第15話

「あのさ」

「なに?」

「全然集中できない」


 嫌がらせとしか思えない。

 さすがの俺もこの状況で勉強に集中できるほどずぶとくはない。

 ユキはニンマリと口の端を持ち上げる。


「おやおや? きれいなお姉さんとふたりきりで緊張しちゃってるのかな~?」

「じっと見てきてうざいんだが?」

「そういう直球よくないよ? ……ねえあのさ、さっき彼女いないって言ってたけどさ。ってことは、ナイトくんて童貞?」


 予期せぬ質問を浴びせられ吹き出してしまう。

 口元を拭いながら見返すと、ユキは子供のように無邪気な顔で返答を待っている。


「断っておくが俺は童貞じゃないぞ」

「へえ? そうなんだ」

「中学の時にテンガさんで卒業した。知り合い何人かもそいつで卒業したって言ってた」

「……それって何? その人に何またもかけられてたとか?」

「いまいちあわなくて、俺は一回で捨てたけど」

「なにそれサイテーじゃん」


 ユキの俺を見る目つきがどんどん険しくなっていく。冗談のつもりが引っ込みがつかなくなった。ネタばらしをする。


「見る? 写真。これ」


 わざわざスマホで検索をかけてブツの画像を表示した。

 スマホを渡して画面を見せると、ユキはぱちくりとまばたきをした。

 

「ナニコレ?」

「いやほら、テンガさん?」


 ユキはぱっと手を放した。スマホがカーペットの上に落ちてバウンドする。

 

「なにすんだよ」


 スマホを拾い上げてにらみつける。刃物のような視線が返ってきた。

  

「いや、まあその……すいませんでした」


 身の危険を感じた。とりあえず謝っておく。

 自分もちょいちょいやるくせに、人の下ネタにはやたら厳しいのはどうなのか。

 

「てか今の、見ただけでなんだかわかんの?」

「うるせえ」


 うるせえって言われた。もうこの話題はやめたほうがよさそうだ。

 テーブルの上のテキストに視線を戻す。ユキはしばらく無言だったが、

 

「まぁでもやっぱり初めては、初めて同士がいいよね~?」


 まるで仕返しとばかりに、煽るような口調で顔を近づけてくる。ここでその発言はどういう意味か。

 無視を決めこんでいると、ユキは首を引っ込めてため息をついた。


「はぁ。お邪魔みたいだし、帰ろっかなぁ」

「さよなら。お気をつけて」


 手だけ上げて振る。外はまだ明るいし、一人でも帰れるだろう。あまり長引くと送るハメになると思っていたので、一安心。

 ……したはいいものの、いつになってもユキは動き出す気配がない。


「ねえ」


 振り向くと、なにか言いたそうな顔がじっと見つめてきた。

 ユキはいつのまにか座布団に正座していた。ふざけている感じではない。急に真面目な雰囲気を出してきた。


「……なんですか?」

「あのね。いろいろ……助けてもらったけど、結局お礼、ちゃんとしてなかったなって……」


 目線を泳がせながら、たどたどしい口調で言う。

 

「だから……ね?」


 ユキは手をついて前かがみになった。上目遣いに、俺を見上げてくる。

 胸の膨らみの重みで少しだけ浮いた襟元に鎖骨がのぞく。なだらかな曲線は間近で見ると、思いのほかボリュームがある。つい下がりかけた目線を持ち上げて聞き返す。


「ね? って……何が?」

「言わせるつもり? わかるでしょ?」


 ユキは低いトーンで、囁くように言う。

 

「ほら、早く」


 わけもわからず手を取られた。

 ユキは俺の腕を強引に引っ張って、自分のもとにたぐりよせる。

 されるがままに俺の手のひらは、丸い球体の上に乗った。

 彼女の頭の上に。


「……なんでしょうか? これは」

「だからご褒美に、わたしの頭をなでる権利をあげたんでしょ」


 当然のように言われて面食らう。

 それでもおかしな方向に行くよりはマシだと思い、そのまま手のひらで髪をなでつける。いやまあ十分おかしな方向だが。

 ユキは少しだけ顔を上向けて、薄く目を閉じた。「ん~~」とうれしそうに喉を鳴らしたあと、口を開く。


「ユキはいい子って言って?」

「なんで」

「言って」

 

 目を開けて強い視線を向けてくる。

 言うまで終わりそうにない。めんどくさいので逆らわない方針でいくことにする。


「ユキはいい子」

「ユキはかわいい」

「ユキはかわいい」

「ユキは天才」

「ユキは天才」

「俺はユキに惚れた。これからなんでも言うことを聞く」

「何言ってんのあんた」


 頭から手を離しておでこをつつく。 勢いで変なワードを復唱させられるところだった。

「やぁん」と目をつぶってのけぞったユキは、膝を崩して座り直し、ふたたび肩を寄せてくる。


「わたしは好きだよ? すごくいい感じ」

「そりゃどうも」

「ふざけてるわけじゃなくて、本気で」

「本気と書いてギャグと読むやつ?」

「じゃあ証拠見せる?」

 

 ユキがそう言うのとほぼ同時だった。

 不意打ちに顔が近づいてきて、横っ面に唇が押し付けられた。感触は一瞬だった。俺が気づいたときには、ユキは目の前で笑っていた。

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