学園の姫を助けたつもりが病んだ双子の妹に責任を取らされるはめになった

第6話

「あのさ、なんか勘違いしてない？　わたしが世間話しながら……テストだる、あいつうざいよねーみたいに好き勝手話をして。あの子たちはね、うんうんそうだよねって一切くちごたえせずに聞くの。わたしのことかわいいかわいいって、全肯定して褒め称えるの。嫌なこととかムカつくことがあると会を開いて、そうやってストレス解消してたの。お金もリアルスパチャとかって向こうがふざけて勝手に出してくるだけ。そうやって円満な関係を築けてたの。それがなんで急にああなったかわかる？」

　そんなこと俺にわかるはずもない。というか一気にまくし立てられて、話を整理するのに手一杯だ。

　大きく開いた目が俺を見つめていた。俺は首をひねった。

「いやさっぱり」

「きみに見つかったせいで、もう長く続かないと思ったんでしょ。解散になるなら最後にやってやれって」

「たしかに俺、勘違いしてたわ。別の意味でやべー話だったな」

「だから、きみが責任取ってくれる？」

「は？　俺が？」

「だって、これからわたしのストレス解消はどうすればいい？」

「いや知らんがな」と返そうとした矢先、顔をのぞき込まれて、少しだけのけぞる。

　下手すると唇が触れるんじゃないかっていうぐらい近い。謎の目力。ついさっき泣いていたとは思えない。

「ていうか、俺だって泣きてえよ。暴力だなんだってチクられたら今度こそ退学かも」

「今度こそ？」

「いやほら、俺前科あるじゃん」

「前科って？」

「だから、消火器ぶちまけたやつ」

「なにそれ」

「というかこの話って、知ってなかったっけ？」

「わたしが？　知らないよ」

　きのう職員室の前で話した気がするが、具体的にどういう会話の流れだったかまでは曖昧だ。

　向こうはその他大勢との会話なんて、いちいち覚えていないのだろう。

「なにしてんだよ、とかもなかったよね。いきなり攻撃してた」

「口より先に手が出ちゃうっていう、そういう家系だから。しょうがねえんだよ」

「でも、あいつの逃げ方面白かった」

　少しだけ笑ったのを見て、俺は胸をなでおろした。今度はため息が漏れる。

「まあなんでもいいけどさ。これにこりたら、もうやめろよ」

「言われなくてもやめるし。あいつらの写真全部ネットにばらまく」

「こわっ」

　笑いながら立ち上がる。　

　ちょうど階段を足早に降りてきた女子生徒と目が合った。俺たちの横を素通りして、下におりていく。ちょっと気まずい。

「じゃ帰るわ」

「ちょっと待って、このままわたしを置いて帰ろうとしてる？」

「してますが？」

「一人で帰るの怖いんですけど？」

　そのわりに口調は強い。怖がってる人の言い方ではない。

「別にもう襲われたりしねえと思うけど……じゃあ親とかに迎えに来てもらったら？」

「そんなことで呼べないし。近くにいないし、仕事だし」

「俺にどうしろと？」

「こういうとき優しく付きそうでしょ、ふつう」

「はいはいわかりましたよ」

　階段の縁でもう少しだけ休むと、俺たちは校舎を出た。俺は一足先に自転車置き場から、チャリを転がしてくる。

　グラウンドは夕日に染まっていた。そこかしこで運動部が青春中である。

　姫のファンの人らに見つかるとまずいと思い、なるべくグラウンドには近づかないように端を行く。その当人は「待って待ってはやい」と早足についてくる。周りを気にする素振りはない。

　彼女は駅まで歩いていって、そこから電車に乗るという。

　俺は駅まではいかずに、途中で道を折れる。どのみちすぐお別れだな、というと「ダメ」と言われた。

　片方は歩きで、片方は自転車。こっちはチャリを押さないといけないため普通に歩くよりしんどい。まさかチャリを漕いでぶっちぎるわけにもいかない。

「はやいよ、もっとゆっくり」　

「このペースだと俺が帰るまでに日が暮れるんだけど。わかった、じゃあ俺が走るからお前自転車乗れ」

「やだ」　

　さっきからわがままが過ぎる。

　結局早歩きペースで駅前までやってきた。

　乱雑に並ぶ自転車の群れにハンドルの先を押し込み、スタンドを立てて鍵をかけた。わきには駐輪禁止と書かれた薄汚れた札が立っている。

　駅へはいるとタチバナミキはまっすぐ券売機に向かった。切符を購入すると、そのまま俺に手渡してくる。往復の二枚分。どうやら俺も電車に乗らなければいけないらしい。

　駅は学生のほかにスーツ姿の大人も見られた。本格的に帰宅ラッシュが始まりそうだった。

　俺たちは運よく滑り込んできた電車に乗れた。席はいっぱいだったが、なんとか二人分座れるスペースを見つけた。

　俺が腰掛けると、タチバナミキはすぐ隣に座った。狭いとはいえ、やけに俺のほうに寄っていて肩がかすかに触れている。

　電車が走り出す寸前に俺はたずねた。

「そういえば指は？」

「痛くなくなってきた。大丈夫っぽい」

　指先を見ていた目が、俺の目を見た。至近距離で見つめ合うはめになる。

　ひだのあるまぶたが何度かまばたいた。大きな黒目は微動だにしなかった。まるで人の頭の中をじっと覗き見ているかのようだった。

　人の目を気にしたのか、彼女はそれ以上何も言わず視線をはずした。周りに会話をしている人間は誰もいなかった。

　電車が次の駅に停まったタイミングで、彼女は小さい声でいった。

「ねえ、Line教えて？」

「なんだよ急に？」

「いいじゃん別に」

「ていうか教えただろ」

「え？　何しただろ？」

　何か言っていたが電車が走り出して聞こえなくなった。きのう交換したはずだがボケているのか。

　目でせかしてくるので、膝の上のカバンからスマホを取り出す。エラーを吐くかと思ったが問題なく連絡先が追加された。

「ねえ、この『せいきし』ってなに？」

　限界まで耳に顔を近づけて聞いてきた。背筋がざわりとして、反射的に体が反対側に傾く。いくら聞こえにくいからといっても距離感がおかしい。

　名前は本名で登録するものだと思っていた。罠だ。

　今さら変えてもそれはそれで誰かに何か言われそうなのでそのままにしている。

　俺は名前イジりには付き合わず、スマホに視線を落とす。新しく追加されたアカウント名は『Yuki』になっている。

「なんだこれ、また捨て垢かよ」

　俺が言い捨てると、「なにが？」と目で聞き返してくる。

　またも電車の音で聞こえてないようだったが、わざわざ声を張り上げて言い直すことでもない。なんでもない、と小さく手を振る。

　けれどよくよく思うと読みはユキ。タチバナユキ。

　もしかするとタチバナミキというのは、俺の勘違いかもしれない。俺は彼女の名前を、人から聞いた音でしか知らない。

　となると今回のが本垢。ミッキーは捨て垢。まあどうだっていいことだ。

　どちらにせよ乗客のひしめいている今この場で、名前がどうたらとやる気はない。

　考えているうちに眠くなってきた。普段電車にはあまり乗らないが、乗るといつも眠くなる。

「ねえ、ついたら起こして」

　隣に耳打ちする。ミキだかユキだかしらない誰かは、「うん」となぜか照れくさそうにうなずいた。

　肩をゆすられて目を開いた。

　目の前にはっとするほどきれいな顔があって、一瞬混乱する。

「ほらおりるよ」

　手を引かれて立ち上がると、止まった電車を降りた。柱の駅名を見るに、乗っていたのはせいぜい十分二十分のようだ。下りの列車に乗ることはあまりない。初めて降りる駅だった。

　改札を抜けて駅を出ると、外は日が沈みかけていた。半歩先を行く頭が振り返って、淡い夕日を背にした。

「ここから近いから。もう大丈夫」

　やけに落ち着いた声だった。まるで俺が寝ている間に、別の人間に入れ替わったかのようだった。

　ここでお別れらしい。得体のしれないやつに、住んでいる場所がバレるのはよろしくないという判断か。そこはまっとうだ。　

「そう。じゃ、お気をつけて」

「うん。ありがと」

　彼女は小さく手を振りながら笑った。初めてちゃんとした笑顔を見たような気がした。

　遠ざかっていく後ろ姿をなんとなく見送っていると、彼女は何度か振り返って、手を振った。俺もそのつど、手を上げてこたえる。

　ここだけ切り取ると、ちょっと青春っぽい感じがする。

　駅から吐き出されていく疲れた顔をしたリーマンなんて、余裕で騙せるだろう。

　完全に詐欺だが。

　けれど騙されているのは、俺も同じかもしれない。

　俺が脇目にする青春の風景とやらも、ほんの一部、都合のいいところを切り取っただけで、本当は嘘っぱちなのかもしれない。

　あれは映画とかマンガとか創作物の専売特許で、現実にはそんなものはない。

　その創作ですら場面場面を抜き出しただけで、登場人物の大半がつまらない退屈な時間を過ごしているのではないか。

　なんて、そうやって考えていたほうが楽だと思った。