第14話
やっとのことでうちに到着した。時間はいつもの倍近くかかった。
駐輪スペースに自転車を止め、階段を上がる。オートロックなどという上等なものはない。
部屋は二階建ての建物の二階。祖父の知り合いのアパートに格安で入れてもらっている。人が入らなかったのか、俺の隣は空き部屋っぽい。
駅からも微妙な距離で周りは閑散な住宅街。近くに大学などの施設があるわけでもなく、どんな人が入居しているのか謎だ。
通路を歩いて部屋の前までやってくると、鍵を開けて中に入る。ためらうことなく背後から上がり込んできたユキは、物珍しげにあちこち顔をのぞかせる。
「へ~結構きれいにしてるじゃん。わ、お風呂とトイレ一緒だ」
中はワンルームのシンプルな作り。七畳だか八畳だか忘れたが、特筆することはない。
停学中後半はやることがなかったため、部屋の掃除をしたばかりだ。
といってもさして物が置いてあるわけでもない。ここに長く居座るつもりもないし、家具なども最小限。
廊下を抜けて居室部分へやってくると、ユキは立ち止まって部屋を見渡した。
「きれいはきれいだけど……なんにもないね?」
そう言われるのも無理はない。置いてあるのは小型のテレビ、テーブル、布団ぐらいのものだ。
「だから何もないって言ったろ。メリーゴーランドでもあると思った?」
「なにそれ? なんかの下ネタ?」
「ちげえよ、そんな楽しいもんはないっていう意味」
「ふぅん? わかりづら。じゃ、先にシャワー浴びるね」
「アホか」
「洗わないほうがいいの? やだヘンタイ」
くすくすと笑う。
俺はカバンをほうると、ユキの正面に立って圧をかける。
「もうこれで満足したろ? お帰りください」
「疲れたからちょっと休みたーい」
ユキはするりと俺の脇を抜けると、テーブルのそばにある座布団の上に腰掛けた。
俺のホームポジションだ。居場所を奪われてしまい、立ちつくす。
「どしたの? 立ってないで座りなよ」
ユキが目の前のカーペットの上を手で叩く。
思えば親類以外はこの部屋に誰も入ったことがない。制服姿の女子が我が物顔で居座っていると、とても奇妙な感じがする。
どうしたものかと頭を悩ませながら、とりあえず言われるがままに腰を下ろす。
ユキは対面であぐらをかくように座っていた。スカートの裾がきわどいが気にしていない様子。
たしか下には見せてもいいものを穿いていると言っていた。ちらっと見たこともある。
それはそれで拍子抜けするというか、いや何も問題はないのだが。
「なあそれ、スカートさ。いくら見えてもいいっつっても、なんかちょっとさ」
「ん? 今日見えたらダメなやつだけど」
「ダメじゃん」
ユキは俺の視線に気づくと、スカートの端をつまんで軽く持ち上げてみせた。
「ちら」
「なにやってんだよ、痴女か」
「ぷぷ、なんか偉そうにしてるけどパンツ見えそうなぐらいで焦ってるの? かわいい」
頭に手を伸ばしてきたので払いのける。
ユキは何がおかしいのか終始口元を緩ませている。休みたいと言っていたはずが、膝立ちになって周囲を物色しはじめた。
「あ、本棚ある」
ユキが目をつけたのは壁際にある本棚とも呼べない黒のカラーボックス。横に三段仕切りが差し込んであるだけの簡素なものだ。俺の数少ない持ち物――おもに学校の教科書だとか参考書がそこに集約されている。
見られて困るものはない……と思うが、あまり家探しをされるのは気分のいいものではない。
ユキはカーペットの上を膝で歩いて、前かがみに棚をのぞきこむ。こういうとき自然とスカートからのびる足だとか、その上の丸みを帯びた部分に目がいってしまうのは男の性か。
「こういう小説とか読むんだ?」
ユキが手にとって見せてきたのは、異世界で最強の騎士がどうたら、という長ったらしい題のついた本だ。意外なものに目をつける。
「いやあんまり。捨てるのもどうかと思って」
「面白くなかった?」
「うーん、ざっとしか見てないからよくわからんけど」
「読んでないの? いち、にいってあるけど」
ユキはもう一冊取り出した。そっちは二巻。
俺が買ったわけではなく俺のものでもない。今言われて、そういえばそこに突っ込んでいたことを思い出した。
「それは忘れ物っていうの? そういうの好きなやつがいて」
「ふぅん? いつか渡すためにおいてあるの?」
「どうだろう、いらないんじゃないかな。もう会うこともないだろうし」
ユキは不思議そうに首を傾げた。
俺がもうそれ以上は話す気がないと見るや、本を棚に戻した。座布団の上に戻ってきて、改めて聞いてくる。
「ぜんぜん飾りっ気もないしさ。なんかさ、趣味とかないの?」
趣味という趣味がないので、そういうふうに言われると実は返答に困る。
たとえばアーティストなりアニメなりのポスターなんかが貼ってあったりすれば、多少は人となりがわかるのだと思うが。
「なんかゲームとかないの~?」
「そういうの全部実家においてきた」
「わたしが持ってくればよかったな~」
そういうものにいっさい興味がないというわけではない。音楽だって聞くしゲームだってやる。ただここが、いっときだけ借りているだけの場所だと思うと、あれこれものを持ち込もうという気にはならない。引き払うときに邪魔になるだけだ。なにより飽きっぽいというのもある。
「いっつもなにしてるの?」
「なにというか、スマホてきとーに見たり? 動画とかマンガとか」
「なんの動画?」
「まあいろいろ? 短いやつとかダラダラ見たり」
「ふ~ん、趣味エロ動画しかないんだ」
さっきはちょっとふざけただけなのにかぶせてくる。
けれどゲームよりもよっぽど必需品だったりする。言ってもわからないだろうが。
「まあ暇人っていうのは否定しないよ。俺もさ、バイトもやめてどうしようかなって思ってたところだから。けど決めた」
「ユキちゃんのしもべになるって?」
「勉強。前半やらなすぎたから、心を入れ替えてちゃんとやろうかなって」
一人暮らしするようになって、バイトをして自分で金を稼いでみて、なんとなく一人でやっていけそうな算段はついた。
けれどフルで働いてあの給料では、と思ってしまう。親父も長い時間拘束されているわりに、稼ぎはよくなかった。
やはり学生の本分は勉強だ。
俺たちの通う学校は、このあたりではそこそこな評価を得ている。偏差値も平均より上。
スポーツ推薦とかで入った連中は知らない。一部頭のおかしいのがいるのは否定できないが、どこだってそうだろう。
こう見えて俺も勉強はしっかりやっていた口だ。紙のテストは、やったぶんは数字として出る。
人柄だのコミュ力だのよくわからない基準で採点されるより、そこに関してはよっぽど公平だと思う。
「休んでる間に、数学とか勝手に進んでて意味不明だし」
スマ彦から借りたノートはスカスカだった。授業中もスマホばっかりいじっているせいか、まともにノートも取っていないらしい。
俺はカバンから学校のタブレットと教科書を取り出し、今日出されたぶんの宿題にとりかかる。
ユキがすぐ隣に膝を詰めてきた。特有の香りが漂ってくる。
「じゃあ、先輩が勉強教えてあげよっか?」
「先輩? ……ああ、そういえば二年なんだっけ。毎回忘れそうになるわ」
「なんだとおいこら」
べしんと肩を一発。ユキはテーブルにひじをついて、必要以上に体を近づけてくる。
「どこ? どこがわかんない?」
目を細めてみせると、得意げな顔が返ってきた。何でも聞いて、という。俺は無視して机の上に目線を落とす。
その間もじりじりと視線を感じる。ユキは頬杖をつきながら、俺の横顔を見つめているっぽい。
ちらりと横目で見ると、案の定目があった。
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