咲楽とドーナツと父の日

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

「君もなかなかうかつなことをするね。石矢いしや君」

 奥の座敷で、足を組み安楽椅子におさまっていた坂木さかき君はのたまった。視線は、手元の書籍に落としたままである。庭先の光を受けた桜色の猫脚テーブルの上、紅茶とミルクの入ったカップが一つずつ。年の離れた姉妹は、それぞれドーナツにかじりついている。ドーナツは、手土産にパン屋で購入したものだ。もうすぐ父の日だから。幼い子、咲楽さくらの存在を知っていた店員は、何の気なしに、画用紙を手渡してきた。

「ねえ、父の日って、王子おうじパパと咲楽のお父さん、どっちを描けばいいのかな」

 再び、咲楽が発声する。こちらは、やはり、息を呑む。紅茶を飲んだ姉が、妹の方を向く。

「咲楽は、自分のお父さんを知っているの」

「うん」

 咲楽が微笑む。

「咲楽とおんなじ、きいろのかみのけで、青い目をしているんだよ」

 手を動かした拍子に、ドーナツの欠片が落ちる。

「あ」

 転がった先、姉が拾い食べてしまう。

「咲楽のお母さんが教えたんだね」

「そうだよ」

 姉は人差し指をあごに当て、首を傾げる。

「それで、咲楽は、お父さんのこと何か他に覚えているかな」

「ううん、知らない。だって、咲楽、お父さんに会ったことないもの」

 沈黙が落ちる。

「ところで、咲楽の父親とは、一体、何者なのだろう」

「うん?」

 首を傾げる姉。外国人なんて、この田舎町では、ALTか留学生くらいのもの…。大学生?

「ああ、そうか。うちの大学で留学生といったら、ほとんどがアジア…。いや、居た。金髪碧眼の!」

 坂木君は、本を落とした。開いた口が塞がらない。こちらは、眉間にしわを寄せる。

「それ、私が…」

 言い差して、立ち上がる。ふすまをぴしゃりと立てる。嫌な予感しかしない。

「二人は、ゆっくりしていってね。お兄さんたちは、ちょっと出掛けてくるから」

「はーい」

 咲楽が、挙手する。坂木君の首根っこを掴まえる。そのまま、ひきずるようにして、歩く。充分に、咲楽から離れたところで、振り返る。

「石矢君…」

 気まずそうな顔。

「やったの?」「やった」

 肩を落とす坂木君。とりあえず、公園にでも行こうかと提案される。頷く。てくてく歩きながら、盛大に溜息を洩らす。

「仕様がなかったのだよ」

 公園のベンチ。手には、缶コーヒー。

「だからって、何も…」

 家に居る、咲楽が思い出されてならない。

「切り通しがあるだろう。長雨のあとで、青年は腹に致命傷を負っていた」

「まずは、救急車を呼びなよ」

 坂木君は、静かに首を振る。

「死戦期呼吸というのだろう。本で読んで、知っていた。あまりにも、可哀想だったので、楽にしてあげた」

 坂木君の悪い癖なのだ。

「ううん…」

 唸る。

「で、結局、君は一家惨殺しようとした訳だ」

「結果的には、そうなるね。ただ、咲楽は未遂だったけども」

 再び、溜息を吐く。

「それで、よく咲楽を見ても、その青年を思い出さなかったものだね」

「人は死んだら、それまでだから」

 坂木君は、悪びれもなく言う。ああ、どうしたものか。まあ、今更、どうにもならないのだけど。

「とりあえず、家に帰るか」

 坂木君は、正面を向いて言った。仕方なく、立ち上がる。

「あのね、坂木君。君が将来、咲楽に殺されかけて、死に切れなくても、僕は助けないからね」

 坂木君は、無言で歩く。腕組みして、何事か思案している。

「咲楽の母親はこのことを知っていたのだろうか」

 言われて、あさっての方を向く。

「解らない」

「だよね」

 坂木君は、笑った。

 本当に、どうしようもない。この、憐憫家の殺人鬼を愛しているのだから。

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咲楽とドーナツと父の日 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho

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