第12話

「痛い?」

「ぜんぜん。もう結構前だよ。中学のとき。めっちゃ腫れてヤバかったけど」


 ユキの黒目が動いて俺の手を見た。俺は慌てて腕をおろした。


「それ、ミキは殴られたりしなかったの?」

「うん。ミキはさ、いつもへらへらして、酔っぱらいのご機嫌とってさ……ていうかこの話、どうでもよくない? そんなにミキが気になる?」

「いや別に、そういうわけでは……」

「それよりナイトくんは? 兄弟とかは?」

「俺? 俺は一人っ子」

「そうなんだ。両親と三人ぐらし?」

「一人暮らし」


 そっけなく返すと、ユキは急に身を乗り出してきた。


「へー一人暮らしなんだ! なんで?」

「まあ、それはいろいろと」

 

 人の話を聞くのはいいが、自分のことを聞かれると困る。ユキの好きな食べ物の話でもしてたほうがまだマシだ。

 一人暮らしだなんだって、胸を張って話せるような経緯ではない。ましてや知り合って数日の相手に。女子に。

 けれど父親に殴られた、という話をされた直後だったから、つい口が滑っていた。


「俺の親父も、酒飲んで酔っ払って、殴ってくるようなやつだったからさ」



 親父はとにかく酒癖が悪かった。酔うと女子供も容赦なく殴るやつだった。

 腕っぷしには覚えがあるらしく、むかしアマチュアの地下格闘技大会で優勝したと言っていた。喧嘩ならプロにも負けないと。そのくせ写真も何も残ってないという。


 今思うと最高に嘘くさいというかきっと話を盛っていたのだろうが、子供の俺にとって親父は鬼のように強かった。逆らえなかった。


 親父はまだ小さい俺に格闘技を仕込み始めた。

 けれど俺は格闘技なんぞみじんもやりたくなかった。勝手に試合を組まれても手を抜いてわざと負けたりした。

 俺に才能がないと見限ったあとは、親父は自分の息子に興味を失ったようだった。

 

 俺が中2のときだった。友だちと遊んで家に帰ると、酔った親父が母親を殴りつけていた。

 俺は親父と取っ組み合いになった。気づいたら俺は親父を組み敷いてボコボコにしていた。いつのまにか俺のほうが強くなっていた。親父は出ていった。


 親父が戻らなくなってから住んでいたアパートを引き払い、俺は母親とともに母親の実家に戻った。

 それだけならいいのだが、すっかり精神的に参っていた母親は、俺の顔を見ると親父を思い出してメンタルが不安定になる、と始まった。祖父から遠回しにそれとなく言われた。虫歯を引っこ抜けば、きれいさっぱり痛みがなくなるというわけではないらしい。


 空気を読んだ俺は、高校に受かったら一人暮らしをしてみたいアピールをした。向こうも空気を読んだのか「早いうちに一人暮らしをしたほうがいい経験になる」と言い出し俺の希望は通った。

 おおざっぱに言うとこういう経緯だ。



「それを返り討ちにしてボコボコにしてやったら、ひとり暮らしになった」


 細かい部分をすっ飛ばしてこれだけ言うと、よくわからない因果関係だ。けど母親がどうとか、余計なことを語る気はない。

 ドン引きされるかと思ったが、ユキは笑った。


「なにそれ、すごいね」


 少しほっとしている自分がいた。

 ユキは握りこぶしを宙にむかって突き出してみせた。


「わたしも男だったら、殴り返してたかも」

「くたびれたおっさんボコってもいいことないよ。でもそうやって笑ってられるって……お前、強いな」

「そう、わたし強いの」


 ぐっと腕を曲げて力こぶを作る仕草をする。ブラウスの袖から見える手首は細く、簡単に折れそうだ。

 ユキは改めて俺の顔を見つめると、感心したように息をつく。


「え~でもなんかすごい親近感~。おそろい~」

「その服私も持ってるみたいなノリで言うなよ」

「この出会いはもう運命だね」

「嫌な運命だな」


 昨日あんなことがあったというのに、立ち直りが異常に早い。

 もともとあまり堪えていないようではあったが、それも含めてちょっと変わっている。

 ユキは悲壮感を漂わせるどころかうれしそうに膝を叩いて、


「ね、今日も一緒に帰ろ?」

「一緒って帰ろって、方角ぜんぜん違うからな? 電車とか乗らねえし」

「また電車賃出してあげるから」

「いや意味わからん」


 意味もなく往復させられるのはごめんだ。そもそも電車に乗るのはあんまり好きじゃない。

 ユキは口をとがらせると、俺の指先を指でつまんできた。これでもかというほど首を斜めにかたむけて言う。


「じゃあ放課後遊ぼ?」

「なんだよ急に」

「じゃあ放課後遊ぼ?」

「遊ばない」

「じゃあ放課後遊ぼ?」

「選択肢間違えると先に進まないやつ? これ」

「じゃあ放課後遊ぼ?」

「わかったからそれやめてくれる? 怖いから」


 今日は放課後になったらダッシュで帰ろう。しばらく携帯の電源も切っておこう。

 満面の笑みを浮かべるユキを前に、俺はそう決めた。

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