バランスボールに二人乗り4

うたた寝

第1話



 自慢でも自虐でも何でもないが、彼女は髪の毛を千円カット以外で切ったことが無い。

 子供の頃は母親に髪を切ってもらっていて、その後父親について行って千円カットで髪を切ってもらい、以来そのまま千円カットを使い続けているといった感じだ。美容院に触れるタイミングが無かった、というのも理由の一つかもしれない。美容院デビューのきっかけって皆さん何なのだろうか? 親がそろそろ行きなさい、と言うのか、自分で自発的に行くものなのか。ひょっとしたら知らない間にデビューの機会を逃したのかもしれない。

 千円カット行ってる、と言うと大体、『え~? 大丈夫?』と聞かれる。何が『大丈夫』なのだろうか? ダサくない? 大丈夫? ってことなのだろうか? では、ダサくない? という質問に関しては正直、分からない、と返しておこう。何がお洒落な髪型なのかがそもそも分からないからだ。

 美容院に行ったことが無いから、行ったらどうなるのかもよく分からないのだが、行って切ってもらったら『お洒落な髪型』にでもしてもらえるのだろうか? しかし、彼女にはあまり髪に拘りは無い。目に入らず、ドライヤーで乾きやすい長さにしてもらえればそれで良かったりする。仮にカットだけを注文した時、何か明確に美容院とで違いでも出るのだろうか? 長さ揃えてもらうだけなら安い方が得じゃね? と彼女なんかは思ってしまうが。

 値段が掛かっている分、同じカットでも色々サービスや設備が違ったりはするのだろう。例えば散髪後のシャンプーなんかはよく聞く話だ。千円カットでは掃除機みたいなので髪の毛は吸ってもらえるが、洗ってはもらえない。だが、そんなの自分で家に帰って洗えば良くね? と思ったりする。プロに洗ってもらう分気持ちいいはあるのかもしれないが。

 他にパッと思いつく美容院のメリットと言えば、髪の毛を染めたいケースとパーマをかけたいケースが彼女の中では思いつくが、そのどちらも彼女はあまり興味が無い。どちらも髪が痛みそうと思って敬遠しがちだ。おまけに似合わなかったらどうしてくれよう。髪も痛むわ、似合わないわ、出費はかさむわで三重苦である。

 気に入った人にだけ切ってもらえる、というのも美容院のメリットだろうか? それは確かにたまに羨ましくはなる。千円カットでは基本的に切ってもらう人を選べない。めちゃくちゃごねれば切ってもらえるかもしれないが、あまり好ましくは思われないだろう。髪を切る技術云々は彼女には分からないが、対応が丁寧な人とそうじゃない人の区別程度は付く。人によっては櫛での髪の解き方が下手でめちゃくちゃ痛かった記憶がある。

 逆に千円カットのメリットって何? と聞かれると彼女も回答に困るところだ。というのも、別に好きだから千円カットに行っているわけではない。昔から行っていて、何となく美容院に乗り換える機会も無かったからそのまま千円カットで来ているだけ。父親が連れて行ってくれたのが美容院であったなら、恐らく今も美容院に通っていたのではないだろうか?

 コストを抑えたい、という願望があるわけではない。もちろん、安いに越したことはないが、千円カットに慣れてしまっているせいか、美容院のカット代を見ると高く感じる。あとちょっと、みんなが美容院とかで五千円とか下手すれば一万円とかかけていたりする中で、自分は千円で済んでいるというお得感もあるのだろう。

 千円カットに行って失敗した、なんて話を聞くこともあるが、彼女の経験上、失敗したと思ったことは一度も無い。ここは良くも悪くも彼女の髪への拘りの無さが影響している可能性はある。他の人から見ると失敗だけど、彼女が失敗だと思っていない、というのもあるだろう。鈍感なお客さんとも、寛大なお客さんとも言えよう。

 人によっての当たり外れもあるように、お店ごとの当たり外れもあり、特に千円カットは外れが多い、という印象なのかもしれない。千円カットだと10分程度で終わらせようとすることもあるから、雑に切っているのではないか? というイメージもあるのかもしれない。時間制限がある分、そこは否めない部分なのかもしれないが、逆に言うと時短で済む、というメリットにも受け取れる。丁寧になる分時間も掛かる、と考えるとトレードオフの関係と言っていいのかもしれない。

 複雑な髪型にしたいのであれば、時間を掛けて丁寧にやってもらえる美容院の方がいいのかもしれない。それこそ『お洒落な髪型』の代名詞であろうモデルさんとかと同じ髪型にしてもらいたい、とかであれば。しかし前述の通り、彼女の要望は髪が伸びてきたから短く切り揃えてほしいだけ。毛先何ミリ、とかの拘りも無いので、多少大雑把に切ってもらっても問題無い。それであれば安くて早い千円カットに行こう、という気にはなる。

 そういう意味では自分で切れるのが一番理想ではあるのだが、前髪はともかく、後ろ髪を綺麗に切り揃えるのは中々難しい。一回自分で切ってみて、上手く切れなかったので千円カットに行ったら、『あれ? 自分で切った?』と指摘され、『べ、別に~?』と顔を真っ赤にして否定したことがある。どうやらプロが見ると素人が切ったかどうかってすぐに分かるものらしい。あるいは明らかに分かるくらい後ろ髪が酷かったのかもしれないが、幸か不幸か彼女には見えなかったので、深く気にしないでおくことにした。

 とりあえず、自分で切るよりは千円カットの方がいい仕上がりになる、ということは経験済みだ。一回くらい美容院に行ってみて仕上がりを比較してみるのもありだとは思っているが、千円カットの仕上がりにそれほど不満を覚えたことはない。プロが見れば『それ千円カットでしょ?』って分かるのかもしれないが、素人目では判別付かないのではないだろうか? 実際、『千円カットでしょ』って指摘されたことは一度も無い。まぁ、これに関しては言ってこないだけの可能性もあるが。

 美容院デビューのきっかけとして、千円カットで失敗したから、という人も居るのかもしれないな、とふと思った。初めから美容院、という人も居るのかもしれないが、初めは千円カットでその時失敗したから以降は美容院へ、という人も居そうなものである。最初の一回、というのは良くも悪くも強く印象に残るだろうし、その一回目の印象が悪かったのであれば、千円カットに悪い印象を持っていても頷ける。

 そういう意味では、今のところ外れに当たったことが無い自分はツイているのかもなぁ~、と彼女が髪をチョキチョキと切られる心地良い音に耳を澄ませながら考えていると、


 チョキンッ!! パラ……ッ!! パラ……ッ!! パラ……ッ!!


 事件は、その時起きた。

 ~~~~~~♪(何かのサスペンスのテーマソングが流れる音)



「ただいまっ!」

「おか……えり……?」

 玄関から早口で聞こえて来た声に彼がリビングのドアを開けて返事をした際には、彼女は既に自室へと駆け込んだ後だった。何だ? トイレに駆け込むならまだ事情も分かるが、自室に駆け込むって何かあったのか?

 料理中でキッチンから手を離せなかったこともあり、その時は深く気にしなかった彼なのだが、彼女がリビングに入って来た時、帽子を被っていたので、おや? と明確に気になり始め、火加減を弱めて焦げないようにして彼女の様子を見てみる。帽子を被ってコソコソしているその様子はぱっと見不審者である。

 何だ? おニューの帽子でも見せびらかしたいのか? とも思ったが、帽子に見覚えがあるのでそういうわけでもあるまい。では何故室内で帽子を被っているのか? という疑問と、何故あんなに挙動不審なのか? という部分が気になる彼だが、とりあえず料理を先に終わらせてしまおうと一旦放置することに。

「できたよー」

 リビングで帽子を被ってコソコソしている不審者に彼が声を掛けると、料理をテーブルに運ぶのを手伝ってくれる彼女。挙動不審なこと以外はいつも通りである。ん? いつも通りって一体なんだ?

 リビングで一緒に食卓を囲おうとした際にも、不審者は帽子を外そうとしない。正確に言うと、帽子を被ったまま食事するのはマナー違反、という想いはあるらしく、帽子を取ろうという葛藤自体はあるようだが、取ろうか取るまいか悩んでいる様子だ。

 何に葛藤しているのかはよく分からない彼だが、まさかこのままずっと室内で帽子を被ったまま生活するわけにもいくまい。どこかのタイミングで外さなければいけないなら、今外しても問題無いだろうと帽子を外すことを促してみる。

「食事中くらい帽子取らない?」

 促された彼女はう~……っ、と唸りながら帽子を目深に被ると、訴えるような目で彼を見てくる。

「…………どーしても取らなきゃダメ?」

 何か本気で取りたく無さそうである。そんなに取りたくないなら彼としても無理やり外させたいわけでもないので、

「……どーしても取りたくないなら無理に外さなくてもいいけど」

「………………」

 渋々嫌々、という感じで彼女はゆっくりと帽子を脱いだ。帽子を脱ぎ、彼女の髪が見えたことで、彼はようやく彼女が帽子を脱ぎたくなかった理由を知った。

「おー……、これはまた……、ずいぶんとサッパリしたね……」

「………………うぅ」

 確かに。目に髪は入らない。入らな過ぎる。ドライヤーで髪もすぐに乾く。乾き過ぎる。思っていた以上に結構バッサリ切られたのである。髪型にあまり頓着しない彼女が短すぎね? と思う程度には。いや、彼女の知識が無いだけでそういうお洒落なショートヘアーの可能性もあるのだが、彼女から言わせるとショートと坊主の間という印象である。

 子供の頃、男子と混じって元気にサッカーをやっていた友人がこんな感じの髪型だった気する。服装を女性っぽいものにしないと、女子トイレに入る際に止められそうなくらい男の子っぽい髪型になっている。ボーイッシュな女の子、と言うよりは、ガーリッシュな男の子、と誤認されそうである。

 ひょっとすると、彼女がそもそもショートヘアーだったから男と間違えられた可能性さえあるな、と彼女は思っている。女性は千円カットには来ない、という先入観もあったのかもしれない。髪に無頓着な彼女でさえ、『え~、切り過ぎじゃな~い?』と思ったものだったのだが、切った髪を元に戻せとも言えない。

 これが俗に言う外れと言うやつか。もう二度と千円カット行かない、と彼女が拗ねていると、

「まぁ、でも、可愛いじゃん」

「………………えっ?」

「可愛いじゃん」

「………………んっ?」

「だから可愛いじゃんって」

「………………なにっ?」

「聞こえてるよね?」

「いいじゃん! 減るもんじゃないしっ! もっと言ってよっ!」

「言ってよ、って言われると言う気無くなるよね」

「ケチッ!」

 そう言って拗ねると彼女はご飯のやけ食いを始めたようだが、もう髪型は気にしていないようだ。帽子を床に放り投げている。

 美容院に行く人も誰かに可愛いと行ってもらいたくて行くのだろう。

 千円カットで可愛いって言ってくれる人が身近に居るのだから、彼女が美容院に行く理由が無いのである。

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