第16話
「なにすんだよ」
「好き、って言ったでしょ? 告白したんだから、キスしてもOKじゃん」
「いや意味わからんどういう理屈だよ。なんでそんな……」
「なんでって、理由? それは助けられて、一緒に帰って話して、今日もいろいろ話して、好きになっちゃったの。単純でしょ?」
「ああ、つまり単細胞のバカ?」
「そう」
開き直られるとこちらも二の句が継げない。ユキは真剣な表情を固めたまま、一歩も引く様子がない。
「あのね、昨日いろいろ考えててなかなか眠れなくて。朝起きたらないとくんの顔が浮かんで。なんかもっと話したいなって思って……」
ユキの目線が落ちた。表情に不安の色が混じる。
「今日も……今もずっとドキドキしてて。強がってるけど、わたしほんとは強くなんてないの。メンヘラ発動したら引かれるかなって思ったから」
そう言ってユキは俺の手を取った。自分の手首のあたりにもっていって、肌に触れさせる。
「ほら、ドキドキしてるでしょ?」
「うーん……」
脈を感じ取ってほしいということなのだろうが、正直よくわからない。
煮え切らない態度でいると、ユキは俺の手をさらに持ち上げた。自分の胸元にいざなうように、手首を引く。
「わかる?」
左の胸に手が触れた。
はたから見れば女子が自ら自分の胸を触らせているという状況。突然のことに俺もリアクションが取れない。本人はいたって真剣そのものだ。「結構でかいのはわかった」などと茶化せるような雰囲気ではない。
「あ、あぁ、わかるわかる」
「ほんとにわかってるの?」
さらに強く膨らみに手を押し付けられた。体の温かみと感触をわからされる。
嬉しいとかラッキーとかそんな場合ではない。変に体がこわばって、顔がひきつる。
「うん、ドキドキしてるな、うん」
俺はわざとらしく何度もうなずいてみせる。こっちもこっちで脈が怪しくなってくる。
手を引っ込めると、ユキは我に返ったように顔を赤らめてうつむいた。
「……ごめん。わたし、なにしてるんだろうね」
「自分から危険行為するなよ。俺は紳士だからいいけど、たいていの男子はそういうの……」
「あの、あいつらも……わたしのこと、エロい目でしか見てないのわかってたけど……それでも、話を聞いてくれる人がほしくて」
どうしてあんな集まりを開いていたのか。
何度か説明されたが、今のが一番しっくりきた。それが本当の、素直な理由なのだと思った。とうてい理解不能だと思っていたが、彼女のことが少し、わかったような気がした。
「まあ、わからなくはないよ。学校もバイトもなかったときとか、俺も家でブツブツひとりごと言ってたし」
誰だって自分のことを話したい。話を聞いて、共感してもらいたい。褒めてもらいたい。
昼間ユキに……自分のことを他人に話して、俺みたいなやつですら、そうなんだって思った。
けれどなんの見返りもなく一方的に、黙って人の話を聞くのは難しい。だってみんな自分が一番だから。口でなんて言ったって、本当は他人のことはどうだっていい。
無条件に話を聞いてくれるのなんて、せいぜい自分の親ぐらいだろう。
恋人だなんだって言っても怪しいもんだ。一方がしゃべりまくって、バランスが取れてなかったり。もしくは聞いてるようで、聞いてない。
いい大人だって金を払ってまで話を聞いてもらってる。それを仕事にしている人もいる。彼女のことばかり責められない。
「やっぱ、一人はきついよな」
引き抜いた手の行き場に迷った末、彼女の頭にのせる。
よくよく考えれば、別に減るものでもない。それどころかさらさらとした髪の手触りが気持ちいい。
「全部が全部ってわけにはいかないけど……俺でよければ、ちょっとぐらいなら、話聞いてもやってもいいよ……っておい!」
胸元に顔が飛びついてくる。勢いで後ろに倒されそうになるが、床との間にひじを差し込んで自分の体を支える。
首をもたげると、すぐ目の前にユキの唇があった。
「おまえ、あぶなっ……」
唇を唇で塞がれた。
同時に柔らかい重みが上に乗ってくる。重心が安定せず、横に倒れこみそうになる。
とっさに腕を背中に回して、体を抱きとめた。離れかけた唇同士が密着する。今度は舌が割って入ってきた。舌先がひかえめに舌の輪郭をなぞってくる。
「んっ……ん……」
ユキが鼻から吐息を漏らした。
粘膜同士がこすれる心地いい感触に、しだいに頭の中がぼやけてくる。
拒もうとしていたはずなのに、体は応じてしまっていた。腕の中に体を収めると、感じたことのない充足感のようなものがこみ上げてくる。
舌が唇から引き上げられた。
口を塞いでいたものがなくなって、呼吸を忘れていたことに気づく。唇から吐き出された息を、彼女の匂いごと吸い込んだ。毒でも注ぎ込まれたかのように頭がくらくらとする。
「もういっかい」
独り言のように言ったユキの表情はかげって見えない。何よりも、濡れた唇から目が離せなくなっていた。
視界が暗くなって、柔らかな熱が侵入してくる。
拒もうと思えばいくらでも拒めた。細い体だ。全力ではねのけようとすればどうとでもなる。けれど受け入れてしまっていた。
どうやら俺も単細胞のバカだったらしい。
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