第25話

「もし付き合い出したらさ、やるだろ?」

「なにを」

「あれを」


 さすがにここは察したらしい。

 ユキは少し顔を赤らめて言う。


「それはちゃんと避妊すればいいんじゃん?」

「そりゃそうだけどさ、しなくなると思うんだよ。そうなるの見えてるから」

「ふぅん? そっかなぁ」

「親父がさ、高校中退してデキ婚してんの。別にそれが悪いとは言わんけど、俺はそうなりたくないわけ。経済的にも自立できるようになってからのほうがいいし、俺も親に頼ったりできないっていうか、あんまりしたくないし」


 建前ではそう言ったが、本心は違った。

 親父は母親を殴っていた。お互い愛し合って、結ばれたはずの相手を。

 だからよくある結婚式のシーンの、永久の愛を誓いますっていうのは嘘なんだと思った。一生命をかけて彼女を守る、みたいな人間に俺がなれるかどうか、今はわからない。ただ、嘘つきにはなりたくないと思う。


「実際お前のこと、まだよく知らんし。そんな数日で好きとかどうとか、薄っぺらいだろ」

「えっ……てことは、ナイトくん結婚見据えてる? うそやだどうしよう」

「ちゃんと聞いてる? 話わかってる?」

「わかってるって。する前にもっと両思いでじれじれな期間が必要ってことね」

「ほんとに大丈夫?」


 ユキは急に心得たような顔になると、膝を滑らせてにじり寄ってきた。

 鼻息がかかるような距離で、上目に見つめてくる。


「けど何より大切なのはさ……そういうの抜きにして、わたしのことどう思っている? きらい? かわいくない?」


 これはきっと自分のかわいい角度をわかってやっている。俺もそれをわかっているうえでなお、たじろいでしまう。

 外見に関しては俺が文句をつけられるようなレベルではない。仮にどこを直したほうがいいかと言われても、すぐには思いつかない。

 最初は気になった目のあざも、一種のチャームポイントのように思えるようになった。


「とか言いながら、自分のこと絶対かわいいと思ってるだろ」

「思ってますけど? ナイトくんから見てどうかって聞いてるの」

「さっき言ったろ? 見た目はかわいいって」

「見た目だけ?」

「まあ、そういう正直な部分は嫌いではない。変に謙遜とかしないとことか」

「嫌いではない、だって。スカしてるぅ~」


 ユキはうれしそうに笑うと、くるりと背中を向けた。腰を浮かせて、あぐらをかいている俺の上に座ってくる。 


「なにしてんの、ちょっと」

「うしろからぎゅっとして、ぎゅっと」

「だからそれは、歯止めがきかなくなるからって」

「触るだけならいいじゃん。それぐらい我慢して」


 ユキは俺の腕を取って前に引っ張る。

 そのはずみで胸に二の腕が触れたりするのはよろしくない。胸に触らないよう、腰のあたりに両腕を巻きつける。


「これで満足ですか?」

「んふへへへ」

「聞いてる? あと五秒な。ごー、よーん……」

「だめ。あと一万秒」

「長すぎるわ」

 

 ユキは俺の手が離れないように上から押さえつけてくる。 

 余裕ぶってはいるが俺のほうもまずい。

 体の触れている部分から不思議なエネルギーが流れ込んでくるようだ。髪の毛めっちゃいい匂い。意思とは裏腹に、もっとこうしていたいという声がどこかから聞こえてくる。

 

「キモいこと言ってもいい?」

「いいよ?」

「女子の体って柔らかいよな」

「うんきもいねぇ」


 けらけらと笑う。

 ユキは首をひねって俺を見た。


「わたしもキモいこと言っていい?」

「ダメ」

「男子の体って硬いよね」

「下ネタかよ」

「えっ、やだ。硬いってどこのこと言ってるの」


 ユキはわざとらしく目を丸くすると、視線を下のほうおろした。


「……やり方教えてくれたら、してあげてもいいよ?」


 俺のささいな表情の変化を見逃すまいと、じいっと見つめてくる。

 なにを、とは聞けない。返答に困っていると、ユキはいたずらっぽい笑みを浮かべて、顔を指差してくる。

 

「あ~、今エロい顔しなかった?」

「してないっての。真顔だろ」

「なんのことだと思ったの? ねえねえ言ってみ?」


 頬をつついてくる指を手でのける。

 ユキは俺の膝の上に乗ったまま強引に体を回転させると、腕を伸ばして肩に両手をのせてくる。小さく顎を上げ、正面から見つめてきた。

 

「好き」


 唇が動いて、近づいてくる。

 俺は金縛りにあったように、ただそれを眺めていた。きれいな顔に見とれていたのかもしれない。これだけ整った容貌を持つ少女に好意を寄せられていることに、今になって現実みを感じなくなっていた。

 

「ナイトくんから、してほしい」

 

 触れる寸前で彼女はささやき、舌で一度自分の唇を舐めた。

 期待に満ちたまなざしが天井の明かりを跳ね返して光る。彼女の瞳の表面は潤んで揺れていた。まぶたがゆっくりとおりていく。

 

 いつ出会ったとか、時間が長いとか短いとか、単純な本能にとってはあまり関係がないのかもしれない。

 目の前の湿った唇が、物欲しげに無防備な姿をさらしている。俺はその柔らかさを知っている。気持ちよさを知っている。

 望めば、きっとそれ以上のことだってできるだろう。


 ――俺みたいになるんじゃね―ぞ。


 そのときは当たり前だよなるわけねーだろって思ったけど。やっぱこれが親ガチャってやつなのか。

 生まれた環境と遺伝子で人生が決まるなんて言われると、反発したくもなる。

 けどどうせ決まってるって言うなら、もう好きにしたほうが……ラクに楽しく生きたほうが、いいんじゃないかって。 

 

 背中に回した手に力を込める。ユキは一度驚いたように瞳をまたたかせたが、またすぐに閉じた。少しだけ開いた唇に、息を吸い込んで、近づく。

 そのときテーブルの上で振動音がした。俺の携帯だった。一回、二回……音はやまない。耳障りな音に呼び戻されるように俺は我に返った。


「ち、ちょっと。電話」


 おそらくたいした電話ではないだろうが、助かった、と思ってしまった。俺はユキの肩を押して、テーブルの上のスマホに手を伸ばす。


「誰?」

「誰でもいいだろ」


 ユキがすかさずのぞきこんでくる。邪魔をされて不機嫌そうだ。

 にしてもなぜそんな浮気を疑う彼女のような目をしてくるのか。

 しかし表示された画面を見て、今度は俺が目を疑った。

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