第二章 第二話
その日の夜、私は暗い空に佇む月の光を浴びながら、隣で眠る愛しい人の髪を撫でた。
ぼさぼさしていて、触り心地が良いとはお世辞にも言えないが、私はこの人の髪の毛を触るのが好きだ。くしゃくしゃにしても固い髪質なので元の形にすぐに戻ってしまう。眠っている今の姿も可愛いが、普段髪を撫でると微妙な表情になるのも可愛い。
大好きで、誰よりも好きで、何よりも愛しい人。
私はこの人を喰らった、沼地に住む海月だ。
この沼地は心地良い。他人との関わりを避け、自分が傷付く可能性を全て排除した自分だけの住処。ここにいれば海月は傷つかずに済む。ずっとここにいたい。この沼にはまっていたい。
もしも彼を例えるならば、旅の途中で一休みしていたところを、偶々目を付けられてしまった哀れな渡り鳥。足を絡め取られ、傷付いた羽を縛られ、沼地へ引きづりこまれた可哀そうな渡り鳥。
沼地に住まう海月は渡り鳥を気に入った。
自身の不幸な環境を使って泣き落とし、渡り鳥をここに縛り付けた。
傷付いた羽はもう治っているのに、海月の毒が全身に巡って羽ばたかせない。
放したくない。離れたくない。もう一度、あの大空に飛び立ってほしい。
様々な感情が海月に想いを右往左往させるが、一つだけ変わらない事があった。
海月は渡り鳥を愛していた。
彼が幸せになれるなら、海月はこの沼地すらーーーー。
「っ、千秋!」
「ん? どうしたの?」
「あっ、いや……」
不思議な夢を見た。
あれは本当に夢だったのか?
背中から滝の様に流れる汗が冷え、嫌な予感が鮮烈に頭を過った。
俺の手は自然と千秋の袖を引いていた。まるで赤ん坊の様に弱弱しいく、それでいて力強く。驚いた表情の千秋だったが、優しい笑顔を浮かべて俺の手を握り返した。
「ふふっ。赤ちゃんみたいだね」
「……うるせ」
千秋から向けられた暖かい笑みを振り払って言ったつもりだが、千秋の手を握った俺の手は何故か離れる事をしなかった。
俺は夢をよく見る方だと思う。最近こそ千秋を慰める事でぐっすり熟睡していたからあまり見なかったが、昨日は慰めも無かったためゆっくりと眠れたと思う。
そして俺の夢は現実の事が多い。実際に起こった事だったり、これから起こる事。予知夢ってやつが俺にもあるのだ。
時間が経ってしまって記憶はあやふやになってしまったが、あの夢は一体なんだったのだろうか……。
「夕ちゃん、朝ご飯だよ」
「ああ……」
一抹の不安を胸に、俺は食卓に着いて千秋の味噌汁を啜った。
しかしこの時の俺は知らなかった。
胸に過った嫌な予感が本当になる事を。
爛れた海月 近藤一 @kurokage10
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