咲楽とドーナツと父の日
神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)
第1話
「君もなかなかうかつなことをするね。
奥の座敷で、足を組み安楽椅子におさまっていた
「ねえ、父の日って、
再び、咲楽が発声する。こちらは、やはり、息を呑む。紅茶を飲んだ姉が、妹の方を向く。
「咲楽は、自分のお父さんを知っているの」
「うん」
咲楽が微笑む。
「咲楽とおんなじ、きいろのかみのけで、青い目をしているんだよ」
手を動かした拍子に、ドーナツの欠片が落ちる。
「あ」
転がった先、姉が拾い食べてしまう。
「咲楽のお母さんが教えたんだね」
「そうだよ」
姉は人差し指をあごに当て、首を傾げる。
「それで、咲楽は、お父さんのこと何か他に覚えているかな」
「ううん、知らない。だって、咲楽、お父さんに会ったことないもの」
沈黙が落ちる。
「ところで、咲楽の父親とは、一体、何者なのだろう」
「うん?」
首を傾げる姉。外国人なんて、この田舎町では、ALTか留学生くらいのもの…。大学生?
「ああ、そうか。うちの大学で留学生といったら、ほとんどがアジア…。いや、居た。金髪碧眼の!」
坂木君は、本を落とした。開いた口が塞がらない。こちらは、眉間にしわを寄せる。
「それ、私が…」
言い差して、立ち上がる。ふすまをぴしゃりと立てる。嫌な予感しかしない。
「二人は、ゆっくりしていってね。お兄さんたちは、ちょっと出掛けてくるから」
「はーい」
咲楽が、挙手する。坂木君の首根っこを掴まえる。そのまま、ひきずるようにして、歩く。充分に、咲楽から離れたところで、振り返る。
「石矢君…」
気まずそうな顔。
「やったの?」「やった」
肩を落とす坂木君。とりあえず、公園にでも行こうかと提案される。頷く。てくてく歩きながら、盛大に溜息を洩らす。
「仕様がなかったのだよ」
公園のベンチ。手には、缶コーヒー。
「だからって、何も…」
家に居る、咲楽が思い出されてならない。
「切り通しがあるだろう。長雨のあとで、青年は腹に致命傷を負っていた」
「まずは、救急車を呼びなよ」
坂木君は、静かに首を振る。
「死戦期呼吸というのだろう。本で読んで、知っていた。あまりにも、可哀想だったので、楽にしてあげた」
坂木君の悪い癖なのだ。
「ううん…」
唸る。
「で、結局、君は一家惨殺しようとした訳だ」
「結果的には、そうなるね。ただ、咲楽は未遂だったけども」
再び、溜息を吐く。
「それで、よく咲楽を見ても、その青年を思い出さなかったものだね」
「人は死んだら、それまでだから」
坂木君は、悪びれもなく言う。ああ、どうしたものか。まあ、今更、どうにもならないのだけど。
「とりあえず、家に帰るか」
坂木君は、正面を向いて言った。仕方なく、立ち上がる。
「あのね、坂木君。君が将来、咲楽に殺されかけて、死に切れなくても、僕は助けないからね」
坂木君は、無言で歩く。腕組みして、何事か思案している。
「咲楽の母親はこのことを知っていたのだろうか」
言われて、あさっての方を向く。
「解らない」
「だよね」
坂木君は、笑った。
本当に、どうしようもない。この、憐憫家の殺人鬼を愛しているのだから。
咲楽とドーナツと父の日 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho
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