「あ」で始まる5文字って

Omochi

なーんだ?

「はい、答えて答えて」

「急にどうしたのさ」


 放課後の教室。窓際の席に上下に並んで座りながら、僕は彼女と会話をしていた。

 彼女と仲を深めてから大体三か月が経つ。きっかけは……なんだっけ、よく覚えていない。


「『あ』でしょ?なんだろ」

「とぼけるなよー。分かってんだろ?」


 このこの、と言いながら肘で僕の腕を叩いてくる彼女。その感触が妙に心地いい。

夕日に照らされている彼女の顔は意地の悪い笑みを浮かべている。黒色のロングヘアーがオレンジ色を反射していて、いつもよりも彼女が可愛く見える。


 彼女と友達になってから、少し飽きを感じていた僕の生活はいい匂いのすることが増えた。別に僕は変態ではないし匂いフェチというわけでもない。ただの比喩表現だ。

 そして彼女は時折、こういう感じで僕をからかってくる。その仕草にいちいちドキリとさせられ、期待外れなことをされるのが僕の新しい日常となっていた。


「ごめん、分かんないや」

「はぁー鈍感だねえ。じゃ質問変えようか、『だ』で始まる7文字って何でしょう?ヒントは今、私が君に向けてる気持ちだよー」


 7文字。『だ』から始まる。彼女の気持ち。


 うん、全くもってわからない。気持ちと言われても、僕はエスパーの類ではないのでそんなの分かるわけがない。

 何分経っただろうか、彼女の問いに答えようと必死に頭を回していると、体を横にして机の上で頬杖をついている彼女の顔が段々と苦いものに変わっていくのが分かった。


「……そろそろ答え言ってもいい?」

「いや、もう少し考えさせてくれ」

「いいよもう。正解はね」

「――だから待ってって」


 自分でも驚くくらい、冷たくて感情のこもった声が出た。

 顎に手を当て、必死に考えているをする。彼女の口から答えを言わせるわけにはいかない。それだけは駄目だ。

 うつむいているせいで、彼女の顔は見えない。けど声の端々から、悲しみの感情が読み取れる。いや、読み取れてしまう。


「ねぇ、言わせてよ」


 うるさい、止めてくれ。君は何もしゃべらなくていい。もうこれ以上ヒントも要らない。答えは僕が出す。


「もういいんだって、考えなくって」

「うるさい!」


 怒りを前面に押し出した、叫び。机に両手を叩きつけて、勢いのまま立ち上がる。

それが間違いだと気が付いた時には遅かった。

 視界に映ったのは涙をしている彼女。その雫はきっと、僕のこの無意味な抵抗によって流されているものなのだろう。


「……伸ばそうとしてくれてるんでしょ?」


 彼女が椅子から立ち上がる。全身が見えた。足の無い、亡霊のような彼女の全身が。いや、『ような』ではない。亡霊となった彼女がそこに居た。


「大丈夫だよ。どうせ私、すぐ消えちゃうんだから」


 どうしてそんなことを言うのさ。そうとは限らないだろ。


 そう言おうとして、でも喉は動かない。声が出せない。


「だからさ、最後に言わせてよ。私の口から」


 ダメだ、駄目だ。多分だけど、予測でしかないけれど、それを彼女が言った瞬間、これは消える。脆い泡のような、儚い夢は、僕の手から零れてしまう。

 ……いや、もう零れているのだ。それを僕は知っている。知りながら、無視をしているんだ。なんて臆病者なんだろうか。自分の弱さに嫌気が差す。

 そんな僕を慈しむように、いつの間にか僕の体は彼女に抱きしめられていた。

 首に回された手からは一切の温度を感じない。息のかかる距離になってようやく気付く。夕日に照らされていたせいで誤魔化されていた彼女の肌が、生気を一切感じられない白に染まっていたことに。


「最初の問題の答えはね、『愛してる』」


 耳元でそっと彼女が囁く。

 聞きたくない。けど聞かないと、僕はきっと一生後悔する。だから耳を塞ぐことだけはしてはいけない。でも、彼女の声の一音一音を聴くたびに、どうしようもない絶望と悲しみが、胸の奥から湧き出てくる。

 

「次の問題の、答えは――」


 ああ、神様。夢を見せてくれてありがとう。同時に、どうしようもないクソッタレだ、お前は。


「『大好きだった』」


 目が覚めた僕の鼓膜を最初に震わせたのは、命の終わりを知らせる機械の無機質な音だった。それが違う音を鳴らすことは、もうない。

 外は大雨で、多分、道路にこびり付いた彼女の血はもう流されていると思う。

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「あ」で始まる5文字って Omochi @muryoku

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