第26話

 Lineの通話だった。相手はミッキー。つまりミキ。

 とっさに出るかどうか迷った。しかしこれで無視するとなると、まるでやましいことをしているようだ。しそうではあったが。

 俺は通話ボタンをスライドして、スマホを耳に当てた。


「……も、もしもし?」

「あ、星くん? ごめんね急に」

 

 通話が始まるなり、顔を近づけてきたユキがスマホの反対側に耳をくっつけた。慌てて体を離す。ひっついてくる。焦る。

  

「あれ聞こえてる? どうかした?」

「い、いや、なんでも……なんすか?」

「あのさ、今もしかしてユキと一緒にいる?」


 ぎくりとする。

 なぜそんなピンポイントに? と疑問がもたげるも、動揺を悟られないようにする。


「い、いやー……なんで俺に?」

「なんかマックで一緒にいたっていう目撃情報があって」


 さすが姫、しっかり裏をお取りになられている。お知り合いからタレコミが入ったか。

 近くで耳を澄ましていたユキが指でばってんを作ってくる。言うな、というのだろう。


「うん、一緒にいるけど」

「あ、急にあっさり認めた。最初ごまかそうとしてなかった?」

「まあ、ごまかしても無駄みたいだし」

「ごまかす気だったの?」


 苦笑いが漏れる。

 問い詰めるような口調でこられると、とっさにそういう反応になってしまうのはしかたない。

「なんで言うの」とユキが肩をたたいてくるがこれは無視。


「で、今どこにいるの?」

「今は……俺んち?」

「ふぅん?」

 

 ちょっとした沈黙になる。電話越しにも刺々しい雰囲気が伝わってきた。

 どうやら姫はお怒りのようだ。


「で? 寝たの?」

「そりゃあ寝ないわけにはいかんでしょ、人は睡眠を取らないと」

「セックスしたの?」


 姫様直球すぎる。逃げ道をふさいできた。

 

「してないって」

「本当に? 実は今してる最中とか?」

「エロ本の読みすぎでは?」

「電話しながら『静かに、声出すなって』とかってやってない?」

「エロ本の読みすぎでは?」


 姫様意外に想像力豊かだ。そういうシチュエーション好きなのかな?

 

「あのさ、ユキと付き合ってるの?」

「いや、そういうわけでは……」

「付き合ってないけどしてるの?」

「だからやってねえってのしつこいな。付き合ってもない」


 そういう誘導尋問じみたマネはやめてほしい。

 カマかけたら俺がボロを出すんじゃないかと思われているのか。


「そっか、疑ってごめんね。ユキいるんでしょ? かわってくれる?」

「え? や~ちょっと、それは……」

 

 ここでかわるのはまずいんじゃないだろうか。ただでさえ混ぜるな危険の匂いがするのに。

 耳をそばだてているユキに目線をやる。近くでずっと聞いていたようだ。ユキはいきなり俺のスマホを奪い取った。耳に当てて、早口でまくしたてていく。


「ミキに関係なくない?」

「ちゃんとママにOKもらってるよ?」

「だから関係ないでしょって」


 電話越しに言い争いが始まってしまった。思ったとおりだ。ミキが何を言ってるかまでは聞こえないが、ユキに折れる気配はない。

 ついには「はいはいもういいですぅ!」と言ってユキはスマホを耳から離した。ふぅ、と荒いため息を吐く。

 

「あ、終わり?」

「うん。話つけたし」


 話がついたというか、ユキが一方的に通話を切ったようにしか見えない。

 

「ミキのやつ、なんかすげーキレてるんだよね。彼氏じゃないってママに言うって」

「心配なんだろ、普通に考えて」

「まあ嫉妬だろうね。普通に考えて」


 ユキがうんうん、とうなずく。俺は何も言えない。


「でも優しいじゃん。お前が帰ってこないから心配で探したんじゃないの」

「違うと思うけど。泊まるっていうのは知ってたし。ていうかなんでナイトくんミキのLine知ってるの?」

「いや、交換しない? って言われて……」

「ほんと? あいつ自分からそんなことする~?」


 疑わしげな目を向けてくる。

 誰とも交換するわけではない、とはミキも言っていた。ユキは俺のスマホを触りながら、


「これブロックしていい? てゆーか消していい?」

「いやダメだろ」

「なんで?」

「なんでって……逆になんで? てか勝手に人の携帯いじらないでくれる?」


 いつのまにかユキの手中に収まっているスマホを取り返す。

 ユキは力が抜けたようにぺたんと座り込んだ。がくりと首をうなだれる。


「は~なんか、ミキのせいでやる気なくした」

「何のやる気だよ」

「やっぱ帰る。ここで泊まったらミキにやったと思われるし。それはなんかやだ」

「いややらないけどな?」


 同じように俺も体から力が抜ける。

 なんにせよ、帰る気になってくれてよかった。




 外はもう真っ暗だった。

 周りは住宅ばかりで人通りはなく、ときおり車が通り過ぎるだけ。

 大通りに出るまでは、点々とした街灯や家から漏れる明かりだけが頼りだ。どうするか迷ったが帰りは走ればいいと思い、歩き。ユキと並んで路地を行く。 

 

「手繋ご?」

「えぇ?」

「暗くてこわい」

 

 勝手に手を取って握りしめてくる。指先は柔らかく少し冷たかった。

 言葉少なに歩き続ける。今日はいろいろと話したせいで、さすがのユキもネタがなくなったか。

 

 大通りに出てまわりが明るくなっても、ユキは手を離そうとしなかった。道すがら、店の軒下に集まっていた若い兄ちゃんたちに冷やかすような目を向けられた。


 制服姿のユキに視線が集まっているようだった。一人なら声をかけられていたかもしれない。

 俺は私服に着替えていたが、この時間に制服で歩いているとそうもなるだろう。


 駅に到着した。

 付近にいくつか塾があるせいか、ちらほら制服姿の学生も見られる。人目を気にしたのか、いつの間にかユキの手は離れていた。

 改札口へ上がる長い階段の前でユキは立ち止まった。俺を見上げると、「ここでいいよ」といった。

  

「じゃあ……」


 なにか言うことがあるような。ないような。特に思いつかない。かわりにユキが言った。


「あの……ごめんね。今日わたし、すごいワガママ言ってたよね」

「まあそうね」

「ごめん……」


 いつもの軽口っぽく返したつもりが、ユキはうつむいて黙ってしまった。

 普通の女の子みたいなリアクションをされて、急に現実に戻されたような気分になる。

 

「いや別に……いいよ今さら。そういうキャラじゃん」

 

 フォローを入れておく。フォローになっているかどうかはわからない。

 ユキはゆっくりと顔を上げていった。

 

「あのさ」

「うん?」

「結局わたし、振られちゃったね」


 振ったとか振られたとか、そういう話だったっけか。

 思いがけず言われて、返す言葉が浮かばない。今度は俺が黙ってしまっていると、ユキは急に高い声を上げて、地面を指さした。

 

「あ、一万円落ちてる!」

「え?」


 視線を落とした。くすんだ白いタイルが目に入るだけで、何もない。

 そのかわり頬に柔らかい感触がした。

 

「ばいばい」

 

 顔を上げた先で、ユキは手を振りながら身を翻した。駅のホームのアナウンスが遠くに聞こえる。彼女はそのまま一度も振り返ることなく、足早に階段を上がっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る