもなく、いつもとは違う空気感を漂わせてくる。

 

「テレビでかいな、これでゲームやったらすごそうじゃね?」


 俺はあえて関係ないことを言った。ミキは相づちも何もなし。続けてたずねる。


「でかいねここ。三人ぐらし? なんだっけ?」

「うん。でもママはあんまり帰ってこなかったりするから、ユキと二人が多いんだけど」

「ふぅん? それだと仲悪いの気まずくない?」

「別に。おたがい部屋にこもってるし」

 

 今日ユキは家にいない。午前中から母親と一緒に都内の美容室へ行ったという。そのまま母親のところに一泊するから今日は帰ってこない。それを見計らってのことらしい。

 

 それきりしばらく沈黙が続いた。

 さてここからどうしたものかと思案していると、耐えきれなくなったのか、ミキがちらりと俺を見ていった。


「……あの、出る前に一回シャワー浴びたんだけど、また入ったほうがいいかな?」

「いや、いいよ」


 出会い頭からめちゃめちゃいい匂いがしていたが、それが薄着になってさらに増している。

 ミキは意を決したように立ち上がっていった。


「じゃあ部屋……あっちだから」


 俺は立ち上がると、ミキのあとについていく。ミキは通路を戻って手前の部屋のドアを開けた。ここがミキの部屋らしい。

 中はカーテンを締め切っていて薄暗かった。目に入った大きなものはベッド、タンス、テーブル、ハンガーラックぐらいのもの。きれいに片付いている。

 

 俺が部屋に入ると、ミキはドアを閉めた。

 それからベッドの端に腰掛ける。立ったままの俺を見上げ、何を言うでもなく待っている。立ってないで座れ、ということらしい。


 彼女と少し間隔を置いて、ベッドに座る。ミキの表情からは、言わずとも緊張が伝わってきた。それはいいのだが、枕元のミッ●ーのぬいぐるみがめっちゃこっち見てきて気がそがれる。 

 

「確認なんだけど……本当にいいの?」


 そうきくと、ミキはこくんとうなずいた。

 暗闇の中の仕草には、妙な色気があった。

 

「その前に、改めて理由を聞かせてほしいんだけど」


 理由。

 それは今日俺が、このタチバナ宅にやってきた理由にもつながる。




 昼休みに盛大な茶番をやらかしたあの日の夜、ミキから電話がかかってきた。

 用件はもちろん、お願いを聞いてあげたかわりに俺がお願いを聞く、という件について。

 ミキの口から何が飛び出してくるのか、俺は内心ビクビクしながら探りを入れた。

 

「俺にできることならとはいったけど、や~ちょっと、あんまり高いバッグとかそういうのは……」

「大丈夫、お金がかかることじゃないから」


 ならよかった。

 結果はどうあれ、ミキは俺の依頼を受けて来てくれた。一度約束しておいて、俺のほうはやっぱ無理、というのはダサい。

 

「で、なに? その感じだと、最初から決めてたみたいだけど」

「……私と、してくれない?」

「ん、なにを?」

「私とセックスしてくれない?」


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