第10章~紫苑~
目が覚めると、自らが長い眠りについていたのだと感じる。
夢を見ていたような…
しかし夢ではないような…
はっきりと感じるのは、幸せな気持ちで眠っていたこと。
この幸せが夢であったと目覚めて分かるのは、現実ではとても
変わらぬのは、ジョンウに二度と会えぬこと。
悲しいのは、ソルと二度と語らうことができぬこと。
心残りは、ヘジョにもっと姉らしいことをしてやれたのではないかと
何度止めようとしても、
体のどこかが、
また眠ろう…
と、目を閉じた。
現実は残酷なことばかりが散りばめられている。
夢は都合のよい出来事が、都合のよい
その世界こそが、ソンギョンが生きる世界なのだと、誰かに
夢の中に
ほら、また眠りがソンギョンに降ってきた…
旅立とう…
夢の世界へ…
全てが
何も目に入らぬ。
何も耳に入らぬ。
どんな
この明るさは朝なのか、夜なのか、暑いのか、寒いのか、五感の全てが停止し、それらを受け付ける脳も
ただ、ただ、
ジョンウの
飲まず食わずのうち、人間らしさ、を
しばらくそう過ごしたのち…
長い長い時間動かずにいたソンギョンは、自分の意思や力ではなく、地球の重力が働き、そのまま重力の
意識が
そのまま深い眠りに入る…
自身では分かっていた。
ジョンウとの最後の別れをせねば一生の苦しみを背負って生きてゆかねばならぬ。
かと言って別れを別れとして認め飲み込む気力が残っているのか…
と、問われると
どちらも
意識が
どちらにせよ、心も体も、限界であった。
ソンギョンが重力の意のままにされていたと同じ刻、親友のソルは隣室でまたソンギョンとは異なる戦いを挑んでいた。
ソルもソルで、ジフから離れられぬ時間を送っていた。
『
そこへ、ちょうど部屋に入ってきたのは、ジフの母・
『
初めのうちは、自分のことなど…
と反発の気持ちが湧いたソルであったが、ジフの母・
しかし表向きは、派手を好み、また派手から好まれる
しかし自室は
端的に表現すれば、内向きに見れば質素で素朴な人柄であった、と言うことである。
表向きからは想像できぬ、摩訶不思議な人なのであった。
ジフが寝かされている、ちょうど向かい側の部屋にソルは通された。
戸を開けると部屋にはムクゲの花の
ソルはじっと動かずにムクゲの花がたゆたうのをしばし見つめ、侍女に
いつもならば、湯の世話をする侍女に
理由は…
首から下、衣服から見えぬ場所に
それらの傷はまだ新しく、ソンギョンが
装飾品を外し、チマ・チョゴリを脱いで湯に
傷が湯に染みて、顔をしばらくの間、
しかし、ソルはここ数日のうちでやっと
『はぁ…』
と、短い息が出る。
あの日以来やっと息をしている、生きている、心持ちになった。
目をつぶり、頭の上まで湯に
と、船が出港する数日前からリウ・ハオレンと共に過ごした体験の映像が頭の中に
それは地獄のような時間であった…
陽国へあのまま渡ってしまえば、ソルの息の根が止まるまで、
独りで湯に浸かり、
それをしまいにしたく、湯から出て着替えをしようと思い立った。
湯から上がり出たその時…
『ソル?…』
と、ソンギョンが
ソルは、ソンギョンに背を向けたままの格好で湯に立っている。
『!?』
『!?』
互いが、同時に息をのむ…
ソルの背中から湯に浸かっている
へなへなとその場に
いつかは知れてしまうであろうが、それが今ではなく、もうしばらく待っていて欲しかったソル。
親友に起こった出来事が自身と同化し、かける言葉も見つからないソンギョン。
しばらく、2人はそのままの格好で時だけが過ぎていく空間にいた…
どのくらいか時が過ぎ、おもむろにソンギョンが立ち上がる。
『傷の手当ては、まだでしょう?お祖父様が傷によく効くとっておきの薬を持っているの。待っていて。届かないところは、私が
そうソルへの言葉なのか、自らへの言葉なのか…
心の誓いをソンギョンはひとり
それを確かめたソルは、ソンギョンが出ていった部屋で独り、
自身で地獄だと呼んだ、あの
戸を閉め、戸に背をもたれさせ、ソルの
自身も目から涙が
ソルの泣き声が止むまで、ずっと戸の前でソンギョンは待ち、泣き声が止むと部屋からそっと離れ、静かに薬を取りに店へ降りていった…
ジョンウの
以前のように頭を打ったわけではなかったので、
ジョンウと「別れ」をする機会をもらえたと、ソンギョンは考えるようにしたのである。
倒れてしまった後、眠るソンギョンに夢の中でジョンウは会いに来てくれていた。
夢の中であったが、ジョンウはソンギョンに、互いにとって互いは、
一期一会の相手だからと、必ずしも人生を共にできるものではなく、こうして別れ別れになってしまうことも時にはある。
ただ
互いの別れを
だから、生きて欲しい。
自身を大切にするのだ、と。
しかし、ソンギョンにジョンウは今まで嘘や
どんな時も
だからこそ自身はジョンウの分まで生きることを託されたのだと、どんな時でも笑わなければならぬのだと、ソンギョンはジョンウに背中を押してもらえたのだと感じていた。
大切な大切な人の想いである…
その為には自らの人生を
懸命に生きなければ…
一字一句、ジョンウが語ってくれた
と、心に決め、まず自らの身なりを整えることから始めることにした。
思えばソンギョンは
そして、自分を必要としている存在がほんのすぐ
ジフが寝かされている部屋で、ジフの枕元を離れずにいる、ソンギョンの大切なソルである。
陽国へ旅立つ前には最後の別れも叶わず、一度も会えぬまま、別れ別れにならざるを得なかったソルがすぐ近くにいるのである。
ソルは私を必要としているはずである、と不思議にそう思えた。
会いに行かなければならない、と思い立ち、身なりを整え、部屋を出たところ、ジフの母・
『おば様ご
父の
『お久しぶりですね、ソンギョン。ちょうど私も公主が息子の傍から離れないと聞いて、休むように声をかけに来たのです。』
優しい声音で話す琴氏の声が、悲しさに飲み込まれて、折れてしまわぬように辛うじて立っているソンギョンの心に柔らかく染みてゆく。
『ソルにお伝え下さるのでしたら、私はソルのチマ・チョゴリを選んで参ります。
ソンギョンも琴氏の優しさに触れ、少しずつ自身を取り戻すことができるようになっていた。
琴氏へ一礼で辞して私室に戻り、ソルに似合うとっておきのチマ・チョゴリを選ぶことにした。
『ソルは本当に綺麗なお肌だから、選ぶのが楽しみだわ。』
そう独りごちて、真剣に
しばらく時間がたつと、ソンギョンの
一方ボヨンは、ソンギョンが落ち着いたのを見計らって、ジョンウの父・ドンウに会いに
以前とは大きさは違えど、あの時と変わらず、小ざっぱりとした
『ごめんください。』
そう言って、店の
中からは、懐かしいあの顔が挨拶に出迎えてくれる…
『お久しぶりです。』
ボヨンが挨拶をすると、
『お変わりなく。』
と、ドンウから返事が返ってきた…
中からは、
店からは、主人であるヒョイルが出迎える為に顔を出す。
『ムアン大君様、尹妃様、ようこそお出で下された。話は中の方で致そう。お入り下され。』
さすがは、
王族とも関わりが深く、そもそもは
しばらくの間、店から
それから大君夫婦はすぐに、ソル公主の休んでいる部屋に案内された…
公主の部屋に入ると、ソルはソンギョンと茶を飲み休んでいた。
大君夫婦に気づき立ち上がって挨拶をするソンギョン。
『お久しぶりでございます。ムアン大君様、尹妃様。ソル公主様のお相手をさせて頂いておりました。わたしくは、退出させて頂きます。ごゆっくりお過ごしくださいませ。失礼致します。』
最近のムアン大君家族、ソンギョンの
ソンギョンが退出をしようとすると…
ムアン大君、尹妃、ソル、が口々にソンギョンへ礼を述べた。
ソンギョンは「何か力になれることがあれば遠慮なくお伝え下さい」と告げて、部屋を辞した…
自室に戻ろうと廊下を歩いていると、ジフが寝ている部屋の前を通った。
すれ違う万事通の使用人に、琴氏はまだジフの傍らにいるのか確認すると、目が覚めるまで万事通に親子で滞在させて欲しいとの申し出があった、と報告される。
ならばと、琴氏にジフの寝ている部屋の
ジフが心配で何度も部屋を訪ねれば、琴氏に要らぬ気遣いをさせてしまうと考え、使用人に
『お父様、お母様、お久しぶりにございます。この様な形でお会いせねばならず、
何故なら、ソルはこれから鮮国王族代表として陽国との
ソルだけでなく、両親のムアン大君夫妻にも陽国、鮮国、双方からの風当たりが強くなるのは明らかであった。
ソルが望まぬ政略結婚とあの
それは、公主として生を受けた日から避けては通れぬ義務であり、何もソルだけに特別に重くのし掛かっているわけでなく、
王族とは聞こえは華やかに思えるが、実のところ、統治する組織の奴隷と言えなくもないのである。
組織を守る為には、自らを犠牲にすることも
鮮国の王族は皆、幼少の頃より
ムアン大君夫妻ももちろん、それらの書は学んでいたし、王族としての義務も
それらを踏まえても、無事に戻ったソルに涙せずにはいられなかった。
王族と言えど、見なければならぬ現実はあるが、人の子の親として、子の命に代わるものはなく、親にとって子の命ほど
『何を言うのだ。無事にわしたちの元へ帰ってきたではないか。さ、立つのだ。ソルは私の大切な公主様だ。これより先は誰にも
父に
『ソル…私の娘ソル…』
泣きながら、何度も何度もソルの名前を呼び続ける母に、ソルの頬からも涙がこぼれる…
『お母様ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした。』
そう伝えたきり、久しぶりに会えた母の胸で、久しぶりに長い間、泣き崩れていた…
ムアン大君夫妻が到着する、少し前のこと。
『ソル?薬とチマ・チョゴリを持ってきたわ。開けるわね。』
そう告げて、ソンギョンはソルが休んでいる部屋の戸を開けた。
部屋に入ると、ソルは窓際に置かれている
『ソルが届かない背中の方の薬を塗りたいのだけど、また後からの方がいいかしら。それとも、自分でやれるかしら…』
そう、ソンギョンが訪ねると
『今お願いしてもいいかしら。』
と、窓の戸を閉めるソルから答えが返ってきた。
薬を塗るために、服を脱いで背中を見せるソル。
何も口にせず、黙々と薬を背中に塗るソンギョン。
黙々とそして、大切な友への想いも込めて、ひと塗りひと塗りを丁寧に進めていく。
しばらく互いに話さず、静かな時が流れていった。
『終わったわ。』
そう、ソンギョンが告げるとソルはチマ・チョゴリに腕を通す。
『覚めてしまったけれど、ソルの好きな
ソンギョンはソルに何か口にするようにすすめる。
実はソンギョン自身もしばらく何も口にしていなかったのである。
ジョンウの死と向き合い、自身を
食べはじめてしばらくすると、ソルは食べるのを止めてソンギョンを見つめた。
『ねえ、ソンギョン。気になっていたことがあるの。ジフが乗船していた船に、ジョンウ様もいたと聞いたわ。ジョンウ様は今、どこにいらっしゃるの?…』
ソルの真っ直ぐな問いかけに、何も答えられないソンギョンは、一瞬停止したのち、
『!?…ごめんなさい…』
口に手を当て驚いた後…
小さな声で下を向いてソルが
『謝らないで。ソルが謝ったら、ジョンウが間違っていたことになるわ。ジョンウは間違ったことはしていないの。ジョンウは素晴らしく正しいことを成したのよ。ジョンウは、間違っていないの。それにね、今でもジョンウはずっと私と共にあってくれているの。だから、私は前を向いて生きていかねばならぬのよ。大丈夫だから。さあ、ソルも食べましょう? お腹を一杯に満たすの。また、ジフ様の側にもどるのでしょう? 鋭気を養わなければ、ジフ様の看病は務まらないわ。』
そう微笑んで、
しばらく茶と点心を喫し、茶が空になったところで、ソンギョンは席を立ち部屋を出て廊下で控える使用人を呼ぶ。
すると半刻(30分)ほどでムアン大君夫婦が都河港に到着する、との
お代わりの茶を飲みながら、ムアン大君夫妻の到着をソルに伝えよう、とソンギョンは考えていた…
春道港から都城までは、どう急いでも一刻は必要であった。
陸路と水上とで路を選べたが、ムアン大君夫妻とボヨンたちは、陸路を選んだ。
まだまだこの頃は、陸路と言っても獣道が少しましになった程度であり、山林にはもの剥ぎ、賊、無籍者などに加え、日が沈めば獣たちも活動を始める。
また都城の入口にある、
そろそろ出立しなければ暮五刻までに蒼天門をくぐることができぬ刻に近づいてきていた。
ムアン大君夫妻とボヨンは、それぞれの娘たちに別れを告げ、それぞれの輿に乗り込んで出発をした…
それからしばらくして…
ムアン大君と尹妃、ソンギョンの母ボヨンもそれぞれに帰路に立ち、万事通が静かになる…
賑やかな性格の
ムアン大君夫妻も母も、互いの娘がまだまだ落ち着かず、後ろ髪を引かれる思いであるが2人の互いを思い合う友情を大切にしてくれたのだと、ソンギョンは感じ入り感謝もした。
そして自身を信じてくれた母に恥じぬ生き方をしていきたい、と心に決め、その心の
ソンギョンは、ソルを探しにジフの寝ている部屋の戸を叩く…
すると、琴氏が答えてくれた。
『ソル公主は、まだ自室の方におられるそうです。』
琴氏にお礼を告げて、ソルがいるであろう自室に向かう。
しかし、ソルは不在であった…
不思議に思い、どこかへ外出していないかを使用人に
店の方へも顔を出していないか確認する…
母屋などを
東屋に足を向け、歩みを進めていく。
ソルはただじっと動かず静かに、庭の向こう側を眺めていた。
『…ソル?…』
ソンギョンは、静かに語りかける…
するとソルが振り返りながら、ソンギョンに
東屋の
2人は何も語らわず、静かな時が流れていく…
しばらく静かな空間を通りすぎた頃、ソルが静かな空間にふさわしい声音でソンギョンに語りかけた。
『ねえ、ソンギョン…私は生きていていいのかしら。笑ってもいいのかしら。このまま
『自らのことなのに分からないの…あの日、都河港でヘジョとシムソを…あの子たちを
ソンギョンは何も答えずに、ただただソルを静かに抱き締めながら、背中を何度も撫でた。
生きることの
自らが自らの価値を、居場所を、求め迷い、決断できる、などと言う考えは
役割が全ての世界であった。
ソルは、公主として、王族として、誰かに
しかし今のソルには、どれにもなれない身体になってしまった…
王族としての役割が果たせぬ自分は、鮮国の民が納めてくれる税を
この様な身体に成り果てた自分が、ジフやジョンウ、助けてくれた船の
自らが生きることが何になろう…
これを自らに問うて、自らに生きなくていもいい、ともしかしたら言い聞かせていたのかもしれない、とソンギョンは感じていた…
先ごろにソルの身に降ってきた出来事が、ソルの生きてきた世界とあまりにも違いすぎた
それらを受け入れることが出来なければ、おそらく生きては行けぬ。
そしてそれらを受け入れることは、自らで行わねばならず、また容易では、ない。
辛いが、それが現実であった。
ソンギョンに出来ることは何なのであろう…
その答えが何も
2人でしばらく、また静かな空間を通りすぎていたところ、静寂を
万事通の使用人のけたたましい声が、2人の静かな空間に終わりを告げた。
『お嬢様!ジフ様が、お目覚めです!』
むくりとソルが立ち上がる。
ソンギョンも続いて立ち上がる。
2人は顔を見合せ、
ジフの休んでいる部屋へ到着すると、既に医師が到着しており、診察が始まっていた。
二人は肩で息をしながら、ジフの診察を固唾を飲んで見守っていた。
意識があり、応答ができること、手足が動かせること…
と、確認が進んでゆく。
以上でおしまいになる…
間際、ジフから申し出があった…
『先生、目の前が真っ暗です…』
『!?』
『!?』
『!?』
その場に
医師が今一度、確認をした。
行灯を目の前で、左右に移動させる…
しかし、黒目は動くことがない。
『何本に見えますか?』
と言う問いかけに…
『分かりません…』
と答えるジフ。
『貴方のお母様は、どちらに見えますか?』
との問いかけに…
『この場にいるのは分かりますが、どこにいるのかは分かりません…』
との答えである。
ソルと琴氏は言葉を発することが出来ず、沈黙のまま…
ソンギョンの祖父、ヒョイルは黙ったまま思案している様子であった…
ただ1人、医師に確認したのはソンギョンである。
『回復をする見込みはあるのですか?そして、何か回復の
そう、問うていた。
『
医師の言葉に、また場が
ソルはそのまま何も話せず、ずっと下を向いている。
琴氏は食事の支度をしにゆく、と静かに言い残して部屋を出ていってしまった…
ヒョイルは、医師を見送る為に階下へ降りて行く…
部屋に残されたのは、ソル、ジフ、そしてソンギョンであった。
『しばらくは、
と、言い残してソンギョンは部屋を後にする…
部屋を後にしたソンギョンは、廊下に出るとため息をついた。
辛い出来事ばかりが重なる…
どこかに出口はあるのだろうか…
それとも、もう出たところであろうか…
先ごろの出来事、これからの自身と自身の周囲の人々の身の置き所は、変わらずに今のままであるのだろうか…
考えれば考えるほどに、沼にはまってしまい、そのまま抜け出ぬ足のような…
少しずつ少しずつ、じりじりと足元が断崖絶壁への
嫌な感覚がソンギョンにまとわりついて、離れずにいた。
先の、都河港での沈没船事故の
ムアン大君の周囲を、濁ったため息とどろりとした嫌な汗が身体中から吹き出て、心休まらぬ淀んだ空気が充満してゆく。
全てが自らの一手一手で決まって行くのだと心静かに
家族を、妻を、子どもたちを、守りたい…
元の笑顔が溢れる時間を取り戻したい…
ムアン大君の頭の中は、このことで
ソルは黙ったままうつ向いていた。
ジフに何と声をかければよいのだろう…
自らの身の置き所は、このまま
しかも体の傷(この世界で女性は生まれや容姿の希少さを含んだ金銭的な価値で見られることが多く、なぐさみものとしても扱われる貢女は、身体の傷や不自由はより醜いと見なされ、価値のないものとして扱われるのだ。)により、鮮国で王族であったとしても、
自らの先行きが暗いことは、誰の目にも明らかであった。
両親はソルが沈没船から海へ投げ出されたこと、リウ・ハオレンへの貢女として数日過ごした娘への
婚約していたので、ジフの回復に
しかし
どれくらいソルには時間が残され、許されているのであろう…
ソルはずっとずっと黙り続け、それらのことを考えていた。
ソンギョンはジフの湯浴みと着替えの手配、ジフとソル、琴氏の食事の手配など、3人が快適に過ごせるような生活の身の回りについての
ソルの存在は、いつまで隠せおおせるのであろう…
ジフ様の行く末は、いかなるものになるのであろう…
ソルの仕置きは、どれくらい延ばせるのであろう…
自分は何ができるのであろう…
「後悔だけはしない」
これは、譲れなかった。
今回の
ならば、こちらが先手を打てばいいのである…
ソルをこのまま万事通に置いておくのは、敵に援軍を送り続けるようなものであり、危険であった。
では、どうする…
そこで何度も止まってしまっていた。
先手を打たねばならぬのであれば、時はそう長くは待ってはくれぬであろう。
しからば、どうする…
ソンギョンは、ずっと思いあぐねていた。
ソルを
そして
今回は
訪れた
そして、ソンギョンの父であるホン・ジュギルも同席していた。
兄王とリウ・ハオシュエンに挨拶をしたムアン大君に、2人から沈没船事故についての説明を求められた…
がしかし、まだ
そしておそらく、報告を遂行してしまえば、娘であるソル公主の
ムアン大君としては、
今しばらく、いや
まだ調べは終わっていない、との報告を終え、
しかし、そんなムアン大君を
『待て。』
との声が掛かる…
『ムアンや。そなたには、ソルの他にも娘がおらなんだか…?』
立ち止まり、背を向けたままのムアン大君に兄王は
『!?』
『!?』
その場に居合わせた、ジュギルはこの王は気がふれたのであろうか…
と耳を疑った。
ムアン大君は、何かを答える気には到底なれなかった…
ムアン大君の口からは何も語られず、時だけが過ぎてゆく。
これ以上の沈黙は、要らぬ憶測と不穏な空気しか生まない。
そう判断したジュギルは、ムアン大君の代わりに、口を開いた。
『お体に不安が残る
ジュギルは
ソル公主が生きているかどうかは、鮮国王はおろか、陽国もこの時点では知り得ぬことである。
そしてソル公主の妹、生まれつき病弱であまり
だからこそ、である。
リウ・ハオシュエンが鮮国の公主をこのまま
ジュギルもソル公主の話は伝え聞いている。
がしかし、世の人々に不明のままである状態が続けられるのであれば、何もわざわざ日の目に自ら現れて陽国へ連れて行かれるよりも、ひっそりと静かに暮らしていけばいい、とジュギルは考えている。
『そうか…残念であるな。鮮国王よ、もうそなたの親族に公主はおらぬのか?』
そうリウ・ハオシュエンは更に食い下がりたずねてくる。
話題の
ジュギルの執務室は、これ以上にない程に静まりかえっている。
ジュギルとムアン大君は
どれくらいの時を過ごしたであろう…
日が沈むと、2
が…
そこには、入る時には確認していなかった二人、チャン・ノギョルとカン・テウがムアン大君とジュギルの後から続いて、静かに現れた…
この4人の動きをいぶかしみ、チャン・ノギョルの父であり、ソンギョンの祖父である、チャン・ヒョイルは手の者たちに探らせていた、と言う。
しかし、この4人が集まって何やら密談を交わしている、とヒョイル以外の周囲の人々は気づいてはいなかった。
4人はかねてより、共に過ごす姿が雅都宮でも都城でも、見られ何の不思議も周囲の目には写っていなかった、のである。
ただ、幼少の頃からの変わらぬ竹馬の友たちの集いである、としか写っていなかったのであった…
沈没船事故が起こってから、ふた月ほどが過ぎた頃、
カン・ジフとソル公主に雅都宮へ
始め、
が、しかし、2人はそれぞれの屋敷に存在しておらず、屋敷の
そこで、沈没船事故の周辺を
事故からしばらく
しかし…
万事通にも、しばらく前から2人の姿を見たものはおらず、おまけにチャン・ヒョイルは腰を痛めた、とのことで、商売は
おまけに、孫娘のソンギョンも
王命を受ける者が
王は自尊心を傷つけられた、と躍起になり
王の周辺が騒がしくなったのには、先ごろの沈没船事故の
陽国側の生存者は全滅していたはずであったが、遠く離れた鮮国の
その陽国側の生存者が、何をどう陽国皇帝へ伝えたのかは定かではないが、鮮国には陽国からの使者が到着していた。
陽国王宮・
雅都宮でも、沈没船事故によって生存者はおらぬ、と報告が上がっていたので、
鮮国王はソル公主が生存しているかも知らぬままであれば、陽国側の生存者がいた、との報せも入ってきてはいなかった。
ただ実弟である、ムアン大君に沈没船事故の詳細を報告せよ、との王命を遣わせて、ことの成り行きを見守り、待ち、過ごしていたのだ。
この件が起こり、王の中にある何かが着火されたのであった。
そして王は、本来の
そこでどうやら、ソル公主を助けたのがカン・ジフではないか、との糸が
それぞれの
もちろん
「ソル
すぐに
春道港の搬行李支店を通して、あの日ジョンウがソンギョンとの未来に用意してくれた屋敷へ生活に必要な様々な品や情報が届けられているのである。
そうなのだ…
ソルとジフは、この屋敷に身を寄せ、身を
このまま鮮国にいれば、そう長くは同じ場所には
周辺国への移動も
鮮国から
鮮国を取り巻く世界では、陽国の支配が強いか、弱いか、又はあまり価値がないと見なされ
どこに
じりじりと断崖絶壁の
ジフは目が不自由になって、まだ今の生活に慣れておらず、自らのことで手一杯であり、ソルの様々な変化には気づくに
ソルはジフの不自由に助けられている自分を情けなく思いながらも、
そこへ、ソンギョンからの知らせが届いた。
誰の目に触れるか分からぬ知らせは、人物の名前はおろか、場所や時間、など何かを特定できるものは、一切書かれていない。
「下る」
ただ、一言、だけの知らせである。
それはソンギョンとソルの
ソルはじっと考えた…
そろそろ時が来たのかもしれぬ。
では次の場所、と
じわりじわり、と追い詰められ、ソルの心が身が悲鳴を上げ、限界を迎えようとしていた…
その瞬間。
ぷつり…
とソルの全てが止まった…
目を開けると、見覚えのない
かと思われたが、すぐに思い出した…
ソンギョンが秘密裏に用意してくれた、建てられて日が浅く、取り分け
ソンギョンは何も語らずにこの屋敷をソルとジフに使わせているが、この屋敷はおそらくジョンウがソンギョンとの共に暮らす為にあつらえたものであろう、とソルは密かに
何も言わずに大切な屋敷をソルとジフに差し出してくれ、住まわせてくれているソンギョンに、心の中で何度も礼を言う…
横になったまま周囲をうかがうと、この屋敷に来てからずっと世話をしてくれている、母の
任氏は、念のために医師を呼んでいた。
医師が
が、はっと目を見開き、耳を澄ますかのように脈に集中している…
ふぅ、と短い息を吐いて、
『ご
『!?』
『!?』
ソルも
現実は全くもって酷である。
ソルはジフとまだ一度も
世話をしている
ソルは震えが止まらず、何も口には出せない…
『産み…月は…』
と任氏が
『ふた月目に入ったところにございます。まだお産まれになる確かなお日にちは、
と医師から返事がくる。
そのままソルも任氏も何も話せないまま、医師がすくりと立ち上がったので、任氏が見送りに部屋を後にする。
部屋に残されたソルは、今現在の自身を受け入れる為の準備だけで、精一杯であった。
自らの身に何が起こったのか、起こっているのか…
それらを飲み込むことが出来ず、体も心も止まったままであった。
一方、任氏は医師を門まで送りに行った帰り、玄関でへなへなと座り込んでしまう。
主人夫婦に託された大切なお嬢様の身に大変なことが起こり、これからどのようにお守りしていけばよいのかをじっと
そして転がり落ちる時はこんな時でも待つことはせず、勢いはますます加速してゆく…
ソルとジフが身を寄せた屋敷の外では、じわりじわりとソルとジフの
『王様。オ・ドゴンにございます。』
『入れ。』
そう王に言われ、
『ソル公主、カン・ジフ、の居場所が
『やはり生きておったのだな…ムアンめ、熊を
王は
『
そうオ・ドゴンが答えると
『その屋敷の
王がまたたずねる、すると。
『持ち主はおらぬ、とのことにございまする。調べを進めておりますが、建物の
『して、その豪族とやらが、ソル
と、独り言をつぶやいている王に、オ・ドゴンが続ける。
『
との問いに、
『今はまだ泳がせておけ。陽国へ使いを送る。必ずウィソン君の
そのまま王は
ソルとジフは、共に連れだって豪華な屋敷の見事な庭を静かに散策していた。
手を繋ぎ、互いを気遣いながらのんびりと歩みを進める。
ジフは、目が不自由になって人の僅かな変化に
今も手を繋いでいるだけの、何も話さずにいるソルの様子がおかしいと気づいていた…
食もすすんでいない様子であるし、会話の中ではよく涙を
しかし、今の自分には何もしてはやれぬ。
ジフは憤りを持たずにはいられなかったが、それもまた出口のない感情であり、持ってしまったところで持て余すものであり、諦めも混じる。
つないでいる手から少しでもソルへ自らの気持ちが伝わり、その気持ちがソルの前向きな気持ちへと繋がってくれればいいと願っていた。
一方ソルは…
しかし、不思議な感覚が支配していた…
焦りの感情が湧かぬわけではないが、とかく落ち着き払っている自分に苦笑いを隠せなかった。
では、今の自分に用意できる策とはどのようなものであろう…
それも、いくつあるのであろう…
目が不自由である想い人。
何かに希望を
そう思いながら、ジフと並んで庭を静かに散策する…
互いが互いの心と心とが重なり合った方に手を取り合い、互いの幸せへと繋がる道へと歩みを進めることが出来ぬところに、ソルとジフは立っていた。
ただ、2人でいられるこの静かな空間だけが僅かに残された幸せと言える最後の
屋敷の外では、王の
雅都宮では、王がリウ・ハオシュエンを招き、ソル公主とカン・ジフの
鮮国王の
しかし
理由は世子の
陽帝としても、鮮国は
北方民族の流動地に接している鮮国の
その大切な
陽帝が「会わぬ」と申せば、粘ることもせずにおめおめと自国へすげ帰る始末。
そこへきて
それでは
と鮮国からの使者が陽国から承認を
鮮国側から見れば、一時は陽国陽帝代理・
これを
ソルとジフの身を寄せる屋敷の中では、いつもの通り、
ゆったりと静かな時間が2人を通りすぎてゆく…
と、そこへ
取り囲む黒装束の手には銀色に光る
ソルとジフの後ろに控えていた、
ソルは、ジフの手を取る。
【1、2、3、で私が走り出すわ。皆はその合図で相手に斬り込んでちょうだい。ジフ様と共にその隙に山の方へ向かうわ。ここが片付いたら駆けつけてちょうだい。】
そう指示をする。
そっと、ジフに耳打ちをした。
『1、2、3、で走り出すわ。私が
【1、2、3!!】
それぞれがわっと動き散る。
ソルはジフの手を引き、飛んでくる弓を避け、屋敷の敷地から飛び出て、裏山へ登っていく…
もちろん、
目が不自由なジフが何度も何度も、足場の悪い
追手はそれぞれに訓練されたもの達なのであろう、動きも
それでも捕まるわけにはゆかず、必死でソルはジフと共に先へ急ぐ。
すると、少し明るい木々の生えていない場所に出た。
その直後…
あっ…
となった瞬間ジフが転び、ソルも止まる。
後ろにいる転んだジフを見やって、顔を上げると。
目の前には、追手がソルとジフを半円で取り囲むように
足元にいる、ジフをゆっくりと起き上がらせて、少しずつ少しずつ後退する…
と、あと数十歩ゆけば陸は終わり、
追手がじわりじわりと詰めてくる…
ソルは覚悟を決めた。
ジフに耳打ちをする。
『私が手を引く方向へ、思い切り走って。』
そう伝え、波打ち際の崖をめがけて走り出す…
そのまま勢いを落とさず、ソルとジフは手を繋いだまま、崖を落ち、海へ飲まれる…
か…
となったところ…
崖まであと一歩のところで、ジフの太ももに矢が刺さる…
ジフが失速し倒れ込んだ
手を引くソルは引くものがなくなり、急に軽くなった拍子で、そのまま崖から落ち、まっ
倒れ込んだジフに
無数の矢が体に刺さり、最後は
二人の結末は既に決まっていた、と断言してもよかった。
「カン・ジフは見つけ次第、その場で
「ソル
と、王命が下っていたのだ。
ソル
落ちた場所と、波の高さ、
日が沈んでも捜索は続けられたが、
それから
その遺体が打ち上げられた、春道港へ到着したムアン大君は、馬から飛び降り、足が取られる砂浜を気にもせず、必死に遺体のある場所へと走ってゆく。
ムアン大君が肩で息をしながら、ゆっくりと歩みを進めた先には…
ムアン大君が公務で訪れた
~第2幕~へとつづく…
~
【秋に薄紫色の花を咲かせる多年草。花言葉は、思い出、君を忘れない、追憶、遠方にいる人を思う、忘れない心。】
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