致命
大河
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何でもない夏の日。蝉がうるさい夕暮れ小道。
ぼろぼろに使い込んだ大切なぬいぐるみに、肉の棒が付いていた。
「あなたは誰?」
わたしは最初に、棒に向かって尋ねた。
棒が生えてしまった彼をジュンと呼ぶことは憚られると思ったからだ。
くまのぬいぐるみを買ってもらったのは、わたしが生まれてから六度目の誕生日、を三日過ぎた頃。会社とおうちの違いが分からなくなったお母さんが一週間ぶりに帰ってきたとき、右腕に大きなプレゼントを抱えていた。遅れてしまった分、一回り大きなサイズのものを買ってきたのだという。申し訳なさを感じるくらいならば遅れなければいいのに、とわたしは思った。
わたしはくまのぬいぐるみにジュンと名前を付けて可愛がることにした。
ジュンの身体は当時のわたしに匹敵するくらい大きかったので、外出するときはジュンを背負って出かけなければいけなかった。引きずって歩くほどに擦れて短くなる脚を、他の部位から補った布で直して、また散歩を繰り返した。
わたしが大きくなるにつれてジュンは小さくなっていった。
どうやらわたしはあまり裁縫が得意ではなかったらしく、お母さんは貴重な休日を使ってぼろぼろのジュンを生まれ変わらせてくれた。ジュンは解体され、切り貼りされ、最終的にバッグに入るサイズになった。お母さんの手前わたしは彼をジュンと呼んだけれど、はたしてジュンの素材から出来たというだけで彼をジュンと呼んでいいのだろうか、とわたしは悩んだ。
悩み始めから三年ほど経った頃、ジュンから生まれたぬいぐるみに肉の棒が生えた。
脚と脚の間、股の中央からだらんと垂れ下がった情けない棒状の肉。生々しく脈打つそれは、わたしが見つめるほどに肥大化する。
「おれは、そうだな、おれはペニーだ」
わたしの質問に彼が答えた。
「どうしてペニーなの?」
「おれはジュンじゃないからだ」
「やっぱりあなたはジュンじゃないんだね」
「ぬいぐるみは喋らないだろう。おれは喋ることができる」
「ペニーはどうして喋ることができるの?」
「目的があるからだ」
だらんと垂れ下がったままの腕に代わって、股についた肉の棒がぐんと持ち上がる。
「おれはな、いけてる人間になりたいんだ」
「いけてる人間?」
「そうだ。いけてる人間だ。元々おれが付いていたヤツは、頭がよくなくて、いけてなかった。おれが付いている意味がないくらいにな。だからおれは嫌気が差して、独り立ちしたんだ」
ペニーの感情を表現するように、肉の棒がぷるぷる震えた。
「なあ、おまえ、おれを手伝ってくれないか?」
「いいよ」
「そうか! ありがとう! でもなんで?」
「わたしの悩みが解消したから」
「ふうん」
訊いた割にはあまり興味がなさそうに、ペニーはすぐさま話題を戻した。
「それじゃあさ、おれみたいな連中を探してくれよ!」
「おれみたいな連中ってどういう連中?」
「つまり、切り離された連中だ。最近の人間は要らない部分をすぐ捨てるだろ? 整形だなんだの言って、顔あたりを特にさ。そうやって捨てられたヤツらに声掛けて、一緒になればいい。そうすれば人間になれる」
「人間になるんじゃなくて、いけてる人間になるんでしょ」
「おれが主体なら、どんな見た目だっていけてる」
ペニーは自信満々に言った。
「おまえ、そういう捨てられた奴らが集まりそうな場所を知らないか?」
「そうだなぁ。明日まで考えさせて」
翌日、学校。
わたしはペニーをバッグに詰めて登校した。昼休みに友達を呼んで、人の壁を作り、先生に見つからないよう細心の注意を払ってペニーを紹介する。
「喋るのすご」「かわいい~」「なんか付いてる」
「あのね、この子、人間になりたいんだって」
「誰でもいい。身体を捨てようとしているヤツを知らないか? おまえたちの誰かでもいいし、おまえたちのお父さんお母さんでもいい。もし捨てた部分があれば、拾って、おれに渡してほしい」
「分かった~」「探してみる!」
「ありがと。明日ね」
ひとまず初日は協力を取り付けるところまで。放課後になり、学校を離れる。
その足で公園にやってきた。
「意外とな、こういうところに捨てられてるんだよ」
ペニーが指定したのは公園のゴミ箱だった。
棒以外を自由に動かせないペニーに代わって、ゴミ箱をごそごそ漁ってあげる。すると、人の爪とか、皮膚とか、身体の一部を見つけることができた。持ってきたセロハンテープでぬいぐるみの表面に貼り付けてから、三十秒ほど待つ。テープを剥がしてみると、ぬいぐるみと拾った皮膚がしっかりくっついていた。
「うん、うん、やっぱりな。おれの予想通りだ」
「どうしてくっついたの?」
「さあな。でも、なんとなく、くっつく気がしたんだ。だって人間になるためには、人間の「もと」が必要だろ」
その後も、わたしはペニーの言う通りにあちこちを探し回った。カラスを追いかけた先の巣で足の指を見つけた。水路の陰に放置された簀巻きから細い骨をいくつか手に入れた。ぬいぐるみの身体に付けてセロハンテープを巻いてやると、今度もくっついて、それからほんのちょっとだけ動いた。
「うわぁ、動いた」
「よし! うん、いい調子だな! すごくいいぞ!」
ペニーはあからさまに嬉しそうな声で叫ぶ。
「あとは砂場だな! おまえ、穴掘りの道具を持ってるか?」
「もう疲れたよ。明日にしよう」
「仕方ないな」
わたしはペニーをバッグにしまって、公園を後にした。家に戻ってご飯をレンジで温め、食べ終わったらシンクに置いて歯磨きをした。うがいをしている最中、リビングでくぐもった声が響いていることに気付いた。ペニーをバッグに入れっぱなしだった。
「おまえ、耳遠いのか?」
「あなたよりは」
わたしはペニーを棚に置いて、毛布を被った。
「おやすみなさい」
肉の棒がぺちんとベッドを叩いた。
「どうだった?」
「これ、ママが処分したまぶた。一重のやつ」「うちのパパ、脂肪捨ててたから持ってきたよ」「まつげもあるよ」「目も!」
学校に行くと、昨日お願いした友達が集まってきた。皆、両手いっぱいにパーツを持ってきてくれていた。
「お宝の山だ!」
顔や身体に貼り付けていくと、それらはペニーの意志を持って動くようになった。人骨の代わりに小動物の骨をあてがってみると、ペニーは千鳥足で机の上を歩き回る。
「すごーい!」「やば」
「う!」
突然ペニーはうめき声を上げて、直後に骨の折れる音がした。
ぬいぐるみの身体がうつ伏せに倒れ、肉の棒が机に押し付けられた。
「折れちゃった」
「もっと丈夫なものが欲しいな。あとで公園行こうぜ」
わたしはペニーをバッグにしまい、授業を終えてから公園に向かった。友達はペニーのことがとても気に入ったようで、何度もわたしのバッグを開けようとしていた。
「砂場だっけ」
「そうだ。どうやって穴を掘る?」
わたしはバッグから園芸用のこてを取り出した。
「あ、それ、一緒に入ってたやつか!」
「そう。穴を掘る道具だよ」
わたしはペニーを傍に置いて砂場を掘り始めた。掘って、砂をどけて、という作業をしばらく繰り返して10センチメートルくらいの穴ができた。
「これでいい?」
「良くない。何か埋まってると思うんだよな。見つかるまで掘ってくれ」
「どうして何かが埋まっていると思うの?」
「なんとなく」
「ふぅん」
わたしはペニーに言われた通り、穴を掘り続けた。日が暮れても何も見つからないので、そろそろ帰りの準備を始めようとしたら「あとちょっとだけでいいから」と言われた。それから少し経って、こて先が硬いものにぶつかった。
「何か当たった」
「いいぞ。きっといいものがある」
砂場には小さな箱が埋まっていた。小さいといっても、小さくなる前のペニーくらいはある箱だ。取り出して蓋を開けると、肉の棒がぐんと上向いた。
「これで立てる!」
わたしは箱から取り出したものをペニーの身体に貼って、馴染ませてあげた。
いつもより少し時間をかけてから、ペニーは立ち上がる。手足をぶらぶら揺らすと、動作を確認するようにゆっくりと歩き、次第に速度を上げ、最終的には辺りを走るようになった。
「やった! 動けるようになったぞ!」
「よかったね」
「おまえのおかげだ。ありがとう」
ペニーが伸ばした手をわたしは握った。
「おれ、もうすぐ、いけてる人間になれそうだよ」
「そうなの。すごいね」
ペニーと話していると、遠くからわたしの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。声の方を見れば、友達の一人が駆け寄ってくるところだった。
彼女は自力で立って動くペニーにひどく興奮しているようで、ほんのりと頬を紅潮させ、ペニーに向かって懸命に話しかけた。わたしは話の輪に入れずにいた。彼女はペニーを家に誘おうとしているみたいだった。
「でもなぁ、ごめんな。おれ、そろそろ帰らなきゃ」
「帰るならうちに来て!」
「だめだよ。だっておれ、こいつの家で暮らしてるんだ」
彼女はわたしを睨みつけ、それから「明日! 学校で待ってるから!」と言い残して去っていった。
「早く帰ろうぜ」
「よかったの?」
「いいんだよ」
ペニーとこてをバッグにしまって、わたしは公園を離れた。
家に着いて、玄関でこてを取り出して、続いてペニーを取り出した。戸棚を開け、片付けるためにこてを握る。
「キスしていいぞ」
「どういうこと?」
「だっておまえ、おれのこと好きなんだろ」
わたしは首を傾げて、ペニーを眺めた。
「おまえ、おれのこと手伝ってくれたじゃん。それって、おれのこと好きだからだろ?」
「違うよ。わたしの悩みが解決したから、そのお返しだよ」
「違うよ。おれとおまえはずっと暮らしてきたんだから、おまえはおれのことが好きなんだよ」
「そうかな? でも」
「でも、じゃない。おれ、今だって、こんなにいけてるんだぜ」
「わたし、ペニーのことそこまで好きじゃない」
「そんなはずないだろ。おまえの友達はみんなおれのことが好きなんだ。さっきもそうだ。おれにはさ、魅力があるんだよ。みんな、おれのことが好きになる。でも、おれはおまえを選んだ。だからさっきの奴の家に行くのを断ったんだ」
「ふぅん」
「キスしようぜ」
ペニーはせがむように両腕を開いて伸ばす。大きく膨れた肉の棒が、どくんどくんと脈打っている。
「おれは、おまえが欲しい。そのためなら何をしたって構わない。おれはおまえがいいんだ」
わたしはそれが、どうしても、目に留まって。
どうしようもなく気になってしまう。
大きな大きなそれが。
「そうなんだ」
「そうだ」
「わたし、今のあなたは好きじゃない。だから、好きなあなたにしてもいい?」
「もちろんだ」
わたしは手に持ったこてで、ペニーの棒を切り離した。
以降、ペニーは喋らなくなってしまった。
三日ぶりに帰ってきたお母さんにそのことを相談したら、翌朝、ペニーはくっついた人間のパーツごといなくなっていた。
公園に立ち寄ると新しい看板が設置されていた。看板には「野良ペニスにご注意下さい」という紙が貼っていた。
ペニーと関係のあることなのだろうな、ということだけは、幼いわたしでも理解できた。
致命 大河 @taiga_5456
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