学園の姫を助けたつもりが病んだ双子の妹に責任を取らされるはめになった

荒三水

第1話

 二週間の停学がとける前日に俺は学校に呼び出された。放課後の生徒指導室には夕日が差し込み、ときおり野球部のかけ声が聞こえてくる。

 長テーブルの向こうでは、教師二人が取り調べをする警察官のようにパイプイスに座っている。増田のおっさんが俺の書いた渾身の反省文を眺めながらいった。


「『ご迷惑をおかけしてすみませんでした。今後こういったことがないように……』なんだか文章が軽いなぁ? 悪いと思ってないけども仕方なく謝っている感がにじみでてるぞ」

「ネットで炎上したYoutuberの謝罪文を参考にしました」

「なにを参考にしてるんだか。名前をバカにされたんだかしらんが、法治国家では先に手を出したら負けなんだよ、な? もう次はないと思えよ」


 白髪交じりのくたびれたおっさんはいつもより低い声を発した。

 隣で控えている俺の担任(田波陽向28歳独身巨乳)の手前、学年主任としての威厳を見せたいのだろう。

 俺も負けじといいところを見せようと、思春期の少年らしく反論していく。

 

「そうは言うけど学校ってわりと無法地帯だよな。まともな社会経験もないくせに先生とかって呼ばれてるやつが幅をきかせてるし」

「どこの誰の受け売りか知らんがわかったふうな口をきくな。あんまり大人をなめるんじゃないぞ」


 言うとおりただの受け売りだが、声を荒らげたところを見るに効いているらしい。

 やりとりを見ていた田波女子がため息をついた。学年主任が小汚いスーツであるのに対し、こちらは体育教師らしくラフなジャージ姿。

 彼女は腰を浮かせて腕を伸ばすと、手にしていたバインダーでぺん、と俺の頭を叩いた。

 

「あ、今の体罰ですよね? 増田先生見ました?」

「愛のムチよ」

「つまり女王様だと」

「おい、あんまり田波先生を困らせるんじゃないぞ」


 困るというか呆れている。

 どちらかというと学年主任である増田のほうが困っている。田波は大きい胸を揺らして立ち上がると、テーブルを回り込んで俺のそばで腕組みした。

 

「星はへんなとこにエネルギー使ってないで、なんかスポーツやれば? スポーツテストの結果見たわよ。シャトルランを二回でとっととやめてるけど、その他はムダに高い数値が出てたし」

「俺、実は最強なんですよ。最強って言ってた親父を返り討ちにしたので」

「……なにそれ? それか、なんか趣味とかないの?」

「趣味といったら酒、女、博打」

「どこの無法者よそれ。だいたい女って、彼女とかいないの? まあそんな調子じゃいないんでしょうけど」


 急所を的確にえぐってくる。学年主任などよりよほど手強い。

 

「今も外でほら、野球の練習頑張って、試合のときは彼女に応援してもらったりして、青春してる子もいるっていうのに」


 見えないムチがうなりを上げる。やはり根っからの女王様気質だ。

 ここは逆らわずに、というか逆らえずにおとなしく黙っていると、部屋の扉をノックする音がした。

 増田が「はい」と返事をすると、控えめに戸が開いて、女子生徒が顔をのぞかせる。


「すみませんお取り込み中。あの、田波先生……」

「あ、ごめんごめん。今行くね」


 田波が足早に部屋を出ていく。戸が閉められる間際、女子生徒と目が合った。俺が視線を向けたほんの一瞬のことだ。彼女は何を思ったか、俺に向かって小さく笑いかけた。

  

「タチバナ、ミキか……」

 

 俺と二人残された増田は、誰にともなく呟くようにいった。さきほどの女子生徒の名前らしい。

 

「気持ち悪いっすねフルネームで呼ぶの」

「あれがいわゆる学園のマドンナってやつだろ? 職員室でもちょくちょく耳に入る」

「マドンナて。いまどきそんなふうに言わないっすよおっさん」

「じゃあ今ふうならなんていうんだガキ」

「そりゃあ学園のレディーガガとか?」

「ふぅん? そうなのか」

 

 適当に言ってみたがおっさんは感心している。

 実はそのタチバナミキというのは、交友関係の狭い俺でも、名前ぐらいは聞いたことがある。 


 俺の一個上の二年生で、お姫様だとかプリンセスだとか呼ばれている。さっきはよく見なかったがそれはそれは美人なのだと。文武ともに優れていて、教師からの覚えもいい、とかいうマンガのキャラによくあるやつだ。

  

「お前と同じ学校の生徒だというのが信じられない。爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ」

「垢飲むとか変態じゃん」

「はぁ……ちょっとは見習ってほしいもんだよ」


 同じ学校というだけでそれ以外の接点はない。爪の垢など入手困難の極みだ。

 増田はその後すぐ「お前ばかりにかまけている時間はない」と言って部屋を出ていった。


 俺はテーブルに突っ伏しながらしばらく携帯をいじった。担任が優しく慰めに戻ってくるかと思ったが戻ってこなかった。本当に俺なんかにかまけている時間はないらしい。俺は生徒指導室を出た。


 廊下に出て引き戸を閉めると、ちょうど隣の職員室から女子生徒が出てきた。ゆっくりと戸を閉め、誰も見ていないのに軽くお辞儀をしている。まあ俺が見てはいるが。


 彼女は俺の視線に気づいた。誰かと思えば女子生徒はかのタチバナミキだった。

 目が合うなり、またも微笑みかけてくる。かるく首を傾げた拍子に肩までおりた髪が揺れた。差し込む夕日が前髪を茶色に染め、白い首元を照らす。


「きみ、騎士(ないと)くんでしょ? 星騎士(ほしないと)くん」


 俺はそんな変な名前の人間ではない。

 と言いたいところだがれっきとした本名だ。名前を考えたのは親父であって、俺の頭がおかしいわけではない。


「かっこいい名前だよね」

「よしちょっと表出ようか」

「ふふっ」

 

 ケンカを売られたので買おうとしたが笑って流された。

 それにしても学園のレディーガガ、もといプリンセスに俺の名前が知られていたことに驚きだ。ネタとして悪名をはせているだけかもしれないが。

 

「結構、ムチャするみたいだけど。すごいよね、大勢に囲まれて消火器撒いたんだって?」

「いやほら、タバコの火が危ないと思ってさ」 

「そういう人って憧れる。私だったら怖くてできないから」

「誰だってできるぜ? ピン外してレバー握ればいいだけだし。やってみたら? あそこにあるよ消火器」

「うふふ、面白い人だね」


 タチバナミキは口元に手をそえて笑った。仕草一つとっても品がある。笑い声にも嫌味がない。

 黒目がちな大きい瞳がまばたいて、長いまつげが揺れる。

 身長は170半ばの俺よりひとまわり低く、見合うと自然と向こうが上目になる。

 正面からついまじまじと見てしまう。鼻先にいい香りが漂ってきた。

 目鼻口輪郭、どれをとってもケチをつけるところが見当たらない。なるほど野郎連中が騒ぐのもわかる。


「やだ、なんか見つめあっちゃったね」


 彼女は恥ずかしそうに目を伏せた。

 これも満点の仕草だ。今のでたいていの男子はコロっといってしまうかもしれない。


「あの、よかったらLine交換する?」

 

 タチバナミキはスマホを取り出していった。

 これは大きく減点だ。よかったら、の意味がわからない。いや発言の意味がわからない。


「なんで?」

「くすくす、星くんって面白いね」 


 さっきから何が面白いのかさっぱりわからない。さすがプリンセス。笑いのツボも常人離れしている。

 連絡先を交換する理由はなかったが断る理由もない。俺がスマホを取り出すと、彼女は手慣れたふうに画面をタップして、QRコードを向けてくる。

 にしても初対面の相手といきなり連絡先を交換するのは、姫にあるまじきあさましい行為なのではないかと思う。


 こういうのはどうあっても手が届かないのがいいのであって、あっけなく届いてしまうと萎える。ような気がする。 

 どのみち変な期待をするのは早とちりだろう。アイチューンカードの番号送って、とか言われるだけかもしれないし。


「じゃね」


 登録を終えると満足したのか、タチバナミキは笑顔で手を振って廊下を歩いていった。

 しかしその先で、すぐ別の人間に捕まっている。でかい図体をした男子だ。野球のユニフォームに身を包んでいる。

 

「今休憩中。今日フル練なんだ」

「そうなんだ、頑張ってね」


 楽しげな会話が聞こえてくる。

 姫様が首をかしげぎみに笑いかけると、野球部員は頭をかきながら相好を崩した。言っちゃ悪いが美女と野獣、のような言葉が頭をよぎった。


「なに見てんだよ?」


 俺の視線に気づいた野獣くんが低い声でいった。

 以前の俺なら「は? 見てたらなにか?」とやり返すところだがさすがに学習した。

 目をそらして回れ右をすると、ふたたび背中から男の浮かれた笑い声がする。

 ずいぶんな落差だ。感情豊かなことで。

 

 俺も舞い上がって彼女に連絡でもしようものなら、あんな風になるのかもしれない。それが悪いとかって言うつもりはない。いっそああなったほうがいいまである。なんか楽しそうだし。


  

 停学中は長いこと孤独だったので実は人恋しい。

 俺はすぐに帰ることはせず、あてもなく放課後の校舎をうろついた。どの教室も数人は居残っていて、おしゃべりなどに興じている。これぞ青春の風景。


 二階の廊下を一周するが誰ともすれ違わなかった。

 渡り廊下の途中で立ち止まって、窓から夕焼けを眺める。

 中庭には校舎の影が長く伸びていた。吹奏楽部がプープーやってる音とともに、涼しい風が流れてくる。


 この高校に入って、早くも半年。

 ようやく暑さも和らぎ、季節は秋になろうとしていた。

 その間俺の身に青春イベント的なものは何一つとして起こらなかった。いたずらに時間だけが過ぎていく。


 窓枠にもたれてしばらくたそがれてみるが、俺に話しかけてくるような輩がいるはずもない。

 それどころか下の庭の植木の陰で、男女ペアが頬を寄せて抱き合っているグロ映像を見てしまった。

 心的外傷を負ったので帰ることにする。

 

 昇降口に向かう途中でトイレに立ち寄った。別棟の暗い廊下にあるトイレだ。

 場所が場所だけにほとんど使われてなさそうだった。なので俺があえて使ってやることにした。しかし扉の立て付けが悪いのか、押しても何かが引っかかったように開かない。


 両足を踏ん張って押してみた。

 がたっと音がして、扉が開いた。床にはモップが転がっていた。これがつっかえていたようだった。

 そしておかしなことに中には人の気配がした。いや、人の声がした。

 足を踏み入れると、さらにおかしな光景が目に飛び込んできた。

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