第2話

 入ってすぐ横に手洗い器があって、掃除用具入れがある。

 数歩進むと足元は青いタイルにかわる。個室の扉は二つ開け放たれていて、反対側に小便器が三つ並んでいる。


 俺が入ったのはやや縦長な作りの、だいたいどこも同じ仕様の男子便所で間違いなかった。

 しかしおかしなことにこの男子便所には女子生徒がいた。スマホを片手に眺めながら、奥の壁に背中を寄りかからせて立っている。


 その足元には、床の上に膝まづく二人の男子生徒の背中があった。

 短いスカートから伸びた足を、下からなめるように見上げている。

 

「あれ? また誰か呼んだの?」


 女子生徒の声がすると、男子二人が膝立ちのまま俺を振り返った。驚きに目をひんむいている。

 さきほどの野球部員とは違う、いかにも冴えない感じのメガネと、小太り。なぜかわからないが、二人とも手に千円札を握りしめている。


「い、いやっ、ち、ちがう……」

「ほんとに知らない人?」


 男子たちは必死にかぶりを振っている。

 女子生徒は不思議そうに首をかしげると、ゆったりとした足取りで近づいてきた。そしてまた俺の目の前で首をかしげる。

 

「どしたの?」

「どしたのって……用を足しに?」


 まるで俺のほうが不審者であるかのような問答だった。

 彼女は口の端を持ち上げると、顔を近づけて上目遣いをした。トイレは電気がついておらず薄暗かった。奥の小さい窓からわずかに入りこむ逆光で顔はかげっていた。


 見覚えのある顔だった。さっきからよく合う目だった。

 俺はタチバナミキにたずねた。


「いや、ていうか……なにしてんの?」

「姫への闇謁見ですよ?」

「はあ? どういうこと?」

 

 それには答えず俺に向けてスマホを構えた。シャッター音こそしなかったが、写真を撮られたっぽい。


「いま撮ったろ?」

「みんな写真撮ってるから。参加条件として」

「何に参加するって?」

「禁止事項がありますのでちゃんと読んでね」


 一方的に言うと、スマホの画面を俺に見せてきた。つらつらと文章が書かれている。


『勝手にしゃべらないこと。動かないこと。指定の距離より近づかないこと。 スマホの持ち込みは厳禁。それとトイレは清潔に。』


「なに? これ」

「ほらおいで、おすわり」

「いや、頭大丈夫?」

 

 睨みつけるが余裕たっぷりに微笑み返された。  

 と同時に、俺は違和感を覚えた。彼女の左目のふちに、かすかに黒いあざのようなものがあることに気づく。

 ついさっき職員室前で見たときはなかったものだ。誰かに殴られでもしたのか。

 

「その目、どうした?」

「……なにが? 関係ないでしょ」


 急に笑みが消えた。トゲのある声。

 まるで別人と話しているようだった。ブラウスの第一ボタンを外しているのに目がとまる。さっき会ったときは、一番上まで止めていたはずだ。


 彼女の胸ポケットからは折りたたまれた数枚の千円札がはみだしていた。

 野郎二人は禁止事項とやらを守っているのか気が動転しているのか、うずくまったまま沈黙している。まるで意思のない人形のようで気味が悪かった。

 俺は目を背けるように踵を返した。

  

「あれ? どこ行くの?」

「お取り込み中みたいなんで、よそ行くわ」

「へえ? いいんだ? それか先生にゆってやる~~って?」

「言いません言いません、もう好きにやってください」

「ナイショにしてね~?」


 声に背を向けて片手を振りながらトイレを出た。扉が閉まる寸前までなにか言っているようだったが、追ってはこなかった。


 これ以上関わったらきっとろくでもないことになる。危険物扱いされている俺でさえそう直感した。

 闇営業ならぬ闇謁見なるものが存在するらしい。姫様も大変だ。こんなのを見習えって言うんだから、やっぱりお先生方ってのは信用ならない。

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